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第7回クオリアAGORA 2016/ディスカッション



 


 

スピーチ

対談

ディスカッション

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ゲストスピーカー

建築史家 建築家 東京大学名誉教授

藤森 照信さん



ディスカッサント

陶芸・美術作家

近藤 髙弘さん


武庫川女子大学名誉教授

高田 公理さん


京都大学大学院理学研究科教授

山口 栄一さん



モデレーター

写真家

荻野 NAO之さん





荻野 NAO之 (写真家)


藤森さん、スピーチと対談、どうもありがとうございました。
先ほどの藤森さんの紹介の中でもありましたし、テキストの中にも書かれているんですが、藤森さんは、初め何をやっているかわからないでされていた。 それが、最近になってわかるようになってきた、というのが、とても興味深いと感じました。 これ、何で、引っ張り出したかというと、先ほどの対談の最後、例えば、人間とサルとかの違いは何なんだろうという話のなかで、山極さんが、人間は、イノベーション、何かを積み重ねていけるとおっしゃったのですが、積み重ねるっていうのは、わかったもの、あるいはわからないものを積み重ねるのかもしれないけれども、そこが私には、さっきの対談の余韻として残っていることかなと思います。


それで、まず、きょうの4人のみなさまにうかがってみたいと思うのは、「わかる」ってどういうことか、「わかった」っていう瞬間ってどんなことなのか、このことについてお話をうかがってみようかなと思います。 では、まず、高田さんから、お願いいたします。





高田 公理 (武庫川女子大学名誉教授)


「わかる」ということを、少し別の言い方で捉え直すと「腑に落ちる」という表現になるのやないかと思います。 こういう表現、説明なしには若い人にわかってもらえないのかもしれません。 が、その意味するところは「胃袋に入れる」という比喩的表現になろうかと思います。


と申しあげたところで思い出しているのは、中国革命を先導した毛沢東の書いた「実践論」の中の面白い言葉です。 それは、「梨を知ろうと思えば、梨を噛んで変革しなければならない」という言葉です。 初めて耳にしたときには分からなかったのですが、なかなか含蓄のある言葉だと思うようになりました。


まあ、言葉通りに解釈すると、梨を知るには、自分の口に入れて、むしゃむしゃ噛む。 すると、ぐしゃぐしゃになりますね。 が、その結果、梨の実に含まれていた水分や甘みや香りが、どういうものかが分かる。 で、最終的にはそれが胃の腑に落ち着くことで、きちんと梨がどういうものかが理解できる。 そういうことを毛沢東は言いたかったのだろうと思います。


少し違った例を出してみましょう。 ぼくは、教師をやっていました。 で、学生さんに、こんな話をしたことがあります。 たとえば「英単語を覚えるときに単語帳に『apple(noun)リンゴ』と書いたりするけど、なかなか憶えられへん。 当然やと思う。 英語国民なら、子供のとき、親にリンゴを食べさせてもらいながら、『これ、appleというんやで』と教えてもらうはずや。 そうすると『赤い果物』『そのいい香り』『口に入れたときの味や歯ごたえ』などが『apple』という言葉と不可分に結びついて、忘れようにも忘れられんようになる。 何かを憶える、何かが分かるというのは、こういうことなんやと思うなあ。


でも、なかなか彼らは、そう考えるようにならなかったのか、ゼミの最中にも、知らない言葉がでてきたりすると、その場で質問するより、スマホやタブレットを操作して、そこに書いてあることを読んで、分かったような気になりがちだったという次第です。 そういう風景を見ていると、いっそう毛沢東の言葉の含蓄が思い出されたりするんですね。


そんなことを考えながら、前回でしたか、「人間以外の動物は、学ぶことはできるが、主体的に教えることができない」という話を思い出しました。 あの賢いチンパンジーのアイちゃんに一生懸命いろんなことを教えている松沢教授の話だったと思います。


そういうことを前提として、今日のお話を聞きながら、四つ、ちょっとした違和感と同時に、なんとか腑に落とせそうなことがあったかなと考えているところです。


まず、お話の後半で藤森さんは、「庭園というのはあの世への道や」とおっしゃいました。 これには「まあ、そうかな」と思う反面、若干の違和感が残ります。 というのも日本の庭園文化が、仏教と結びついてダーッと広がるのは、平安時代の終わりぐらいです。 ただ、このころの仏教にはふたつの大きな新しい流れがあって、仏教が日本的に再編成されるわけです。 そのひとつが禅宗であり、もうひとつが浄土教です。


そのうちの浄土教は確かに、この世に極楽浄土を思わせる、いわば「庭つきのバーチャル極楽」を造りました。 その典型のひとつが宇治の平等院鳳凰堂と周りの庭園です。 それは文字通り「あの世への道」だったんでしょう。


でも、禅宗が造るようになった、水を取り込むことのない「枯山水」――こちらは「この世における悟りを触発する」ことをめざしていたのではないでしょうか。 これは、ぼく自身が「梨を噛んで変革する」といった経験に似て、いろんな庭を見ながら蓄積してきた結果の思いでもあるような気がします。


ふたつ目は、お茶についてです。 山極さんは「茶の湯を非常に日本的な文化だ」とおっしゃいました。 そのとおりなのですが、この物言いにも「?がつく」というか、若干の留保が必要なのかなと思います。


まず、茶を飲む習俗は中国から、栄西の手で日本に伝えられました。 で、彼は『喫茶養生記』という本を書きます。 そこには、「茶は養生の仙薬なり.延齢の妙術なり」と記されています。 つまり茶は最初、一種の健康法だったんですね。


それから500年余り、明治時代には岡倉天心が『茶の本』を書きます。 そこでは茶の湯が「わび・さびの美学」を体現するものとして捉えられることになります。 こうして茶の湯は日本文化とその美学の根底を支えるものと見なされるようになったわけです。


でもね、16世紀における茶の湯の成立過程を眺め返すと、必ずしも、美学といったきれいごとから始まったのではなさそうです。 そのことは、たとえばキリスト教の宣教師だったジョアン・ロドリゲスの書いた『日本教会史』などを読むと明らかになります。 彼は茶の湯の流行を直に見て、「なんでわざわざ、あんな小さな入り口から入り、そこで火をおこして茶を点てたりするのか」と不思議に思うわけです。 が、あるとき、はたと気がつく。 つまり、そのころまでの100年、日本では戦国時代が続いていたわけでしょ? そんな時代に見知らぬ人と出会うのは、文字通り命がけでした。 でも、茶の湯の席でなら安心して人と出会える。 というのも、「躙り口」から茶室に入るには刀をはずさねばならない。 「お手前」、つまり目の前で点てる茶に毒は入れられない。 結果、茶の湯の席では、たとえ戦国武将と武器商人であっても、たがいに安心して見知らぬ他人と出会えたというわけです。


こういう意味を持つ茶の湯が、戦国時代の果てに出てきて、それが日本の礼儀作法の根本を形成しながら、やがて260余年に及ぶ近世の平和な時代をもたらすことになったのです。


3番目は「家の壁」です。 人が住む家には、必ず私的な生活を囲い込む壁があるという話がありました。 でも、必ずしもそうは言えないように思います。 たとえば気温と湿度が非常に高い熱帯のジャングルに住んでいる南米のヤノマミ族やインドネシアのラジャ・アンパット島などには壁のない家があります。 むしろ文化人類学は、そういう例外的な事例を見つけてくるのが目標なのじゃないかと私などは考えています。


4番目は「土」です。 建築の素材としての土は、人間の魂に響くような存在だと、藤森さんはおっしゃいました。 その通りだと思います。 だからこそ土は、日干し煉瓦以外にも、いろんな形で建築に使われてきたわけです。


例えばブータンの「ゾン」――それは仏教寺院と政府機関の建物が一緒になったもので、厚さ1メートルぐらいの壁でできています。 その素材は田んぼの土なんですね。 その建設に際しては、建築家はもちろん、設計図も存在しません。 それで100メートル四方、4階建てくらいの建物ができあがるんです。


さあ、そこで……藤森さんはさきほど、土を触ると、人間は寡黙になるとおっしゃいました。 でもね、ブータンの建物を建てる際には、人々が木製の杵を持って壁になる土を突き固めるのですが、その動作がエロチックなイメージを呼び起こすのか、みんなでエロ歌を歌いながら作業します。 土への親近感やリスペクトが、こういう姿を露わにする場合もあるように思います。


と述べたところで思い出すのは、高度成長期以前の日本の家の壁の作り方です。 それは編み上げた竹駒井に土を塗るわけですが、上塗りをする前に、そこでの居住が始まるのが普通でした。 ですから当時の日本人は、文字通り土に親しみながら生活していた。 当然それは日干し煉瓦なんかではない。 だけど土に親しみ、土の近くで暮らしていたと考えてよかろうかと思います。


ところが高度成長期以後、建築の近代化の結果、そういう暮らし方が滅びてしまった。 藤森さんの話を聞きながら、こんなことを考えていた次第です。



荻野


では、近藤さん。 どうぞ。



近藤 髙弘 (陶芸・美術作家)


きょうは、土とか、火とかの話が出てくるので、ここに呼ばれたのかなあと思っていたんですが、また、ちょっと驚いたことに、何とここのご住職の秋野さんは、陶芸家であり、私の父(濶)と五条にあった登り窯で一緒に作品を焼いていたとか、ろくろは、私の叔父(豊)に京都美大の時に習ったとかと、今日来て初めてお聞きし、不思議なご縁を感じています。


それで、「わかる」っていうことなんですけど、私の場合ですと、作品を作ってきたその体験の中で、わかるっていうことが、自分のリアリティかなあと思うんです。 私のイメージ・感覚で言うと、「みえてくる」っていう感じが、「わかる」ってことでしょうか。


これまで、私の作品は、日常に使う器ではなく、非用途的な造形や陶の要素を手段としてアートとして作品を20年ぐらい制作し発表してきました。


しかし、2011年の「3・11」以降、被災した方々に器をお渡しするといプロジェクトをきっかけに、もう一度、「ウツワ」というものを見直していくようになり、山から土を掘ってきて、それを登り窯や穴窯で焼くなど、この5年ぐらい試みています。


その中で、お茶碗を作ることが多いのですが、茶碗っていうのは、もっとも作りやすくて、最も難しい造形だと思うんです。 そういうことが、改めて、わかってきた。 例えば、盃とか湯呑茶碗を作るよりも、茶碗の大きさって、丁度一番、自分の「手なり」で作れる大きさなので、初めて土を触った人も、多分、茶碗が一番作りやすいと思うんです。 ところが、茶碗の造形というものを考えると一筋縄ではいかない所があります。 長次郎や光悦からこれまで多くの陶芸家が手掛けてきた茶碗は、非常に多様であり、かつ、その美意識の捉え方が難しい。 だから、茶碗という形態は、最も作りやすくて、最も難しい造形世界の一つだと思います。


2011年に、私は、被災地にお配りするための多目的に使えるお茶碗を約千点作りました。 その時、登り窯に千点茶碗を入れて焼きあがると、千碗とも微妙に全部違う。 同じ人間が作っているんですけど、焼いてる場所とか置いてるところの温度とかで、全部違う茶碗が出てくるんです。 その中で、私の感覚で、これがいいとか悪いとかと見比べて行くと、1番から千番まで順番がつけられるんですね。 だけど、ほんとにいい茶碗ができてるかどうかっていうのは、なかなか、自分の中で納得がいくものでもない。 そのように感じるようになって、また、改めて茶碗を作ってみる。 でも、まだ合点がいかない。 これを繰り返し、続ける中で何となく何かが掴めてくる、何かが、わかるっていうか、ちょっと「見え出してくる」っていうんですかね。 そして自分の昔作った古い茶碗や3年前、4年前に作ったものを、もう一度見返してみると、その時見てたものと、また違う見え方がしてくる、不思議なものです。 もっというと、「わかったと」思っていた自分が、実はまだ「わかっていない」のであるということを「わかる」こと。 そういうことを繰り返している中で、何か、茶碗の持っている「深さ」というものが見えてくるのかもしれません。


こうした体験の中でもう一つ重要なことは、名品といわれるものを見るということです。 しかし、実は見ているだけではわからないですね。 博物館とか美術館とかでは、ガラス越しに見るしかないんですけど、時折、桃山の名品とか、あるいは、例えば、加藤唐九郎とか、大家のものを、直に手で触れて、持って、裏をひっくり返してなめるように見る、体感する。 それを、たった一回ではなくて、できれば、自分のそばに何日間かおいて…。 次の日に見ると、また、違うんですね。 そうしているうちに、自分の体の中にしみこんでくるっていうか、「あっ、何か」っていうものが、自分の中で見えてくる瞬間がある。 こういう「わかる、わからない。 見える、見えない」の繰り返しの中で、自分の仕事が次の段階に行けるのかなと思っています。



山口 栄一 (京都大学大学院思修館教授)


私にとって「わかる」ってのは、多分ふたつあって、少年の「わかる」と年をとった「わかる」があるんですね。 少年の「わかる」の方から話をすると、それは、みなさん方も数学の問題を解いていてそういうことがあると思いますけど、解けた瞬間は、「わかる」って感じがしますよね。 私にとっては、どういうことかというと、分かった瞬間、それは絵になるんです。 例えば、シュレーディンガー方程式を見た瞬間に、答えがわかる。 その瞬間に答えが絵になるんですよ。 だから、絵になるっていう体験は、少年にとっての「わかる」で、まず、これが第一段階。 すごく大事ですね。


きょう、藤森さんのお話を聞いて、ひとつだけ、その体験、つまり少年の「わかる」体験を思い出しました。 それは庭の話です。 高田さんは、今、庭に対して藤森さんの話に異論があるっておっしゃいましたが、私は、とっても腑に落ちました。 「庭の向こうには、あの世があるんだ」って感じですね。


私は、少年時代、非常にけったいな子どもでした。 例えば、自分でいろんな遊びを考えて自分でやるんです。 その一つに、「黄泉の国探しごっこ」というのがあって…。 少年時代に、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の物語を良く読んでいました。 伊弉冉っていう女性の神様が、最後に火を生む。 その時に火傷をして、神様ですから死にはしないんですけど、黄泉の国に行っちゃうわけですよね。 それで、伊弉諾が探しに行く。 しかし化け物と化した伊弉冉にであって、逃げ帰り…という話。 物語を読んだ少年の私は、伊弉冉のいる黄泉の国を探しに行こうと思うわけです。 当時私は、福岡に住んでいました。 ご存知でしょうか、わが家にほど近い所には海があって、そこに三つ島が浮かんでいます。 能古島(のこのしま)と志賀島(しかのしま)とそして玄界島(げんかいじま)です。 黄泉の国は、多分、そのどこかにあるに違いないと思って、朝、旅支度をして、ボートに乗っていくわけです。 そして、一通り探検してくるみたいなことをよくやっていたんです。


大人になって私は、ヨーロッパに住み暮らしました。 すると全然感覚が違うなあと思いました。 彼らにとっての黄泉の国は、天上にあるわけですね、天上世界。 でも、私にとっての黄泉の世界は、水平の方向にあるわけです。 だから、庭の奥に黄泉の国があるんだっていうのは、すごくしっくりきました。 だからこそ、庭を作ろうとしたんだ。 だから、そういう日本古来の感覚が残っていて、浄土は、この向こうにある、あの世は水平の彼方にあるっていう感覚はすごくしっくりくる。



高田


今おっしゃったことに異論はありません。 ただ私は、禅宗の庭は、それとは違うやろうと言っただけなんですが……。



山口


ああ、なるほど。 で、藤森さんが、浮遊するような茶室、すごく狭い空間を作るっていうのも、すごくよくわかりました。 少年時代、よく、みんな木の上に家を作りますよね。 あの感覚だなあ、と。 つまり、やっぱりメタ(高次、超)の世界に行きたいわけですよね。 メタの世界に行くと、すごく心地よい。 それは、決して天上に近づこうとしているんじゃない。 多分、メタの世界から、この世を遠くまで眺めてみたいという感覚なんだろうと思って、私は、しっくりきました。 >



荻野 


ありがとうございます。 じゃあ、藤森さんお願いします。



藤森 照信 (建築史家 建築家 東京大学名誉教授)


いろいろモノを見ると、謎を感じることが多いんですよね。 で、それは、ずっと、ぼくの頭の中に大量にあって、何かの時にふっと、こうわかるってことがある。 例えば、ジャコメッティって(wikipedia)いう彫刻家が、やたら細く人間を作った。 だけど、人体をやたら細くしているのに、やたらでかいのが手と足なんですよ。 あの人は、ほとんど人体を消してるわけですよ、正面から見ると。 だけど、手と足だけがやたらでかくなっている。 一体なぜなのか。


最初、当然のように、足をでかくしないと倒れちゃうのだろうということも考えたけど、そんなもの、現代彫刻だからいくらでも、とめようはあるんでね。 大体、この画像のように、手はこうなってるんです。 足は、こうで…両方とも、やたらでかい。 ジャコメッティのファンは日本には多いし、矢内原伊作さんが、彼の親友で、いろいろ書かれているけど、なぜ、手と足だけあんなにでかくしてしまったかということについては、書かれていない。


ぼくが思ったのは、手は、明らかに祈っているんですよ。 それはわかったんだけど、足の意味はわからなかった。 でも、それがわかってきた。 私の大変尊敬している焼き物の伊藤慶二さんが、「祈り」というテーマで作った作品があったんです。 それは、足だけで作った。 それを見て、ははあー、って思った。 祈りってことと足っていうことはつながっていると思った。


仏足石というのがありますね。 仏さんというのを足で示す。 あれも不思議な習慣ですよね。 仏足石って日本ではあまりないけど、タイなんかに行くと、ほんとにでかい足のがありますね。 なんか、とにかく、祈るってことが、足とつながっているということまではわかった。 その論理的説明はしづらい。 ですけど、祈るってことを、ジャコメッティは、恐らくね、いわゆる一般的な意味での、神様に向かって祈るっていう形ではなく、祈るってことを考えたんじゃないか。 その時に足が登場してきた、っていうところまでわかった。



高田


ジャコメッティの彫刻は、なんだかホムンクルス(wikipedia)のイメージそのもののような気がします。 ホムンクルスとはラテン語で「小さな人」という意味ですが、それが転じて脳みその場所ごとに、それが人間の体のどの部分と結びついているのかを示した図を意味するようになった。 そこで、メチャメチャ大きな部分を占めているのが「二足歩行のための足」と「いろんな操作をする手」なのです。 その図柄は円形の脳みそを取り囲むように描かれるのが普通ですが、それを縦に伸ばして鉛直に立たせると、ジャコメッティの彫刻になるような気がします。


いずれにしろ人間の精神作用に占める足と手の比重は非常に大きい。 ジャコメッティは脳科学者ではなかったけれど、芸術家の勘で、それを見事に表現したのではないかと思います。



荻野


みなさんそれぞれから、「わかる」っていうことについての思いと、先ほどの話についての意見があったんですけども、きょうこの場で、いろいろな異論なりにあまりフォーカスしないことにしようかなと思っています。 つまり、「わかる」「わからない」っていうことを最初に問いかけたのもそれなんですけども、違う論があるっていうのがわかれば、わかったことになるのかな。 つまり、違いのところにフォーカスするのではなくて、何かを認識したり、わかるってことが、きょうの対談の中で、ものすごく大きな比重を占めていたような気がしたんですね。 あれとこれは違うんだ、向こうは排除するんだとか、そういうことではなくて、お互いが、どこか深いところまでいかれた会話をここで目にしたような気がしたものですから、違うものは違うものとして受け止めていきたいと思うんです。 特に今、藤森さんの「手はわかったけれども、足がわからなかった」とおっしゃったのですけど、こういった場所に来られるような長い研究をされてきた方が、「わからない」っておっしゃるのは、何かありがたい、思いがします。


それで、スピーチ、対談とお話をうかがってきて感じたのですけれども、藤森さんは、茶室の炉とか今のジャコメッティの手と足とか、いろいろ、「人の気づかない謎」に気づかれるようです。 それ以外にも、もっといろいろな謎にお気づきになっているのではないでしょうか。 それを、ちょっといくつかお話ししていただきたいのですが、どうでしょう。



藤森


例えばね、相変わらずわからないのは、なぜ土が、あれだけ人間に親しいものなのか、っていうことです。 そりゃあ、土の上に、全部あるからって言ったって、何もわからない。 私の場合ね、目に見えるもんとか、材料とか、そういうことの意味についての謎が多いですよ。


ずっと解けないのは、なぜ、土というのは、人の意識を吸収するか、っていうことと、なぜ、土というものは表現がならないのか。


新潟県立美術館館長時代の北川フラムさんが、「土の展覧会」という大きな企画をやったことがあって、見に行ったけどつまんないんです。 何の表現もない。 別にやらなくてもよかったんじゃないか…、まあ、そんなわけにもいかなかったんだろうけどね。 土は、やっぱり焼くってことをしない限り、訴えてこない。


あるいは、例えば、建築の横に植物があると、とてもいいんですよ。 でも、建築に植え込んだら、ずいぶん変なことが起こる。 うまくいかないんです。 私は、さっきも言ったように1回うまくいっただけで、失敗し続けている。 で、その経験から行くと、屋上庭園なんて、よく、みんな平気でやるなって思って。 最初から失敗するってわかっているのにね。 恐らくね、屋上庭園をやる人たちは、基本的に植物がわかっていない。 ぼくは、子どもの時からああいうものが好きだったから、失敗してもやり続けるんですけど。 まあ、1回、たねやで成功したので、これでいいやって気もしています。


究極の物質みたいなものに、興味があるんですよ。 電子とかそういう意味じゃなくてね、ひとつは土であることがわかった。 もうひとつね、可能性としてあるのは、炭なんですよ。 なんで、そう言えるかというと、無機物というものが、たたいたり、潰したりして、ひどい状態になると、最後は土になる。 山の石や岩が壊れ、川で運ばれたりしてぐちょぐちょになって、もともとなかった土に至る。 有機物は焼くと、最後は、大体、炭になる。 炭素だけ残りますから。 それで、炭というのは、人間にとってどういう印象を与えているんだろうか、ということに興味があって、ずっと炭は使ってきていた。 でも、どういう効果を与えているか、よくわからないんですよ。 本質的な物質に間違いないんだけど、さっき言ったような土のように人の意識を吸うわけでもないし、手でこねっていれば、みんなが黙々となるわけでもない。


建築に、炭を使ったというのは、私の前に誰もいないんです。 私は、焼杉っていうものを外壁に使うし、たねやさんの場合は、あれはさんざん実験してきたんですけど、実際の炭を割って、張り付けた。 だけど、それが、人にどういう働きをしているかわからない。 そういう分からないものが、建築とか絵とか彫刻の中で、いろいろあるんですよ。



高田


建築に炭を使う話は興味深いですね。 ただ、茶室に炉を切って炭を燃やしたのは、毒殺されるかも知れないという不安を払拭しようと、客の目の前で茶を点てるために必要不可欠だったのだと思います。


他方、土については、もっといろんな面白いことがありそうです。 実際、なにか病気になったりしたときに土を食べる鳥や動物は少なくありません。 そういえばフレミングが発明した抗生物質のペニシリンも、土の中から採取した青カビが原料だったわけでしょ? 最近ノーベル賞を受けた大村さんの開発されたアベルメクチンも土中の微生物を素材にしていたわけです。 そういう意味では人間の生理も土のおかげを被っているということになります。


まあ、こういう話は「答えにならない答え」のようなものですが、土は万物の源のようなところのある物質なのでしょう。


と申しあげたところで思い出すのは、タンザニアとケニアの国境周辺で出会ったマサイの人々の勇姿です。 彼らの体は真っ黒なんですが、彼らの立っている大地は鳶色なんですね。 で、彼らの膝のあたりに、真っ黒の肌と鳶色の土のグラデーションの部分があって、ちょうど大地から人間の体が生えているように見えます。 20年ばかり昔、片手に槍、反対の手にウオークマンを持っている彼らの姿を今、思い出して、土と人間の深い関わりに思い至った次第です。



荻野


マサイは、今や、地主になったり、すっかりお金持ちになっているようですね。 で、どこまでわかるか、わからないか―なぜ、これを問いかけたかといいますと、きょうのテーマが、「21世紀の課題を解き明かすヒント」ということになっていて…。 つまり、わかる、わからない―例えば、藤森さんがおわかりになっても、私はわからないと思うんですね。 ある人にはわかっていても、多くの人がわからないっていう中で、じゃあ、どうしたらいいんだろうか。 動物は、わかる、わからないとかは関係なく生きていると思うんですね。 そんなこととは違う次元で、さっきの類人猿のように、毎日ベッドを作り、捨てて、また作るってことをやっているだろう。 先ほど、藤森さんのお話をうかがって印象的だったのは、わかる、わからないってことがわからない状況で、始めていらっしゃる。 「21世紀の課題を解き明かす」っていわれて、その課題は何かも、明確な意味で、わからないかもしれない。 何もわからない中で、じゃあ、われわれは、どこに向かって、どう動いていくんでしょうか。


そこで、4人の方々におうかがいしたいのは、21世紀の課題って何か、わかっていればそれを聞きたいですし、わからないのであれば、一体何に向かって歩いていらっしゃるのか、それをうかがいたい。 特に、わかんないものに対して、どういうふうに取り組んでいらっしゃるのかってことをおうかがいしたいと思います。



山口


きょう来られている方の中には、博士号を取ろうとしている大学院生もいらっしゃると思いますので、その方々へのメッセージも兼ねて申し上げようと思います。 さっき、子どもの「わかる」について話しましたので、今度は大人の「わかる」について話します。 確かに、まだこの世の誰も見たことがないものを見ない限り、博士号は取れないわけです。 それは、もちろん車を修理するような知識にはならないけれども、でも、この世に既にあるものから突き抜けなきゃいけない。 多分、この突き抜け方っていうのは、例えば陶芸家が、これしかないっていうものを作る瞬間と同じだと思います。


先月のクオリアで、テーマの「無心」で出てきた世阿弥の言葉がありましたね。 それは、守=「似する」と破=「似せぬ」、そして離=「似得る」。 それで、「似する」から「似せぬ」っていうところに移行する瞬間が、大人の「わかる」です。 つまり、型を一生懸命勉強して、型のぎりぎりまで行くというのが、子どもの「わかる」です。 でも、この後、子どもの「わかる」でとどまったらダメで、それを破らなきゃいけない。 「守」「破」「離」の破をしなきゃいけない。 この破をするのが、大人の「わかる」だと思うんですよね。



近藤


自分の課題ってことで、お話させていただきます。 私、2002年にちょうど1年間、イギリスに留学しました。 その時の美術大学の主任教授が、いつも私に言ったことは、「この作品はインテンショナルかどうか」ということでした。 要するに、偶然にそうなったのか、自分の意志なのかということです。 これを、よく聞かれました。


もちろん、工芸でも、基本的には、21世紀に入った世界的な状況で言うと、アートに向かっていると思うんですね。 その中で、私自身も、陶芸もアートとしてどういう可能性があるかということを考え、ある意味で、イギリスの1年間はプラスだったと思います。


そこで、教授に言われたさっきの言葉なんですけど、もちろん、自分で作る意志とかコンセプトはすごく重要なわけです。 でも、先ほどから出ている土は、実は、裏切るんですね。 悪い意味でも、いい意味でも。 裏切ってくれる、そういう素材なんです。 だから、百%コントロールすることができないっていうことを、私自身は、よくわかっているわけですね。 でも、西洋美術の文脈でのアートシーンの中では、偶然だとは言っちゃいけないルールがある。 もう、10数年経ってますから、今はどうかはわかりませんけど、そういう課題が、自分の中に、やっぱりあるわけです。


先ほどから、藤森先生がおっしゃった「土のアートがひどかった」ってお話。 これ、ほんとにね、難しい話なんですけど、土の作品っていうのは、作為か無作為かってことが、常に内在しているんですね。 作家である以上は、自己コントロールの中で生まれてくることがベストだと思う。 しかし、自分というのを一切捨ててしまって、土そのものを生かしきるっていうのも、またとても意味があると思う。


要は、今、私自身が抱えている課題として、自らの意志という問題と、自然はコントロールできない、あるいは、土は絶対にコントロールできる素材ではない、特に焼いた場合、陶芸の場合ですね。 という偶然と偶然じゃないことのあり方というものを、自分の作家生活の中で、今後、どう考えていくか。 実は、以前自分がコントロールしたい造形、ということで、突き詰めると、もう、土を捨てるしかないと思った時期もあったんです。 土っていう素材を捨てても、造形はできるわけですから。


まあ、いまだに、土という素材を使いながら、私自身作家生活を続けているので、その問題ですね。 ただ、最近ちょっと思っているのは、無作為というのは、何もしないってことではなく「人事を尽くして天命を待つ」っていうところかなというふうなことを思っているところなんです。


さきほど、藤森先生が、「土から建ち上げていく」、それと「自然との間」ってことをお話しされていたと思うんですけど、そのことも関係してくると思うんですね。 人間と自然との関係の中のどこで調和を取るのか、調整していくのか、その辺が、自分の課題であり、社会のひとつの課題かなと思っています。



高田


家生活を営んでおられる近藤さんに対して、年金生活者のぼくはひたすら遊んでいます。 それを合理化する理屈もこしらえてあります。


まず大昔、人間は生きるために必死の営みをしていました。 食べるための獣を追い、魚を漁り、木の実や草の根を命がけで求めた。 ところが1万年ばかり前に農業が始まります。 その瞬間、直前まで命がけの営みだった狩りや魚釣り、木の実や草の根の採集が遊びになった。 人類史最初の革命が起こったのです。


ついで18世紀、今度はヨーロッパで産業革命が起こる。 すると、その瞬間に、農業の真似ごとが遊びになった。 園芸の誕生です。 それ以前に、花を育てて愛でるということを楽しみにしていたのはヨーロッパと中国、東南アジアなどの富裕階層を除くと、一般の庶民を含む日本人ぐらいだったわけです。


それからさらに200年余り、1970年代に情報産業革命が起こります。 その結果、何が出来たかというと、東急ハンズとロフト、ですね。 その何が新しいかというと、これらの店は、いわば建設業や工場でのものづくりのマネゴトを楽しむための道具や素材を売っているわけでしょ? こうして人間の営みは、いよいよ遊びを志向するようになったというわけです。


ところで今夜、私は建築をめぐる話題にも口出ししてしまいましたが、ここで改めて思い出すのは、近代化の過程で制定された建築基準法ですね。 それは建築が果たすべき「機能」ではなくて「基準」を定めたために、いろんな問題を引き起こしました。


たとえば、あらゆる建築はきちんとした丈夫な基礎の上に建てねばならないことになっています。 でもね、建築と大地とが基礎で強固に結びつけられているから、地震が起こると、それが倒壊するわけです。 もし逆に、基礎のない建築物を大地の上に置いただけなら、どんな地震が起ころうとも、位置はずれるでしょうが、そう簡単に倒壊することはなくなります。


そういえば、いわゆる在来工法以前の伝統工法の建築は、地面に置いた石の上に柱を乗せただけでしたから、けっこう地震にも強かった。 それに倒壊しても、その材料を使って家を建て直すことができたわけです。


まあ、建築に関しては、ずぶの素人ですから、偉そうなことは言えないのですが、こんな風に、いろいろイメージや思いを遊ばせていると、それはそれで面白くて楽しいし、ときに新しい知恵が芽生えたりもします。


昨年お亡くなりになった堀場さんは、「おもしろおかしく」を企業理念にしておられたのですが、そこには普遍的な価値がはらまれていたように思います。 というのも「面白い」という言葉の語源は、昔、祭の夜に神様に奉納するお神楽に関係があるんですね。 つまり、それが「面白い」と、村の人々の顔が舞台に向けられて白く輝くわけです。 それが「面白い」の語源です。


一方「可笑しく」は「笑うべし」という意味でしょ? では、どんなときに笑いは起こるのか。 ベルグソンは笑いを「既存イメージの転倒」と「権威への挑戦」という二つの条件で捉えました。 こうしてみると「おもしろおかしく」には大きな価値がはらまれているということになるのではないかと思います。 まあ、そんなことを考えながら、日々、遊び暮らしているという次第です。



荻野


では、藤森さん。



藤森


自分で自分のことは考えないようにしてるんです。 人から質問されて考えるようにしていますが、具体的に言うと、設計をどうやってやるかと聞かれた時なんです。 それは、もうとっても簡単で、とにかく、自分で案を描きます。 すると、その時よくても、翌日くらいには嫌になる。 それで、繰り返すわけです。 そうやって、いやなものをどんどん捨ててって、嫌でないものが何となく浮かんだところで、原案にするわけです。 これは、最初からそうです。


でも、その意味はわからない。 嫌なものを次々捨ててった後に残るものが何であるかはわからない。 人からいろんなことを聞かれるし、言われると「あれっ⁈」て、自分でも考える。 それで、だんだんいろんなことがわかってきて…、そういう感じですね。


自然と人間の作ったものの関係を何とかしなくちゃっていうのは、大学時代からの最大のテーマで、ずっと考え続けて今に至ります。 その結果わかったのは、何とも難しいことだっていうことです。


だから、エコロジストの言うことに興味はない。 興味がないというとおかしいけどね、まあ、こういうこと、つまり、エコロジストの作った建物くらい、面白みに欠けるものはない。 エコロジストたちも、恐らく自然と人間の作ったものと何とかしようと思っているのはわかる。 そこは同じ、基本的テーマは、同じなんですよ。 だけど、何か、私の考えるのと違う結果が出ているんです。 だから、エコロジーには積極的には近づかない。 幸いなことに、私の作るものにエコロジストは、あんまり興味を持たないですね。



高田


エコロジストを正確に日本語に訳すと「生態学者」になるでしょう。 そこで考えてみると、生態学者は家なんか建てないでしょう。 ただ現代日本でエコロジストというと環境保全の活動家といった風俗化されたイメージを呼び起こすわけです。 ですから、本来の意味でのエコロジストは――山極さんは正統的なエコロジストで、霊長類の生態を研究しておられるわけですが――自然を形成する多様な生命主体の相互関係を捉え直すことを本業としているのだと思います。 エコロジストは本来、観察者に徹しているはずだと思いますね。



荻野


動物は家を作らなかったけど、人間は家を作った。



高田


はいはい。 ただ、最も原初的な人間の住まいは、たぶん自然のなかに存在した洞窟だったはずです。 それは、体毛を失った動物としての人間にとっては、雨や風、つまりは寒さから体を守るための屋根が必要不可欠になったからです。 ただ、住むのに適切な洞窟は必ずしも容易に手に入るわけではない。 だから、人口が増えてきたら、洞窟と同様の機能を果たしてくれる家が必要になってきた。 そういうことではないかと思います。







荻野


では、会場から何かお話をうかがいましょう。



三木 敏和 (大阪経済大学大学院)


私、数年前、イギリスに行きまして、大英博物館で6千年前の泥人形を見ました。 世界最古の泥人形と思います。 それで、その時何だろうと思ったんですが、きょうのお話を聞いて、自分なりにヒントを得ることができました。


それは、どういうことかというと、輪廻思想、末法思想とか言語学というものが、インダス文明の辺りから出ました。 で、そういうことの話の中で、狩猟採取から農耕型社会になります。 火を使い、土を使い、焼きレンガができます。 「一日にして成らず」のローマができる2000年前に、インダス、今のパキスタンの辺りに都市国家ができてるんです。 ここで何が起こったかというと、周辺の森林を伐採して、その薪を燃やし煉瓦を焼き鉄を作った。 これで、植林もせず木を伐採し続けたので砂漠になったといわれています。


ですから、「京都から2030年を考える」中で、エネルギー、資源が今後どうなっていくかを考える起点に、私はこの2016年を考えていきたいなっていうふうに思っております。



上田 源 (同志社大学)


藤森先生にお聞きしたいのですが、芸術家と建築家っていうものは分けられるものでしょうか。 ものを作る限り、人間はなにかしら表現をする生きものだと思っているんですけど、そうなると芸術家も建築家も不可分と思うのですが。



藤森


まあ、昔は不可分だったんですけれども。



上田


何で分けたんでしょう。



藤森


それは、建築作るのは大変だからですよ。 構造とか設備とか、ものすごく他人が入ってくる。 ひとりじゃできないですから。



上田


先生がなさっているのは、建築なんですか。



藤森


まあ、建築でしょうね。



上田


ニラの家も建築ですか。



藤森


まあ、そりゃ間違いないでしょう。



荻野


さて、時間も迫ってまいりましたが、テーマに茶室ってあるんで、これに戻りたいんですけど。 藤森さん、茶室に関して、何かお考えをお話しいただけませんか。



藤森


やはり、利休が作った茶室の一番のポイントは、中から外が見えないってことだと思います。 世界のお茶を飲む空間は、気持ちよく飲むために、大体外が見えるんですよ。 煎茶は、広いところ。 野原でもやりますよ。 利休が、やっぱり、極めて異例なのは、一切外を見せずに、あの中でやったということ。 珍しいことと思います。 極限まで小さくした中で、火があって、外も見ずに、完全な自閉状態。 だから、ああいうようなところには、禅宗なんかの影響があるのかなとは思う。 ご存知のように、達磨さんは、外を見ずに岩だけ見て悟るわけですね。 岩を見て悟ったっていうのは、恐らく自分の内側を見ていたって意味だと思いますよ。


だから、そういうような自分の内側だけを見るっていうような、珍しいことを、建築で利休はやったのかなというようなことは思います。



荻野


例えば、私、行ったことないんですけども、砂漠の砂嵐があるところでは、そんな大きな窓はつくれないと思うんですね。



藤森


大体、中庭を作るんですよ。



荻野


すると、内にこもる性質が結果的に出てくると思うんですが、実際に歩かれて、大きさとか全然違いますが、こもるということで、茶室との類似性なり何か感じられることはありますか。



藤森


日本のようなところで建築的に内向するっていうのは、不自然なことなんですよね。 湿気も多いし、暑いし。 砂漠地帯は中庭を作って外には閉じるんです。 それは、外の気候が酷いから、閉じて、中庭に水をやって緑を作る。 それは、砂漠地帯では大体そうです。


日本で、建築家たちが内向したことが2度だけある。 ひとつはね、分離派という1920年代に堀口捨己さんたちがやった時。 ダーッと震災復興とか工学的側面が主流だったことに対して、彼らは田園に行く、都市を捨てる、ということで内向したんですね。 その内向した人たちがその後の主流になりますけど、その時は異常なことだった。 さらに、もう1回内向がありまして、言葉はお聞きになったことあると思いますが、1960年ごろからの「メタボリズム」の時代です。 その代表は黒川紀章ですけども、京都とも縁が深い。 その時代は、日本が高度消費社会に入った時で、どんどん外に外にと向かい始めていた。 その時に、「もう都市はやめた」って言って内向したのが、磯崎新と原広司。 それに続いたのが、伊東豊雄、安藤忠雄、みんなぼくらの世代。 安藤さんのデビュー作ってのは「住吉の長屋」って、あれ、入り口がわかりませんからね。 窓がないのはわかりますけど、入り口は、入った横に開いている。 伊藤豊雄は、完全に窓のない家を作り、原さんもそういうのを作り、磯崎新は外の見えない家を作った。 みんな自閉したわけ「メタボリズム」に対して。 そうして、その人たちが、今の主流なんです。


いったん自閉した人が、開き始める時がある。 それで、次の時代の主流になっていく。 つまりね、自閉っていうのは、何かを守るためだったんですね。 守るために自閉したんです。 建築の何か大事なものが、このままではいかんと。 黒川紀章と一緒にやっていくと建築がダメになる…。


黒川さんの人生は興味深いんだけど、最初は、ちゃんと時代の流れの中を泳いでいた。 だけど、途中から、浮いて流れるようになって、最後はおぼれて沈んだというように私には見えている。 だから、大事なものを守るために、社会の流れとか時代の流れというのをいったん切った時期ってのがない人は、結局、流されて終わるんじゃないかというようなことを考えています。



荻野


最後の質問になりますが、藤森さんが「閉じた時期」はいつだったんですか。



藤森


圧倒的に、大学時代です。



荻野


それからは、ずっと外に開いた。



荻野


いつごろからですか。



藤森


うですね、開いたっていうか、仕事が認められて、声をかけられ、だんだん穴が開いてったって感じですね。



荻野


どうもありがとうございました。 ちょっと、まとめとは程遠いのですが、時間がまいりましたので、これでお開きにしたいと思います。




≪続きはWEBフォーラムで…≫

 

 


 

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