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第2回クオリアAGORA_2013/ディスカッション



 


 

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ディスカッション

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ディスカッサント

同志社大学大学院経済学研究科教授

篠原 総一 氏


佛教大学社会学部教授

高田 公理 氏


京都大学大学院理学研究科教授

山極 寿一 氏


同志社大学大学院総合政策科学研究科教授

山口 栄一 氏


京都大学大学院医学研究科・薬剤疫学教授

川上 浩司 氏


神奈川大学特別招聘教授 元宮城県知事

浅野 史郎 氏




山口 栄一(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)


2人のスピーカーに話をしていただくというやり方で、とても新鮮な刺激を受けました。 


実は、私も、今年3月に行なわれた「クオリアAGOLAスペシャル」の後、脳下垂体腫瘍の手術で東京の虎ノ門病院に入院しておりました。 ですから、浅野さんのきょうのお話を聞いて感動しました。 確かに、これは病気との闘いなんですね。 闘って勝ち得た時の幸福感は本物です。 まったく違う次元に立ったような気がします。 浅野さんのお話は、ほんとに身に滲みました。 それからもう一つ思ったのは、医者というのは職業を超えた職業だということです。 患者になるなら日本がいいなと思った次第です。 浅野さんに肉声で闘いを論じてもらった意味を身に滲ませながら、川上さんが問うてくださった話を、私なりにまとめて、いくつかの論点を申し上げますので、これからの討論の参考にしていただきたいと思います。 


まず、一番後にお話になった「先制医療」についてです。 奇しくも、アンジェリーナ・ジョリーが、DNA解析で乳がんになる確率が高いということを知って、乳腺を取ってしまったということが話題になっています。 アルツハイマー、ある種の糖尿病、そして乳がんが、SNPs解析と呼ばれるDNA解析でわかるようになってきたわけですけども、この先制医療が、実は社会的には非常に重要なんだってことを学びました。 


もう一つは、予防医療です。 将来かかるであろう病気に対して、前もってmedication(薬物治療)する。 これ、日本では保険が適用されませんけれども、こういうやり方で、社会的には、非常に費用対効果を上げられるんだということをうかがいました。 そしてさらに重要な論点だと思ったのは、マイナンバーを一人ひとりの医療に適用すると、ものすごく社会的コストを下げられ、しかも個人の幸福にとって重要であるということです。 これらはいずれも「目からウロコ」でした。 


それぞれのディスカッサントの方々は、お2人のスピーチでどんな気づきをされたのでしょうか。 山極さんから始めていただきましょう。 




山極  寿一(京都大学大学院理学研究科教授)


お二人のお話は、とても面白かったです。 川上さんのお話を、私に引き寄せていえば、例えば最近、社会生物学の大家のE・Oウイルソンが、自分の総ゲノムを依頼して解読しました。 予防医学のさきがけですよね。 これは、自分がどういう遺伝的素質を持っているのか知りたいという動機に基づくものなんですが、ただ、まだものすごい費用がかかるんですね。 だから、普通の人が、すぐにできるものではありません。 


ただし、遺伝子解析技術の費用はどんどん下がってますから、もう、数年後、10年後には、一般の人がそういうことに手を出してもおかしくはなくなっているでしょう。 きょうのお話の中でもおっしゃっていましたが、自分の情報が簡単に手に入り、予防対策が出来る時代がもう、目の前に来ているかもしれない。 いわゆる医学とか自分の健康とかというものに対する考え方が、どんどん変わっていく時代に私たちは差しかかっているんじゃないかという気がします。 


浅野さんは、いうならばクラシックな感じの闘病生活を述べられた。 まさにそれは、私たちが、これまでずっと持ち続けてきた病気観であり健康観だろうと思います。 ただし、その中身は川上さんがおっしゃった内容を多分に含んでいるんですね。 というのは、私たちは、突然病気であることを自覚し、あるいは、医者から告げられる。 それに対して、どうしようと思うわけですね。 その時から、闘いが始まるわけです。 人生の先を見るということが、これまでとは違う形で起こるわけです。 後は、お医者さんとの協力や、いろんなサービスによって、自分がいくつかの道を選んでいかなくてはならない事態に陥る。 それは、今までの人生とは全く違うものです。 だからこそ、生まれ変わったような気分になるし、違った環境の中にいる自分を再発見するわけですね。 


でも、川上さんがおっしゃったことは、実は、もっともっと前に、自分の先行きというものを、きちんと自分の情報を得ながら自分で選び取っていくことができる人生観をもてるということであって、実は、浅野さんも、病気になってから、そういうことをされたわけでしょう。 だから、とても力強いお言葉で,今の自分というものを語ることができる。 多分、それは10年前、20年前にその病気になった方々とは違う心境だろうと思います。 


私は、数年前にあるアンケートに接しました。 それは、「自分はどういう死に方をしたいか」という問いだったんですが、ほとんどの人が「健康体のまま、突然死にたい」とお答えになった。 これ、日本もアメリカもどこの国でも圧倒的に多かった。 川上さんのお話というのは、人間、いつか絶対死ぬ。 多分、病気で死ぬんです。 ただし、その病気にかかる時期というものをずっと先伸ばしすることができるし、健康でいられる時間を長く持てる。 それは、自分の病気のかかりやすさ、可能性というものを実際に計算するからこそできるわけであって、医師や薬剤師と協力しながら、自分の人生を作っていくことになる、ということだったのではないでしょうか。 おそらく、予防医学、先制医療というものは、どこかで人間死ぬんだけども、健康でいる時間をなるべく延ばしましょうという話に近いのかなあと思います。 であるならば、ちょっと前に、ほとんどの人たちが望んでいたようなことに近づけるという話なのかな、という気がしました。 とても印象深いお話だったと思います。 




川上 浩司(京都大学大学院医学研究科・薬剤疫学教授)


先制医療を実際にできるところはまだ限られています。 つまり、糖尿病とか骨粗鬆症とか、がんのうちの一種、あるいはアルツハイマーなんかは取り組みが始まっていますが、その他の多くの病気はまだまだできません。 それと、もう一点、自分で自分の人生を選ぶということですが、遺伝子解析というのは、今も、2.5週間くらいかけ、自分で払えるくらいの金額でできるようになってきているのですが、その結果がどうかということ、その遺伝子がどういう疫学的な根拠があるのかというようなデータがまだないのです。 医学のデータ分析、研究を続け、解析を重ねないとできない。 




浅野 史郎(神奈川大学特別招聘教授 元宮城県知事)


先ほどの山極さんのお話で、私の受け止め方が違うかもしれませんけども、私は、病気になって、人生観とかなんとかは全く変わっていません。 なぜかというと、私には人生観がなかったから、変わりようがないんです。 聞いてらして、「すごいな、病気になってもあんまり恐れなかったんだ」と思われたかもしれませんが、それは、一番大きいのは61歳で発症したからです。 これまでいろんな例を聞いたりしていると、これがもし10代だったらこんなふうにはいかなかったと思います。 バタバタしたと思います。 


10代では死にたくないですもん。 で、60代でこうなった時にですね、変に達観しているわけじゃないけど、ま、ここで死んでもあまり変わらないな、と。 70で死んでも、80で死んでも、あまり変わらないなというぐらいの年齢が、どうも60じゃないかな、人によって違うのかもしれませんけども、そういう気がしました。 私、し残したことってないんですよ。 最初から目標がないですから。 ということもあるんですが、まあ、やることはやっちゃったな、ということで、やり残したこともなく、死んでもあんまり無念だと思わないことが、結果的にこんな大変な病気になっても、平静を保てたということだと思うんですね。 人から、「浅野さんは、精神力が強いんだ」といわれ、そうかなと自分でも思ったりするが、やっぱり、そうではないです。 60歳での発症だったからなんです。 これはいっておきたいと思います。 




高田 公理(佛教大学社会学部教授)


すでに40年以上も昔のことになりますが、1970年前後に「ニセ医者の研究」をしたことがあります。 なぜそんなことをしたかというと、そのころから医療施設が大型化し、医療全般が高度化し始めていたからです。 そのことに一種の違和感があったんですね。 


というのも、それ以前に、たとえば体の変調があって近所のお医者さんにいくと、簡単な手当と、いってみれば文字通り「ホスピタリティ」で病気を治してくれるような、そんな感じがありました。 たとえば風邪をひいたりしたときには、「普段は子供がお酒を飲んだらあかんけど、まあ、こんなときは特別や。 卵酒でも作ってもろぅて、ゆっくり寝ときなさい」などと穏やかに、やさしく話してくれる。 今日の先端医療などとは正反対の対応なわけです。 で、これって一種の「ホスピタリティ(もてなし)」でもあったと言っていいのではないかと思うのですが、それでたいていの病気が治りました。 


それだけじゃない。 当時の子供の多くは、みな一種の皮膚病なんですが、頭が「くさっぱち」になっていたし、口の上には鼻から青洟を垂らしていた。 つまり、いつも軽い病気にかかりながら、しかし元気に暮らしていたように思います。 


そんな時代の医療だと、医療費なんか、ほとんどかからなかった。 ところが、1970年ごろから、どんどん病院が大規模化し、軽い風邪でも、多くの人々が大層な病院に行くようになり始めた。 むろん経済成長も著しかったのですが、そのころの医療費の伸びと比較しながら、その後のトレンドを予測してみると、ほぼ40年後、つまり、ちょうど2010年前後に、医療費をGNPが完全に吸収してしまう。 まあ、そんなことは起こりようがないのですが、当時のトレンドを引き延ばしてみると、そういう具合になっていました。 


そんな時代に、医師の収入が良かったということもあって、ニセ医者が横行したわけです。 で、彼らのほうが本当のお医者さんより人気が高かった。 というのも、ニセ医者ゆえに患者に親切に接するし、結果、病気もよくなる。 そういうことで「ニセ医者の研究」に取り組んだわけです。 


で、そのことが契機になって、漢方といった代替医療にも興味を引かれるようになりました。 あ、漢方は決して民間療法ではなくて、近代西洋医学とは異なりますが、きちんと体系化された医学です。 で、そこには今日のお話の「先制医療」に似た考え方が脈々と流れているように思います。 その一つが「未病」という考え方です。 つまり、本格的な病気になる前に、その兆候を見つけて、あらかじめ手当をしておこうというのです。 



川上


「Herbal medicine」は、難しいですよね。 何が難しいかというと、漢方にはいろんなものが混じっていて、何が効いているかっていう、いわゆる西洋科学的に因数分解していっても、物質を特定することができないんですね。 科学的な手法で証明できないことは事実なので、なかなかしんどいです。 


高田


おっしゃる通りなんです。 でも、近代科学のパラダイムには乗らないけれども、患者の方は困らないわけです。 患者にしてみれば「飲んだ、効いた、治った」で万々歳なんですから……。 世の中には、未だ科学的には評価できないことがいっぱいある。 これを近代科学はどう取り扱っていくのか。 大きな問題なのではないか。 そういうことを申し上げたかったという次第です。 


浅野


今、高田さんのお話を聞いて、自分のことを思い出しましたが、闘病中に、何人かの人から、まあ、民間療法ですね、親切に、こうして治ったといういろんなものをいわれました。 それには、心を動かさなかったですけども、今やっている西洋医学を信じる。 まあ、それで治んなかった場合には替えていたかもしれないですけど…。 それで、主治医だった東大の内丸薫先生にそのことをいったら、とてもわかりやすく説明してくださったんですね。 それはどういうことかというと、「どうして、その民間療法が効くなら、みんなに発表して、その薬とか、ちゃんと許可を取って売りだしたらどうでしょう。 ものすごく売れるはずですが、それがないのはエビデンスがないからですよ」と。 その言葉ですとんと落ちて、いわば、宗教を変えろとわれていたみたいなものですが、よし、西洋医学という「宗教」を信じよう、と思いました。


内丸先生の話を聞いていて、骨髄移植は、歴史もあり、エビデンスもあり、まさにサイエンスそのものだと思いましたし。 私は、それを信じたし、今となっては信じてよかったと思っているんです。 いろんな療法で治るぞと、甘い言葉というか、西洋医学より民間医療の方がいいというのは、患者の精神もゆらぐし、決して治療上の効果を果たさないだろうと思うんです。 まあ、入院中、いろいろなお話を持ってきていただいたが、正直迷惑でした。 


山極


それに関連する話で、10数年前にアメリカ映画で「Medicine Man」という映画があったのを覚えていますかね。 南米に、漢方の植物性の新しい薬を発見しに行く話なんですが、ある時代、アメリカで「セルフメディケーション」というのが非常に流行りましたよね。 あれは、先ほど川上さんがお話になった費用対効果についていえば、医療費を払えない人があまりにも多いものだから、そういう人たちを救えない。 で、自分で治す、免疫を高めるような薬や生き方、健康法というのを広めたほうが救えるんではないかという考え方だったという気がします。


さっき山口さんがちらっと言ってたんですが、日本は非常に保険制度や医療制度が発達していて、多くの人が安い費用で医療が受けられる。 病気になったら日本にいたいなというのは、確かにその通りだと思うんですね。 でも、これがいつまで続くかわからない。 まさに費用対効果という話でいえば、さっき川上さんがおっしゃったように、医療制度を支えているのは、税金であり、どれだけ人口がいて、どれだけそういったお金を払えるかという問題ですので、それにあった医療制度を今後は考えなくちゃいけないわけです。 これは、医療の問題でもあれば経済の問題でもある。 そういう点で言えばね、日本がこれから30、50年後どうなっていくのか、きちんと見据えて予測を立てないといけないと思うんですね。 そのへんで、もう少し言葉を足していただいたほうがいいのかなと思います。 


山口


ちょっと、補足ということで少しイギリスとアメリカのことを話します。 
私は、ケンブリッジに住んでいる時には、絶対病気になるものかと思いました。 英国の医療保障制度(NHSシステム)の中で医者にかかると、日本なら簡単に治るものも、なかなか治らないという思いがあったんです。 実際イギリスでは、NHSへの信頼が揺らいでいて、多くの方が自由診療にかかるようになっています。 これは、「医療費は無料にする」という極端な制度設計からやってくる歪みです。 


一方、その対極にあるアメリカ。 私の脳腫瘍の手術は、世界的権威の脳外科医に執刀していただいたにもかかわらず、手術料はたった17万円でした。 アメリカの友人に聞いたら、アメリカならこれ1千万円はかかるといわれました。 実際、私の知人で、アメリカに出張したその日に前立腺が腫れ、おしっこがでなくなって緊急入院し、点滴を受けて翌朝に退院した方がいたのですが、皆さん、この費用いくらと思います? 150万円だったというんです。 


そういう意味で、医者になるならアメリカで、患者になるなら日本でなれとつくづく思います。 しかし、日本の医療制度がこのまま行くはずもない。 日本は、制度のバランスが壊れたまま動いている。 この医療制度のひずみについて、川上さん、コメントをいただけないでしょうか。 


川上


病気になった時一番いいのは、日本で、病気になる前は英国がいい。 自分のかかりつけ医が確立しているのですね。 しかし、病気になると今おっしゃたようにしんどい。 アメリカは、何がいいかというと、とにかく医者が儲かる。 まあ、それぞれ棲み分けがあるんですけども…。 


それで、日本が何を選ぶかっていうと、これ、おそらく、先ほど「Patient centered outcomes research(PCOR)」の話をしましたけども、患者さん自身がやることっていうのは、医療はただじゃないということを認識することだと思います。 例えば、病院に薬を「貰いに行く」って言葉がありますね。 貰いに行くってなによ、これおかしいでしょう。 湿布薬でもドラッグストアで買えばいいのに、わざわざ病院でもらう。 これ高くついているのです。 社会にとって正しいことではない、と思うわけです。 医療は身を切っている。 サービスではあるが、ただではないし、みんなで支えあっているということをもっと認識するような教育をして、そういう社会風潮がちゃんと生まれない限りは、高齢化も進む中で、保険制度はもっとひどいことになってしまいます。 


篠原 総一(同志社大学大学院経済学研究科教授)


ここに6人いるんですけど、私を入れて3人が病人なんですね。 私も最近、インフォームドコンセントのこわさとかいろんなことを経験しましたけど。 実は、医療に関してものすごく面白いと思うんですけど、経済学の世界で「情報の非対称性」って言葉があるんですね。 これ、取引をしているもの、例えば「水」なら「水」でいいんですけども、売る側、作る側と買う側が、これに対しておんなじ情報をもっているかどうかってのがかなり重要な話なんですよ。 


で、医療ほどね、「情報の非対称性」が激しいものはないんですよ。 そう言う意味じゃですね、われわれ患者としたら、お頼りする以外まったくないわけで、それにもかかわらず、最近では、インターネットもあるので、自分の病気を調べまくるわけですけども、所詮は、やっぱり完全にはわからないんで、何%といわれても、自分のケースはどのカテゴリーに入って何%か全然わからないわけですね。 これ、患者としては、情報の公開が進んでいるけれども、それが進んでいるのかどうかっていうことの判断もできない。 これ問題があるわけです。 


後は、人生観が変わったかどうかということですが、浅野さんは変わんないといってましたけど、私も全く変わりませんでした。 60代だからでしょうか。 



山極


山口さんは変わったの?


山口


人生観は変わらないですけど、どうやら思考パターンは変わったみたいです。 なんか手術で脳みそが変わったみたい。 





篠原


浅野さんと私でひとつだけ違うのは、髪の毛だけです。 私は、病気の治療でなくなったわけではなく、はじめからなかった。 そういう人間は、だから隠さない。 これから生える可能性のある人は隠すんですね。 ま、これは冗談として、それで、川上さんのお話なんですが、私、計量経済学が役に立つとすると、経済学じゃなくてほかの分野だという認識をかなり強く持っていまして、なぜそうかというと、その、経済の現象というのは、確かにきょうは「Data evidence」とか「Evidence research」 「Comparative effectiveness」という言葉をおっしゃって、非常に重要なことだと思うんですが、経済の場合には、実は10年後にどうなるかということを予測しようと思っても、過去のデータから類推する以外ないですね。


しかし、条件変化が激しすぎてですね、10年後の経済を支えている条件がどうなるかということがわからないものですから、極端にいえば、2000年の段階で、2010年の日本経経済がこうなっているということを予測できた人はいないんだと思うんですよ。 同じように、1990年の段階で、2000年になって日本が総体的に落ちているとか、80年代に、90年までにあれだけのバブルになるとか誰も予測できていないんですね、実は。 その程度だと、経済学のことを思っていただいたらいいと思うんですが、今日の医学の話は、そういう経時変化みたいなのが、割に少ないから、多分データアナリシスというのがかなり有効だと思いました。 それをぜひやっていただきたいというか、経済学の分野からも何か協力できることがあると思うんですが、そういうことを前提条件にして質問があります。 


実は、コストの働き方とエフェクティヴネスの働き方はかなり重要な話で、そこはちょっとさじ加減が違うとですね、結果が全く違ってくるということ。 例えば、コストの話でも、川上さんが先ほどおっしゃった話は象徴的で、保険があるからみんな只だと思っているけども、社会全体、われわれで費用をシェアしているんだという話がありましたが、実は、保険をほとんど払ってない人の方が、恐らくたくさん使っているはずなんですね。 同時に、一回払ってしまうと、契約ですから、後は、ちょうどかけ放題の電話みたいに、なんの費用もかかっていないような気がして、使っても使わなくてもおんなじように払っているんだから、そうだったら使わなきゃという気分になるのはある意味当然の話です。


だからこそ、病院に行くとお年寄りの社交場のようになっていて、誰かが来てなかったら、「Aさん、きょう、きっと病気じゃないの」なんて冗談のような話を聞いたことがありますが、まあそんなことが起こってるわけです。 それをどういうふうに防ぐかということがものすごく重要で、一番いいのは個人個人が払うというので、これが最も手っ取り早いんです。 が、これでは、医療から排除される人が出てくるので、それをどこできるかは非常に重要な問題です。 それで、コストとベネフィットの計り方によってですね、その基準をどこに置くかっていう判断がものすごく変わるもんですから、川上さんがそこをどういうふうにされているのか、すごく興味があるんです。 


川上


おっしゃる通りです。 ちょっとモデルが変えたり、時間が推移するとガラッと違う。 ただ、その臨床的な効果があったかどうかという部分ですが、効果がないものは費用対効果はしない。 なぜなら、効いていないものはする意味がないことが多いですから。 効果があったってことは事実としてあるので、それが費用に換算するとどうなるのかということに関しては、確かに、ちょっとしたモデルのコンピュータシミュレーションでも入れ方を変えるとだいぶ変わります。


しかし、これは誰にとって、つまり、例えば、日本の皆保険とか、英国のNHSなど、国によっていろいろ制度が違うのと、死生観も違い、費用対効果の計算は世界で均点化できないのです。 
現状は、何のために何をしているのか、社会的な視点からの支払いの観点で計算するのか、患者の観点からするか、あるいは医療提供の立場からかなど、いろいろ観点を変え、より複雑にモデル化するというのが、トレンドになっています。 まだまだ、これから進めていく学問かと思います。 


高田


さきほど、「一晩で150万円」といった話をうかがって、「まあ、そんなもんなんやろうな」と思っていたんですが、そのアメリカで、透析を受けなければ生きていけない、しかし財力のない人は、めでたく、お亡くなりになるなるわけですか。 日本では、健康保険が効くようなのですが……。 


川上


透析は、高額医療ということになりますね。 


山極


浅野さんが先ほど、お金の話じゃなくで、インフォームドコンセントにしても、お医者の先生との信頼関係が重要で、それを十分お受けになったと聞きましたが、私はそれと、もう一つ、浅野さんを取り巻く戦力がきちんとあったと思うんですね。 奥様もその大きな戦力の一つです。 ちょっと前に、おひとり様っていう話が出てきて、だんだん老後を一人で過ごさなくてはならない老人が多くなってきた。 こういう状況になった時、浅野さん自身は奥様だけでなく、かつての部下とか、浅野さんを支える人たちがたくさんいたからこそ「闘おう」という気持ちになったし、お医者の先生たちともきちんと対策を論じることができたんだろうと思うんです。


でも、誰も相談する人がいない、お医者の先生しか頼りになる人がいないという患者さんの場合、なかなか闘おうという意思が生まれてこない可能性がある。 なおかつ財力がなければ、まあ、今後どうなるかもわかりませんけれども、そんな選択肢すら浮かばないという事情にすらなりかねない。 そういうものを、これからどうやって作っていったらいいか。 昔は、さっき高田さんがいったように、「卵酒でも飲んでれば」ということを行ってくれる人がいたわけですね。 効果はなくても精神的に、病気に対して自分一人ではなく、周囲の人たちと一緒に向かっているんだという気持ちになれた。 


だけど、今の日本の社会事情からいえば、どんどんそういう社会資本がなくなっていくわけですね。 家族はどんどん崩壊していくし、結婚しない人も増えていくし…。 そういう時に、どういう医療体制でカバーしていくことが必要なのか。 さっき、篠原さんが、結局、個人で費用を持つことが、個人の責任を自覚するのに重要だとおっしゃったが、これをやってしまうとね、日本人はますます孤独になっていくわけで、何らかの守り合うシステム、信頼関係とかコミュニケーションと言いかえてもいいんですが、これをどっかでバックアップしていかなくちゃいけないと思うんです。 浅野さんに、ご自分の体験を振り返ってどうお考えなのか、お聞きしてみたい気がするんですが。 


浅野


今の山極さんの話、ではなくて、ほかの方の話を聞いていて自分のことで考えてみたんですが、コストの話ですね。 コストと対費用効果、ピッタリじゃないんですけど。 東大に入院している時に、大野信広先生、私の主治医の一人で、随分信頼関係もあったということだったんでしょうが、向こうから「私の給料いくらか知ってますか。25万円なんですよ、手取りが」だというんです。 驚きましたが、ちゃんとした生活できないのでほかにアルバイトに行っている、と。 私、患者の立場で、それじゃ次にやる人いないでしょうというと、こんなきつい仕事がこんな給料では誰も次に来ません、それでやめられません、と。 実は、ちゃんとした医療が受けられるのは、医療保険もありますけども、医師の使命感なんです。 公的医療保険だから診療報酬は一緒。 どんな名医でも報酬は一緒です。 それでもしんどいことをやるという、医師たちの使命感があるからなんですね。 内丸先生もそうでした。 なんで、血液内科、しかもATLをやるのかというと「一番大変だから」とおっしゃるんですよ。 それに挑戦しようという先生たちの使命感はすごいんです。 こういう先生たちに私は支えられているんだと思いました。 ただ、使命感だけに支えられている医療は、ちょっと危ないなと思いつつ、私は感謝しています。 


もう一ついうと、骨髄移植には、患者とお医者さんの間にドナーさんがいます。 ドナーさんと患者は名前も知らないんだけど、実は、遠い昔の親戚同士だというんですね。 hlの型が一緒というのはどっかで一緒だったんじゃないか。 ロマンがありますね。 それと、もっと感動したことがあります。 骨髄移植の名称を変えていただきたいと思っているんですが、ドナーさんの骨髄は、脊髄に100本の太い注射針を射って採取しているんですね。 それで、採取された後、ドナーさんがみんなコーディネーターに「ありがとうございました」というらしいんです。 これわかる気がします。 誰も、なかなか人の命を救うことはできないものなんですが、どのドナーさんも、一人の命を助けさせてもらうという貴重な体験ができたことに感謝するというんです。 しかもこれ、全て無償です。 りっぱな究極の使命感ですね。 つまり、私の病気が治ったのは、お医者さんの使命感とドナーさんの使命感、私はこの両方にささえられ命が助かった。 で、実はそれをいいたいというより、もう一つ、私の病気を治すということに介在して、そういう人を生み出している、ということも感じました。 


ついでにいうと、先ほど、情報の非対称性ということをおっしゃったのですけども、違う観点からいいますと、医者との信頼関係の話をした時、それが双方向性のものだといったんですね。 インフォームドコンセントは、医者から患者に対する情報開示ですが、後から主治医に聞いたんですけれども、浅野さんから私も学んだというか、患者はこんなことで悩んでいるのか、こんなことも知らないのか、ということを初めて知ったんだというんですね、これ、ぼくが結構聞きただしたということもあるんですが…。 情報の非対称性は、普通患者側が医師からもらっていないことなんですが、実は逆もあるんです。 正しい医療をするためには、その情報の非対称性っていうのにある程度積極的に関わって、それをちゃんと対象化していく。 インフォームドコンセントというのは、まさにそうなんです。 お医者さんが、情報をわかりやすく患者に伝えるっていうのは、非対称性をある意味打ち破るんですね。 患者は患者で、お医者さんに、例えば、この薬を飲めばどうなるか、これから私はどうなるんですかなど、患者の立場でお医者さんにわかりやすく伝えるというのが、お医者さんにとってもよく、これが結果的には信頼できる医者をつくることにもなって、患者にもいいということになって返ってくる。 これは、「情報の対称性」ということで、言葉は違うかもしれないが、医療における情報の対称性ということを作り出すことの必要性を感じています。 





山口


では、会場から感想や意見をいただきたいと思います。 とりわけ、浅野さんがおっしゃったように、医者というのは、私の言葉でいうと、職業を超えて使命感だけで生きているというところがあると思います。 このことに沿って会場からお話をいただきたいです。 どうぞ。 



 

木村 美恵子(タケダライフサイエンス研究所所長)


私は予防医学を栄養学の立場からやっています。 日本は平均寿命を問題にしますが、米国では健康寿命というのを重視します。 それは、自立した生活ができる生存期間のことで、中年の人たちがどれだけ元気かということなんですね。 きょうも病気になってしまったらという話が中心だったと思うのですが、病気にならないということが、もっと、経済的なことも含め大事なことだと思います。 わたしたちも、健康寿命を伸ばそうというテーマで、これから研究をしていこうと考えているところです。


というのも、病気にならないということが、予防医学の原点だと思っているからです。 どういうことかというと、病気になったらどうするか、高齢者の健康が問題になることが多いのですが、例えばお母さんの健康です。 お母さんから守っていかないと、健康な人間はできないと思っています。 それで、川上先生のお話に関係して遺伝子診断のことが出てきましたが、病気の遺伝子が見つかったとしても、それが発症する確率は相当低いものです。 病気になるのは、それよりも日頃の暮らし方がどうかという方が大きいと思っております。


高田先生から昔の病気への対処についてお話があったのですけれども、昔からの手洗い、うがいという衛生観念を、今、もっと上げていくことが大切です。 手洗い、うがいをきちんとし、栄養が日々マイナスにならない健康な暮らしをするということを子どもの時から植え付けることが、2030年に向け、何より大切だと思います。 


 

吉川 佐紀子(京都大学こころの未来研究センター所長)


川上先生に一つおうかがいしたいと思ったのは、先生がこれから日本の医療を変えていかなきゃいけないといった時に、もうすでに既存のやり方でシステムが出来上がっているわけですね。 そこをどういうふうに、新しい考えとかシステムの中で医療をつくりなおしていこうとされているのか。 そして、もっと日本全体に広げていこうとする時、次のステップはどういうことになるのでしょう。 なかなか組織は変わらないなと思っているものですから、ぜひこのことを聞きたいと思いました。 


浅野先生の体験談は、なかなか聞くことのできないもので、自分だったらどうかなと思いながら聞かせていただきましたが、やはり、非常に良いお医者さんとの出会い、親身になって考えてくださる家族とか、そういうソーシャルな環境というのがとても重要だったんだとあらためて思いました。 それでただ、これからの日本社会の中で、そういう環境をどのように維持していけるのか。 先生のような闘病生活を多くの人が送っていけるためには、今何が必要なのか考えないといけないなと思いました。 


川上


これ、医学だけの問題ではないんですが、既存のものをどうやって変えていくかということで、ここ2年ぐらいで学んだことは、今、アメリカではSCISIPという言葉がありまして、SCIENCE FOR THE INNOVATION POLICYという考え方ですが、なにか政策を変えていくためには、一番大事なのはまず、現状をまず可視化する。 可視化したらそこから何らかのエビデンスを出すための科学的研究をする。 すると、それの結果は、科学ですからある程度納得しますよね。 じゃ、それですぐポリシーに使えるかというと、そうじゃない。 ELSIという、法的、倫理的、社会的課題を解決していく人文的分野ですが、違うステークホルダーや全然違う分野の方々が同じテーブルで話し合い、議論をします。


そういうことをやって、それから政策として実行(POLICYにIMPLEMENTATION)すると。 あとPDCAサイクルを回すのですね。 ぼくは、学者の立場としては、データベースをつくり先ほどの可視化をして、エビデンスを作るための様々な手法を医学的手法で研究することをやって、これが事実ですということをまずやらなければならないと思っています。 それをどうしますかということをELSIと一緒にやります。 


 

友次 直輝(慶応義塾大学医学部クリニカルリサーチセンター 臨床研究企画運営室長)


きょうは貴重なお話ありがとうございました。私、慶應大学医学部のクリニカルリサーチセンターというところに勤めています。 周りには医者がたくさんいましてですね、臨床研究をたくさんやっているんですが、先生方が、医学部で臨床試験の方法論を学んでおられませんので、そのサポートをやっているんです。


それで、非常に感じるのは、先ほど篠原先生がいわれた情報の非対称性を非常に感じております。 先生がたの方も、臨床研究の方法論をご存知ありませんし、患者さんの方も臨床研究についてはお知りになりません。 患者さんは病院に治療してもらおうと思ってきたのに、インフォームドコンセントだといわれてなんだか臨床研究かと、面食らってしまうということなんですね。 それで思うのは、患者になって、初めてインフォームドコンセントとか臨床研究ということを知るのではなく、子どもの頃から、社会基盤として育んでいくというのが重要じゃないかと思います。 


 

塩田 浩平(京都大学大学院思修館教授)


おふたりの話で、参加の方は医学が確実に進歩していることを認識していただけたのではないでしょうか。 ここ20年ぐらいの医学の進歩は素晴らしいものがある。 私も薬を5種類飲んでいますが、症状はずいぶん良くなりました。 昔と全く違う。 私は、40年以上前に短期間だけ内科医をしていたのですが、当時はサイエンスというより経験知が主流で、医者の仕事があまり面白くなかったこともあって、その後は生きた人間より死んだ人間、あるいは動物を相手にして研究生活を送ってきました。


当時と比べ今の医療は大変進歩しています。 われわれが若かった頃は医者は職人と思っていて、例えば意識がない患者でも、心臓をいかに長持ちさせるかを考え、強心剤を打ち続けるというような治療を行っていました。 今は、おふたりのお話にあったように、患者にリスクを説明したり、治療法を説明したりしなければならない。 浅野さんはいい医者に出会われたのですが、これから新しい医学の時代には、医者の人間性が問われます。 これからの医学の教育に何が必要か、お答えいただけますか。 


浅野


そんなこと、私がわかるわけないじゃないですか。 て、いうのは、私がお話ししたのは、成功ストーリーですよね。 聞く人によってはあんまり面白くないかもしれないがそうだったんですね。 私の場合は、right time right place right person、これ自分で選んだわけではなく、運命と思っていますが、そういうのがそろってこういう結果になった。 それだけではあんまり面白くないので、おれだって頑張ったんだぞ、と若干、強調し過ぎたかもしれませんけども…。


私は、自分が受けた医療に文句はまず、全くないんですよ。 あるわけないじゃないですか。 だってこんな病気治してもらったんですから。 医療受けている時もですね、信頼していたんです。 信頼できる医者を得たことがラッキーというかもしれないけど、だけど、ぼくは盲目的に信頼したんです。 よくいうでしょう、信ずる者は救われるって。 これ私の例なんです。 医療、または医療者を信じる、これが助かることにつながるわけですけども、これが患者としてはいいやり方というと変なんだけど、文句言ったってしょうがないし、何も文句いうこともないんだけど、それが治療効果にもなったんじゃないかと思いたい。 不満ないですね。 よくやってくれたんです。 さっきもいった給料25万円でこんなことやってくれた、ありがたいだけです。


大学教育をどうするか、はわかりませんけど、みんなそうなってほしいですね。 文句を言えばきりがないですが、そこそこ、日本の医療はいいんじゃないですか。 うまくいった一患者はこんな考えを持っています。 


 

山口


では、ここでいよいよワールドカフェに移りたいと思います。 そのお題として、私は「医療の未来」ではいかがかと思います。 


医療を産業と呼ぶことに抵抗のある人があるかもしれません。 しかし日本のバイオ・創薬産業は、農業と並んで国際競争力を失ってしまった産業です。 この負け産業の未来はどうすればよいかを思いながら、いっぽうで医療は職業を超えているという思いもあり、さらには川上さんからの話にもあったように、これからもどんどん制度のインバランスが激しくなってくる現状にあって、私たちは医療を自分の問題として考えなければならないと思います。 そこで「医療産業はどうあるべきか」というお題を中心に据えたいと思います。 


それから、川上さんの方からお願いがあったように、マイナンバー制度のことを語りあってほしいと思います。 これが医療に導入されると、様々な医療の分野のケアが格段に進歩する。 ところが、国民には根強い反対があって、なかなか実行に入れない。 川上さん、そのへんの事情を少しお話いただけますか。 


川上


さまざまなメリットもあると考えられていますが、個人情報の漏洩と、日本医師会の反対がうまくいかない理由です。 ほかになにか反対する理由があったら、みなさんから教えていただきたい。 これから5年間、これをテーマに大きなプロジェクトをやろうと思っているのです。 


山口


では、「医療はどうあるべきか」「マイナンバーの問題」を中心に、近未来の議論をしていただきたいと思います。 


 




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