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第7回クオリアAGORA 2016/対談



 


 

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対談

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対談:藤森照信×山極 寿一(京都大学総長)

 



山極 寿一 (京都大学総長)


藤森さんは、45歳までまじめな研究者であったということですが、私は、62歳までまじめな研究者でありました。 が、この1年半ほどは、やくざな「職業」についております。 専門は人類学と霊長類学で、ずっとアフリカでゴリラの研究をしてきました。 まあ、人間の進化を、ゴリラの生態、暮らしから探ろうというのが趣旨で、きょうの話は、それに、すごくいろんなインスピーレーションを与えてもらいました。


さっき、矩庵に上らせてもらったんですが、「おおっ!」て思いました。 空中茶室なんだけど、これは、類人猿の世界に入っていくなあと思ったんですよ。 というのはね、類人猿というと、オランウータン、チンパンジー、ゴリラですよね。 体の大きなゴリラは、地上にベッドを作ることがありますが、チンパンジー、オランウータンは絶対木の上に作るんです。 地上っていうのは、ものすごく危険な世界なんですね。


彼らの生活のほとんどが木の上にありますから、木の上でエサも食べ、眠ります。 ですから、彼らは家を作らずに、ベッドを作るわけですよ。 類人猿は、サルと違って体を大きくしちゃったので枝の上でバランスが取りにくい。 それから、サルは頬袋を持っていて、そこに食べたものを詰め込んで、安全な場所に行って食べることができます。 でも、類人猿は、頬袋がないから、その場で食べるしかないですね。 だから、長いことそこにいなくちゃいけない。 尻だこもないから、枝の上に座って眠れない。 安定が悪いので、ベッドを作るしかない。 夜も、木の上でベッドを作って寝るわけです。


恐らく、初期の人類も、ベッドを作ったと思います。 木の上にいたはずですからね。 それで、木から降りてきて、森を離れて草原で地上を歩き回ることになったんですが、ベッドの痕跡がないんですよ。 つまり、どっかで、ベッドを作るのをやめてしまった。 私は、それが、家のそもそもの始まりだと思っているんです。


暮らしというと、衣食住と言いますね。 よく考えてみたら、衣食は、個人の好みを反映できる。 でも、住はね、ひとりじゃダメなんですね。 これは、そもそも「共同」という、誰かと一緒にという条件が入っている。 茶室もそうですよね。



藤森 照信 (建築史家 建築家 東京大学名誉教授)


ひとりでいたら、気持ち悪いですよね。 茶室は、やっぱり、最低二人ですよ。 ひとりでずっといたら、変な人ですね。



山極


今、いろんな空中茶室をスライドで見ながら、ああ、これは、ベッドとは違うなあと思ったんです。



藤森


そうか、ベッドってのは、基本的にはひとりなんですね。



山極


ひとりです。 類人猿は、子どもは別ですけど、大人になると絶対、ほかのやつとは一緒に寝ないです。



藤森


木の上で、それぞれが作るっていうことですか。



山極


そうです。 しかも、毎晩、違う場所に作ります。



藤森


えっ、それはまた、どうしてですか。



山極


それは、おそらく寄生虫対策なんです。 ベッドに糞もしますから、熱帯なので、すぐ寄生虫がわくんですね。 あるいは、病原菌とか、あっという間に増えますので、ベッドを捨てるというのが重要なんです。



藤森


すると、毎日捨てていくんですか。



山極


毎日、毎晩…。 ほとんど繰り返しては使わないです。



藤森


同じ場所に戻ったりもしませんか。



山極


同じところに戻ることはあっても、別のところに作ります。



藤森


ゴリラは、地上でベッドを作って、それを繰り返すんですか。



山極


いや、木の上でも作るんですよ。 でも、地上でも作るということです。 さっき、「地面から生やしたい、離れたい」っておっしゃったけれども、面白いと思いました。 実は、あれ、類人猿感覚なんですね(笑い)。  ゴリラは地上にベッドを作っても、ちょっと離すんですよ。 枝や草を下に敷いて、地面に直接接しないようにするんです。


さっき、進化の過程でヒトはベッドを捨てたって言いましたが、じゃあ、類人猿のベッドとヒトの家の違いは何だろうといったら、これわかります? 家と言われるものは条件があるんです。 さっき、トンブクトゥでしたっけ、あのモスクを見てびっくりしたんですけど、例外ですね。 人間の家には基本的に壁と屋根があるんですよ。 壁がないものは個人の家とは言わない。


アフリカには、「バラザ」っていう集会所があるんですけど、これは、壁がないんですよ。 壁を作ったら、バラザとは言わない。 周囲どこからでも見えるようになっている。



藤森


ああ、見たことある。 屋根だけあって、男が集まったりする…。



山極


大体、村は通りの両側に家が並んでできるんですけど、その通りの真ん中に、必ずそのバラザがあって、どこの家からも中が見えるわけですよ。 そこに誰がいて、耳をそばだてれば、何を話しているかが聞こえる。 それが、まさに、村の、何て言うか「道徳の中心」なんですね。 そこに、村長(むらおさ)がいて、旅人が来ると、そこに立ち寄って、お茶を所望する、お酒を飲む、あるいは食事をする。 その時、自分の素性や目的を話して、泊まりを許されれば泊まるし、だれか助力を頼むとか、交渉ごとの場なんですが、それが、常にあけすけになっているということが重要なんですよ。


ところが、家というのは、やっぱり公共のものだけど、見えちゃいけないんですよ、中の秘め事が。 だから、壁があるんです。 不思議なことに屋根もあるんですね。 屋根ってね、天気のいい日はいらないと思うんですけどね。 そんなに雨が多いわけじゃないし、特に砂漠なんかでは。 まあ、日は照るかも知れないけど、そんなに、きっちりした屋根を作ることはない。


ところで、さっきのモスクは、屋根も壁もないじゃないですか。 あれはすごいと思いましたね。 何か約束事があるんでしょうか。



藤森


ええ、ただ、モスクの上がボツボツとんがっていましたね。 これで、唯一表現らしいのが、これなんですよ。 建築の人は、論じていないんですけどね、文化人類学の川田順三先生がものすごく面白い説明をしてくれています。 彼が、泥の家を作っているのを見ていると、昼休みになると、コーンを作って食事に行く。 そして、帰ってくると、それを基点に、再び型を作り始める。 それがないと、ずるずる、ガサガサしちゃうようなんです。 それが、もとではないかとおっしゃってたんです。 不思議なものと言えば、不思議です。



もうひとつびっくりしたんですけど、もともと、マリっていうか、アフリカの家っていうのは、泥で作った上に、三角の帽子みたいに木の屋根をかけていたんです。 それが消えたのは、イスラム教、モスクが入ってきた時からです。 トルコとかには、古い人類が作ってきた泥だけの家っていうのはいっぱいあって、恐らく、それが入ってきた時、木の屋根をかけない文化も入ってきたのではないか。


基本的には、アフリカの家ってのは、木の枝なんかで屋根がある。 これに対して、黄金の三日月地帯は、発掘によると、屋根のない泥だけの家がある。 イスラム圏の古い都市は、みんな屋根がなかった、ということのようです。



山極


ょっと、お伺いしたんですけど、泥の家っていうのは、基本的には、あまり湿度のないところですね。 人間の祖先は、恐らく、熱帯起源で、なおかつ、熱帯雨林で生きてきたのが長かった。 類人猿との共通祖先の時代には、ずっと熱帯雨林にいたわけですからね。 だから、そういう環境に、ある程度、体も心も慣れている、と思うんですね。 それが、だんだんと乾燥地帯、特に、冬場は、凍れば乾燥しますよね。 そういうところに出ていくにしたがって、泥という不定形なものを使わなきゃならなくなった。 それまでは、木でよかったと思うんですよ。



藤森


アフリカ的に言えば、枝の家ですよね。



山極


これはねえ、長もちしないんですねえ。 白アリがいてすぐつきますから。 どんどん作り直さなきゃいけない。 私は、ピグミーって呼ばれる狩猟採集民の人たちと一緒に、ゴリラの仕事をしてますけども、彼らと森に行くと、とにかく枝っていうか蔓と葉っぱだけで、1時間ぐらいで家を作っちゃうんです。 円錐形に蔓をたわめて、そこに小判型した葉っぱに切れ目を入れて、下から刺していくんです。 それで壁ができる。 葉っぱを下から刺していくので、雨が降っても決して中には漏れてこない素晴らしい家です。



藤森


今言われて、思い出しましたけどね、恐らくね、マリのドコン族の辺りは、ちゃんとみんな屋根に木の枝が乗ってんですよ。 それが、イスラムが入ってきて木の枝を取るようになったっていうことなのですね。 それと、もうひとつ、土の問題で面白いなって思ったのは、おっしゃった乾燥地帯に行って、初めて土を使うようになったということなんですけど、そうかなと思うのは、日干し煉瓦っていうのは、本当に驚くべき分布をしているのです。


例えば、中国、韓国には、日干し煉瓦が来ています。 中国では、今でも作っています。 何とあの、暑苦しい台湾にもあります。 それで、日本には入らなかった。 ただ、日本にはね、奈良時代に入った可能性がある。 なぜかっていうと、奈良にだけ、泥の、乾かして積む工法がある。 奈良にだけ、今でも行くとやってますよ。


ぼくが驚いたのは、日干し煉瓦はアルプスを越えているんですよ。 ぼくが、オーストリアで仕事をした時、ウィーンの近くですけども、村をずーっと歩いていたんですね。 すると、なんか変なんですよね、よくわからない構造があった。 それで、崩れたのを見たら、全部日干し煉瓦。 あの寒いとこでもやっている。 それで、もっと驚いたのは、バルト三国。 初めて行ったんです。 二度とは行きたくないと思いましたけど…。 建築的なものは、やっぱり富がなかったところは、あんまりいい建築が残っていない。 古い形式も残ってないんですね。 ところが、そこで、日干し煉瓦を使っているんですよ。 びっくりしましたね。


だから、日干し煉瓦は、もちろん、アフリカ、アメリカにもありますし、人類の家は木から始まり、木で作り続け、乾燥地帯に出て行って、恐らく地中海沿岸に行くあたりで、どんどん、日干し煉瓦を使ったと思うんですけども、その日干し煉瓦っていうのは、実は、一番簡単な建材ではあるんですよね。 だから、たくさん使ったんだということは言えますね。



山極


なぜ土を使いだしたかというと、単純に建材がなかったんでしょうね。 サバンナですからね。 ちゃんとした家を作る木がなくなっていく。 だから、極端な例が、マサイの「マニアッタ」っていう牛の糞で作ったやつです。 あれは、材料が乏しいところで、しかも土を使わなくても済むっていう、非常に便利な方法なんです。 やっぱり、人間は火を使い始めてから、木の家を長持ちさせることができるようになったのだと思うんです。



藤森


ああ、乾燥させるから?



山極


いや、虫なんですよ。 煙で燻す。 煙を使うことで、食料の貯蔵とか、家の耐久性とかいうものを長引かせることができたんだと思いますよ。



藤森


お話を聞いてて思ったのは、どうなんですか、ゴリラは、やっぱり虫とか嫌なんですかね。



山極


嫌なんですね、やっぱり。



藤森


ゴリラが虫を嫌がるって、なんだかゴリラらしくないなあ。



山極


ははは。 実はね、類人猿から進化の過程で、人間がなぜ、裸になったのかっていうことも、まだわかってないんです、はっきりとは。


毛皮というのは、実は、非常に便利なものなんです。 確かに、シラミなんかが入ると、毛根に卵を産み付けますから厄介なんですけども、まあ、それは手で取りゃいい。 だけど、ほかの蚊だとか蜂だとかいうのは、毛皮の中に絶対入れないですから。 もちろん、ゴリラとかチンパンジーは、裸の部分があります。 だけど、その部分だけ虫を払っとけばいいんです。 ツエツエバエもあの毛皮には、絶対入れないんです。


だから、毛皮っていうのは、実は、ほんとうに衛生的なものだったんですよね。 だけど、巣を作っちゃうと、そこには虫もわけば蛆もわきます。 虫が卵をうみつけて、熱帯ですから、あっという間に幼虫になり成虫になり…、それが嫌なんですね。 だから、毎晩、ベッドを作り替え、捨てていく。



藤森


ベッドを作るようになってから、捨てざるを得なくなってきたわけ。



山極


その前にね、もともとサルというのは、ベッドは作らない。 体が小さいですから。 そのかわりに、尻だこがあって、木の枝に長時間座っていられるわけですよ。 毎晩のように寝場所は変えるんです。 ただし、巣は作らない。 その生活自体は、ゴリラもチンパンジーもサルも変わらないんですね。 ただ、ゴリラとかチンパンジーは、体が大きくなって、体の安定をつけるために快適なベッドを作るようになった。 それが、サルと違うとこなんです。


「遊動生活」というんですけど、毎日、違う場所で、新しい資源、食料資源をあさっていくっていう生活なんですが、人間も、そういう生活をずーっと長くしてたはずなんです。 牧畜とか農耕をするようになる前はね。 だから、遊動生活のころは、キャンプ生活だったろう。 ある程度、家は作っていただろうけど、さっき紹介いたしましたピグミーの簡単な家みたいなもので済んだわけですね。 それが、定住して何度もそこに戻るようになって、安定した構造物が家として必要になったということだと思います。


それで、きょう、もうひとつお聞きしたかったのは、「なぜ、茶室があるの」ってことです。 小さな家、例えば、さっき申し上げたピグミーの家は、基本的にひとり用、せいぜい二人用。 たくさんで住むような家じゃない。 それが基本なんです。 その小さな草ぶきの家の配置というのが、実は人間関係を表しているわけですね。 真ん中にはたき火があって、火というのは共同で使うもの。 家は、基本的に、身内や親密な間柄のものか、自分のものだったわけですよ。 それが、だんだんと大きな家になっていった。


でも、茶室というのは寝る場所じゃないですよね。 今言ったような意味での家ではない。 社交っていうか…。



藤森


ええ、社交、最少二人で、ですね。



山極


わざわざ、狭いところに入って、不自由な格好をしながらお茶をいただいて…ははは、こんな野蛮なことを言ってはいかんけど、そういう場所を、藤森さんは、なぜ、家と認め、茶室をお作りになったのか、そのあたりの心境をおうかがいしたいんです。



藤森


そうですね、茶室は徳正寺で作ったのが最初なんですけど、実は、これ頼まれたから…。 と、これでは、身もふたもない言い方ですね。 実は、私はね、茶室にはずっと興味はあったんです。 何でかと思いますが。 ぼくの場合、当然ですけど、大学で茶室のことは習うんです。 それで、習うと、堀口捨己っていうね、神話的な大先生がいた。 もう、研究は、この人で終わってると思っていたんですよ。 出る幕がない。


で、徳正寺に頼まれ、茶室を作っていて、思わぬ体験をしたんです。 工事の途中、炉を切っていたんです。 そしたら、煎茶の小川後楽さんが寄られたんですよ。 徳正寺は、小川さんに煎茶を習ってたらしくてね。 すると、後楽さんが、「炉を埋めろ」っていうんです。 煎茶では、炉は使わないんですよ。 それなのに、煎茶やってながら徳正寺は、ぼくといっしょに炉を切っていたんですよ。 いいお弟子さんじゃなかったんだろうね。 (笑い)


これが、ものすごいショックだったんです。 茶室というのは炉を切るもんとばかり思っていた。 ところが、炉を切らない茶室があるんだって知った。 堀口先生で終わっていなかったんですよ。 知らないことがいっぱいある。


考えてみたら、あんな狭い中で、火が入るって異様なことですよ。 キャンプのテントの中で火を燃やすようなものでね。 炉の問題を、こりゃ考えなきゃいけないと思った。 そこで、調べたけれど、誰もこのことに触れていないんですよ。 もっと、言うと、なぜ、あんな狭いところに火を入れているかっていうことを、誰も不思議に思っていない。 千利休以来、ずっと、当たり前のようにやっているからなんですね。


火の存在は、茶室研究にとって、空気みたいなもんだったんですね。 こりゃ、根本的なところが論じられていない。 それで、関心が湧いた。 先ほど言ったように、火の有無は、神の住まいと人間の住まいの差ですから。 まあ、この徳正寺でのことがきっかけになり、茶室のことを、せっせと考えるようになったわけです。



山極


火っていうのは、人間の目線から下にある時は、非常に大人しいんですよ。 上にいけば行くほどね、大きなシンボルになってしまう。



藤森


ああ、そうか。 なるほどね。



山極


狩猟採集民の人たちと、森の中でキャンプしたりするんですけど、火というのはね、誰でも、どんな場合でもつけることができる。 それが、彼らの暮らしの哲学ですから。 火をつける道具を、必ず持っているわけですよ。 雨が降ってきたり、夜になったりすると必ず火を焚く。 それは、やっぱり、動物から身を守るためだし、虫をどけるためだし。 そこは、暖かい場所だから、自分ひとりだけの場所ではなく、複数の仲間と火を囲み団欒する場所なんですね。 共同する原点なわけです。 でも、必ず火は下になければならない。


だからこそね、藤森さんは、空中で炉を焚くというのは、神の領域に近づこうとされたのかな…?!



藤森


いやいや、それほどのことは思ってないけどね。 神の領域に近づこうというわけではないんだけどね、ただねえ、狭い空間が、何かこう、この世と違うものとの接点であるっていう感じはあります。



山極


ああ、最後にね、なんか、建物が空中から降ってきたって話がありましたね。



藤森


そう、伊東豊雄が言ったんだ。



山極


そらね、まさにその話だと思うんですよ。 聖火って神の領域なんですよ。



藤森


確かに、聖火がこのへんにあったら、いい加減にしろってことになる。



山極


近づきがたい明かりというのがあって、それを、人間は、だんだん足元に置けば置くほど…、恐る恐る近づけてくると、自分のものになるっていうことを知った。 一番重要なことは、そこで食べるものが得られる。 その一番簡素化したものが、茶室なのではないか。



藤森


確かに、あのお湯でお茶飲むわけですから…。 飲食とは言えませんけど、飲み物を汲んで飲みますからね。



山極


まさに、自然のものではない。 火が人間の手に入るということによって、自然から人間世界に引き込まれたものを、やり取りするというのがね、それが、茶室の原点のような気がしますけどね。



藤森


年を取ってきたせいもあると思うんですけどね、確かに、この世からちょっと離れるっていうことへの興味もあるんですよ。 最初に、それを気づいたのは、庭の問題で、昔歌人の塚本邦雄さんから言われたことなんだけど、江戸時代の言葉で「庭は末期の目で見るべし」っていうのがあるって。 庭っていうのは、死の直前に初めてわかるものだって。 なるほど、って思ったんだけど、確かに、元気な子どもで、庭をじっと見ているなんて見たことないです。 気持ち悪いでしょう、龍安寺の石庭を子どもたちがじっと見ていたら。 やっぱり、ある程度、年を取ってこないと庭なんて見ない。


庭はね、死の直前に見る光景かも知れない。 なぜかというと、歴史的にいうと、「浄土庭園」っていうのが、日本の庭の基本で、要するに、これが、奈良時代の末から平安時代にかけて成立してくるんですけど、庭っていうのは、あの世、極楽の象徴で、阿弥陀様がいて…。 まあ、一番わかりやすいのは、平等院ですけどね。 「州浜」っていうのは、日本の庭にしかないもので、水辺から、石が敷いてありますよね。 あれは、「あの世」の光景で、ももとは、もしかしたら、中国の蓬莱山なんかで、海があって、州浜があって、上陸して上っていくと、そこにカメがいて、じいさん、ばあさんがいて、松が生えていて…、千歳飴のパッケージ、あれがそうですけど…。 ああいう、浄土信仰が、日本の庭を育ててきた。 浄土信仰というのは、あの世をこの世に作り、阿弥陀様も訪れてくれるというものですね。 造形物の中で、庭が、あの世への通路ではないかと感じているんです。


それでね、2年くらい前、西本願寺に、取材で行った時、その時、一番いい座敷―白書院だったか、黒書院だったか―そこから庭を見ているとね、なんか、本願寺のせいもあるんですけど、庭の向こうが、ずっとあの世に通じていくような変な感じがしました。 そういうようなことを、建築に求めているのかなあ、と。 それが、ちょっと不思議な、ふっと浮いた感じにしたいと思わせるのかな、と。





山極


これ、ちょっと聞きかじった話ですけど、キリスト教やイスラム教の庭というのは、人間の視点ではなくて神の視点で作られていて、天上界にいる神と対話をするためのものである、と。 だから、非常に幾何学的に作ってあるわけですね。 日本にも龍安寺の石庭とか、非常にソフィストケートされた庭もありますけど、日本の庭というのは、やっぱりこう、歩いて遍歴するような、そして、さっきおっしゃったような、浄土に行くような、あの世と、どっかで、つながっている感じがする。 つまり、現世から来世へと、人間が歩いて遍歴をしながら、奥でつながっている。 人の目で見上げるような形で作られている、って聞いたことがありまして、庭の作りと家の作りも似ているのかなあ、と。


先ほど、モスクも泥とは言いながら、地面から天に立ち上がるようになっている。 あれが、日本の建築にはないのかなあ。



藤森


あれはないですよね。 横へ横へと行って。


それで、天井って、木造では、日本にしかない。 中国なんかは、屋根の構造まで見えますよ。 天井がいつからできるかというと、書院造りっていって、中世に現れる。 どっかでね、空間が上に行かなくなる、日本のいろんなものが。 庭もそうですけど。 なんか、スーって横に行って、斜め上くらいに上がって…。



山極


それは、なぜなんですかね。 やっぱり、神様が上にいないで、そばにいるからでしょうか。



藤森


そう、恐らく、やっぱり、神様が山にいたり、野にいたり、あんまり高いところにいないっていう。



山極


それはね、熱帯雨林に住んでるとわかるんですけど、空が見えないんですよ。 熱帯雨林の中にいますとね、全然見えない。 星も見えないです。 キャノピー(林冠)で覆われちゃっていますから、木の間隠れに太陽とか星がちらちらっと見えるだけなんです。 空と大地を分ける地平線なんか、もちろん見えません。 そういう切れ目がないんですよ。 だから、全部ひとつながりの世界になっているので、しかも、重要なことは、熱帯雨林というのは、向こうが見えないんですよ。




藤森


向こうが見えないし、全体を見ることができないということですよね。



山極


全体という観点がないですよ。 部分でしか付き合えないわけですから。 しかも、どんな動物が現れてくるかもわかりません。 要するに、非常にいい加減な世界なんです。 砂漠、サバンナだと、すべてが見えますから、これはあらかじめ予測できる世界になる。



藤森


すると、海の中に入ったようなもの。



山極


緑のカーテンの奥に、何が隠れているかわからない。 どんな虫や鳥が来るかもわからない。 出たとこ勝負なんですよ。 予測不可能です。 だから、例えば、仲間の経験を生かすといったら、とっさの経験しかないわけです。 あらかじめ準備しておくというわけにはいかない。 でも、砂漠だとかサバンナの世界っていうのは、全部見えますから、ライオンがいても、あの辺にいれば安全だということを予測できる。 腹がすいたような顔をしたら、やばい、となって逃げる。 シマウマとライオンは、よくすぐ近くにいるんです。 すべてが見えて、行動が予測できないと、そんなことはありえない。


つまり、絶対隠れられない世界なんです。 だから、壁が必要なんです。 区切りが必要で、それが、持ち運びできるポータブルなものであってはいけないっていう観念が、どっかにあるんじゃないですかね。 地面から生えて、そして天に届くっていうひとつながりのストーリーがないと安心できないんじゃないですか。


それに比べ、ジャングルの世界っていうのは、全部、ポータブルですから、いつでも作り替えられるし、壊れるし。 そういういい加減なもので、それが生き方の思想にも入っているんじゃないかと思うんです。



藤森


そういうジャングルの中から発生した宗教はあるんですか。



山極


日本の神道はそうだと思いますし、仏教もそうだと思います。 インドですから。 やっぱり、熱帯の森林、菩提樹もそうですけど、木と切っても切れないものです。 樹木というのは、人間の一生をはるかに上回って生き続けますから、何世代も木がつないでくれる。 そういう木そのものが、人間の一生を超えたストーリー性を持って伝えてくれますから。 つまり、「私のおじいさんのころから、この木はいたんだね」っていうところから、アフリカでも日本でもインドでも同じようなストーリーが生まれるわけですよ。


そういうものに、「家」を託すっていうのが、一つの思想的な根底になっているんじゃないでしょうか。 だから、それを上にあげちゃうというのは、びっくりするような考え方の転換という気がします。



藤森


高過庵を作った時に思ったことがあって、独特の気持ちのよさなんです。 村の人たちは、日曜日、周りの畑に来て畑仕事をやってるわけです。 もうみんな、昔から知っている人だし、高過庵の中に上がってたもあるんだから、当然なんだけど、もう振り返りもしない。 その様子を高過庵から見ていてもそのことにも興味がないまま、ごく普通に仕事をして帰っていく。 それを見ている時の幸せ感っていうのは、すごいね。 当然、桃の花が咲いたり、もちろんそういう村の光景もあるわけだけども。 その時、いい感じなんですよ。 その時、「地上よりも高く、神様よりも低い位置」って、そういう感じがした。 ちょっと上がったところから眺める幸せ。



山極


マンションって、上へ行くほど値段が高いですね。 なぜでしょうね。



藤森


眺めでしょう。



山極


ぼくは嫌なんですよ。 地上に住みたい。 社長室もビルの上の方にありますね。 やっぱり、人間の「見下ろす」っていう感覚に対するステータス意識なんでしょうかね。



藤森


ただね、ちょっと上がってるくらいがいいんですよ。 声をかければ届くくらい。 この幸せ感。



山極


それがあの高さなんですね。



藤森


ぼくはブリューゲル(wikipedia)の絵が好きなんですよ。 で、ラファエロ(wikipedia)が大嫌いで。 ある時ふと気づいたんです。 ラファエロは完全に見る人たちを意識して描いている。 みんな神様に対して、敬虔な人であるよってことをみんなに見せています。 ところが、ブリューゲルの絵は、特に農民を描いた絵がそうですけど、農民たちは、こちら側を意識していない。 勝手に、ほんとに宇宙人が来て覗いたような状態で、平気で、登場人物が背を向けている。 ラファエロの絵には、そんなことはない。 まるで、キリスト教の舞台劇をやってるみたいです。 で、ブリューゲルの絵は、ちょっと高い、視線が。 それが、私の好きなところです。



山極


鳥瞰図っていうのがありますね。 人間は、やっぱり、鳥にあこがれるんですよ。 実は、非常に面白いことに、樹上性のサルにとって、高い位置は全然偉くないんですよ。 それは、地上性のサルだけなんです。 ヒヒとかニホンザル、地上で暮らすサルは、目線の高さが重要なんです。 ところが、樹上では、自分より高いところにいるのは決して偉くないんです。



藤森


ああ、だから、猿山で、お山の大将ってのが出てくる。






山極


地上っていうのは、体の大きいのが強い。 でも、樹上では、大きいのが強くないんです。 枝から枝へ自在に渡れることが大事で、体の大きさが強い弱いに響かない。 地上だと、大きいと勝っちゃうし、餌や場所を独占できる。 体のでかいやつは、目線も高いわけですよね。


これ、仮説のひとつですけど、人間がなぜ二足で立って歩くようになったかというと、より高いところに目を持っていこうとしたという説もある。 サバンナの中で、草に覆われているわけですが、その上から出る顔というのが体の大きさを表すわけです。 立って草の上から顔が見えていると、すごくでかく見えるわけですよ。 そんなふうにして、肉食獣に対抗したんじゃないかと言う説があって、目線の高さとか、ちょっと高いところにこだわるのは、ヒトが地上に降りてきてからなんだろうと思います。


寄席で高座ってありますけど、そこで演じる時、視線を見上げるのと見下げるのとでは人物の意味が違う。 見下げる方が強いわけでしょう。 この感覚っていうのは、多分、人間が地上に暮らし始めてから獲得した性質だと思いますね。



藤森


すると、サルの場合、上の方に行くのはあんまりよくないのが行くんですか。



山極


小さいのが行きます。 ところがね、おいしい果物は、枝先にあるんですよ。 体があまり大きくなり過ぎちゃうと、それが取れない。 小さくて、すばしこいのが先に取ってしまう。 決して体の大きいことは有利なことではない。 ただ、地上では、やはり大きいことが得なんですね。



藤森


ゴリラは、じゃあ、体が大きいから上はやめて下に来た。



山極


体を大きくして、下にも降りられるようになった。 だけど、ゴリラのエサのフルーツは、木の上にありますから、小さいゴリラも得なんです。 ゴリラは、地上では、体の大きなオスが有利ですが、樹上では不利です。



藤森


だけど、大きくなる方を選んだ。



山極


地上へのあこがれが強かったんでしょうね。 つまり、木から木へ渡り歩くには、木と木が重なっていないといけない。 ギャップがあると渡れず、地上に降りなくちゃいけない。 すると、途端に体の大きさってのが響いてくる。 やっぱり、地上に降りてみたかったし、体が大きくなると、エサがたくさんいるので、広い範囲を動き回らなくちゃいけない。 そうすると、どうしても体が大きいことが有利になる。 より広い方へ、広い方へっていうんで、次第に体を大きくしていったんですね。



藤森


ちっちゃくても優秀なサルがいますよね。 知能は高くて…。



山極


ああ、南米のオマキザルですね。 知能っていうのは、課題を解決するためにモジュールとして進化したわけですから、チンパンジーの知能とオマキザルの知能とは違うと思うんです。 どっちが優れているっていうわけじゃない。 東南アジアの海岸に住んでいるカニクイザルというニホンザルの仲間でも、牡蠣を割って食べる知能があります。 岩を道具替わりに使って、見えないものをちゃんと食べられるものに加工するという技術を持っています。 それぞれ、生きるための課題とどういうふうに直面するかによって、知能は伸びると思うんですね。 人間の知能も、もともとはそういう話だったんですよ。


ただ、人間とほかの動物が違うのは、人間は、ひとつ何か始めると、その上にいろんな現象を積み重ねて行っちゃうんです。 チンパンジーの場合は、例えば、アリ釣りみたいな道具を発明し、それが伝達はされても、それ以上に工夫され、いろんなものに発展していかない。 人間も、多分、ずっとそうだったと思うんです、ある時期までは。 ところが、どっからか、それがあっという間に積み重なり、新しいものが生み出されるようになっちゃった。



藤森


ああ、新しいことが、そこから発生するようになったわけですね。



山極


だから、家もね、最初は、ずっと同じような形の、例えば、ピグミーが使っているような家とかだった。 泥を使っても、非常に単純な基礎で、ただ、屋根と壁があるだけの家がずーっと何万年も続いた。 ところが、ある時から、それがガラッと変わっていく。 そこがね、人間の面白いところで…。



藤森


それは、どういう…、脳そのものが変わったんですかね。



山極


言葉だと思います。 言葉ができることによって、比喩が可能になった。 本来は違うものを、同じように扱うことができるようになった。 模倣の上にちょっと違うことを付け加える。 つまり、本来は組み合わされないものを組み合わせることができるようになった。 例えば、蝶番なんかもね、まるで人が手を握っているようなことから模倣されたかもしれないし、魚や鳥、虫を見ても、これ、何かに応用できるっていうふうに考えることが、言葉によって可能になるんですね。



藤森


確かに、言葉ってのは、人間が最初にやった「抽象」と言えるものですね。



山極


そうですね。 自然物って変えられないわけですよ。 自然物から造形物を作るっていう能力は、やはり言葉がすごく加速したと思いますよ。 例えば、「雄雌」と動物の性で言ってることから、道具を「雄雌」と言い換えて、それと同じように機能させるとという方向に応用が可能になったということでしょうね。


建築関係の人が使う用語がすごく面白いと思っているのですが、そういう言い方でいろんなものを言い換えるじゃないですか。 比喩を使って応用しながら、建築が進化してきた。 それは、多分、建築とは全然違うものを応用し、当てはめて、それまでなかったものを「考想」したというんですかね、そういうことがあったんじゃないか。



藤森


興味があるのは、新石器時代は世界中、ほんとに同じ建築をしている。 ところが、ある時点で分かれ始めるんです。 それがどういうことか。 つまりね、どこか文化ごと地球ごとで個別の建築が生まれるんですよ。 「表現」ってことが起こる。 実用で行く限り、みな同じようなことをしている。 表現がどこで始まったか。 今、言われたように、もしかすると言葉の問題と深く関係しているかもしれないですね。



山極


ちょっと最後に言いたいんですけど、茶室のあの小さな空間というのは、日本の文化が生み出した、非常に宗教的なものかもしれない。 あれと同じような広さの密室は、例えば、キリスト教だったら、告白する部屋ですよね、対面の部屋。 あれは、神が必ずいるわけですよ。 でも、茶室には、恐らく神はいないですよね。 そこが、日本的な空間で、しかも、そこでお茶を供するような型にはまった儀礼の場。 、そこでは、どんな会話が望まれていたのか、もともとは。 多分、会話っていうのは、それほど重要視されなかったと思うんです。 居ずまいとか、ある型の中で何かが了解された。



藤森


まあ、基本的に武道に近いとこがあったかもしれないですね。 できるかできないか、そういう形ひとつでわかるみたいなね。



山極


ああいう小さな空間を作りあげて、それを神様のものにしなかったというのは、すごく日本的な発想だと感じますね。



藤森


宗教的には禅宗ですから、禅宗って一種無宗教みたいなもので、仏さんの概念があいまいですからね。



山極


ええ。 それにしても、いつまでも話は尽きないですが、残念ながら、どうも、もう時間が来たようです。





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クオリア京都とは?

人間ひとりひとりの深く高質な感性(クオリア)に価値を置く社会、これは各人の異なる感性や創造性が光の波のように交錯する社会ともいえます。
京都からその実現を図ろうと、各種提言や調査、シンポジウムなどを開催した京都クオリア研究所ですが、2018年に解散したため、㈱ケイアソシエイツがその精神を受け継いで各種事業に取り組んでいくこととなりました。
クオリア社会実現に向けての行動を、この京都から起こしていきませんか?

 

京都クオリア塾

 


 

 
 

 

 

京都から挑戦する“新”21世紀づくり/クオリアAGORA

 


 

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