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第6回クオリアAGORA/ディスカッション



 


 

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ディスカッション

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ディスカッサント


堀場製作所最高顧問

堀場 雅夫 氏


佛教大学社会学部教授

高田 公理 氏


木乃婦若主人

高橋 拓児 氏



ファシリテーター


同志社大学大学院総合政策科学研究科教授

山口 栄一 氏




山口 栄一(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)


きょうの話は、文明と穀物とが密接な関係にあるということを知らされ、目からウロコでした。 これからディスカッサントのみなさんに、佐藤さんのお話でインスパイアされたことをお話ししていただき、そこから議論を深めていこうと考えています。 


まず私から問題提起をしたいと思います。 まず一つは、文明についてです。 手前味噌ですが、コメ、ムギ、トウモロコシの中で、そのまま食ってうまいのはコメだと思います。 これまで、この東アジアに生まれたコメは、そこにとどまってしまい、コメの文化がヨーロッパに行かなかったんだと思っていたのですが、実はコメはインドまで行っていて、その巨大な穀物センターの中でインディカ米を生み出していたということを学びました。 すると、なぜ、インドまで達したコメは、なぜ中近東、そしてヨーロッパに達することなく、欧州人は、そのまま食べてはまずいコムギを食い続けたのか。 


そしてもう一つは、アフリカです。 中央アフリカより南は、ずっと赤土地帯ですね。 すごく痩せた土地です。 あの土地は、おそらく古代にはいろいろな穀物を生み出していたのだけれども、穀物の過剰な栽培による収奪の結果、ああなったということなんでしょうか。 ということは、古代その地で文明は生まれていたのあではないか。 


そこで佐藤さんに、この2つの観点で文明と穀物との関係をもう少し教えていただけたらと思います。 




佐藤 洋一郎(総合地球環境学研究所副所長 教授)


さきほど申しあげたように、文明というと日本の教科書に載っている大河流域の古代の四大文明の考えを改めないと世界の文明圏の話は正しく始まりません。 まず、その前にアフリカの話をしましょう。 ちょうど先月、アフリカに行ってきました。 スーダンはアフリカの農業の宝庫です。 中でも、雑穀の多くはアフリカ生まれなんですよ。 例えば、夏の雑穀のなかでも、パールミレットと呼んでるトウジンビエとか家畜の餌や中国の白酒(パイチュウ)の原料になるソルガムとかは、ナイル川の流域で生まれています。 この他にもシコクビエとかゴマという日本でも馴染みがあるものもそうなんです。 おそらく、地球が一番寒かった2万年前(最終氷河期最盛期)のもうひとつ前に、私は、実はアフリカの文明があったんだろうという気がします。 この話は小声でいうことにしているのですが、でも、私はそういうのはあったんだろうと思う。 事実、サハラ砂漠の調査をしている人たちに聞くと、何千年前の遺跡がいっぱい痕跡として残っているというんです。 スーパーコンピューターで何千年か前の気候分析をやっている人の話でも、6千年前には、サハラ砂漠の西側は緑だったと。 


こういうことをつなげていくと、断片的に見えてくるのは、アフリカ大陸の、今は砂漠になっている巨大な土地は、その昔は緑色をしていた。 時期ははっきりわからないが、その時代に、緑あふれるアフリカから、雑穀が世界に拡散し、その一部がインドに伝わってきた。 これを、我々が今利用しているのです。 そのもうひとつの痕跡が、ヒョウタンです。 これ、どこで生まれたかわからないが、ある人はアフリカ起源といっています。 そのヒョウタンはなんとアメリカでも1万年前に栽培されていますし、日本でも5000年前の鳥浜貝塚(福井県)から出てきました。 


このように、我々の常識の中で考える文明の認識では捉えられないような穀物と人の動きがあります。 そういうふうにアフリカで生まれた穀物がインドの穀物センターに到達したのが4000年前、その頃にはインダス文明が形をなしているはずで、それで、インダス文明を研究している人の話を聞いていると、メソポタミア文明とは確かにズレとかはっきりした違いもあるが、一つに考えたほうがいいという見方もあるというんですね。 すると、アフリカからアラビヤ半島を経てインドに伝わっていったというひとつの大きなゾーンが考えられる。 


地域に見る食物の風土


とにかく、四大文明という考え方をやめると、まったく新しい文明のゾーンが見えてくるのです。 もう一つはコメで、これは、梅原猛さんが「長江第五文明」ということをおっしゃったのですが、これでは足りないと思います。 コメを中心とした中国の文明は、これまた古くて、これが東アジアを支えた大きな原動力になったんだと思うんです。 で、なぜ西は廃れ、東は今まで続いたかということなんですが、それは水だと思います。 西は水を失ってすべてを失ったんだろうと…。 



山口


なるほど。 では話題を転じて、コメの文化の進化系にほかならぬ和食。 そのカリスマである高橋さん、インスパイアされたことをお聞かせいただけますか。 



高橋 拓児(木乃婦若主人)


もうひとつはっきりしないところがあるんですけど、概念的には狩猟採集から農耕生活に入った時、大地に種を撒き、作物を育て、収穫するという行為で、人類は、文明というか知的創造力を開花させたということではないかと思うんです。 


その知的創造ということで、佐藤先生のお話の中では調理をするということが含まれていなかったんですが、ダイズもコメもムギも調理をしないと食べられないもので、その中でも一番面白いのはコムギの調理と思います。 


イネはコメを精米してそのまま食べられますが、コムギは完全に粉にして食べるので、多分、中国でできて西洋に受け入れられても、アジアではダメだった理由なのかなと思ったりするのですが…。 



佐藤


私も、コメがそのまま食べられるというのが不思議なんです。 先日スーダンに10日ほどいましたが、アフリカはいろんな穀物があるが、ほとんど粉にするんです。 その中で、不思議なことにコメはそのまま食べるんですね。 いろいろその理由があって、コメはうまいからとか、コムギは外側が固いから粉にするしかないとか聞くんですが、ホントのところはよくわかりません。 いっぺん本気で考えたいですね。 



高橋


個人的に思うのは、宗教と結びついている部分があるんじゃないかということです。 ぼくたちは、コメをそのまま、自然の、大地のものをそのままの形で姿を残して食べたいと思う。 西欧は、逆に、人工的なもの、自然を攻略し何か新しいものを作り出すことに意義を見出すようなところがある。 例えば、パンですが、細かい要素が含まれていて、水や食塩、酵母で発酵させる。 まるでムギの形の体をなしていないものにするんですが、これが、西洋的な考えで、高価値を生み出した。 つまり、形を全く変えて、しかも、人間は、ムギをそのまま食べるより、もっとうまいものに作れるんや、という偉そうな感じがしないでもない。 



佐藤


それは西洋というかキリスト教だと思いますね。 今、自然のものとおっしゃったけれども、それはほんとうにそうですね。 動物性の食品を考えるとよくわかるのですが、最近は少し変わってきたものの、日本を含めた東アジアでは、コメと魚を組み合わせる。 大概、天然資源なんですね。 これに比べ、西欧は天然ではなく家畜でして、2千年前からそうなんです。 神が与えてくれたものという考えなんですね。 



山口


今の関連質問です。 主食という言葉なんですけど、ぼくらはすぐにコメが浮かびます。 しかし、ぼくはフランスに3年、英国にも1年住んでいたんですが、主食という概念はなく、しいていえば魚か肉です。 狩猟されたものを主たる食と思っていて、農耕で得られたものはそうではないようです。 たまにジャガイモという答えを聞きますが…。 これはなぜでしょうか。 



佐藤


パンはヨーロッパでも最近のものなんですね。 それに、そんなに思い通り食べられるものではなかったのではないか。 キリスト教で「人はパンのみに生きるにあらず」といい、精神的なものの大切さをいっていますが、それは、パンがとても日常的なものだったというより、非常に貴重なものであったということではないかと思っています。 デンプン質のものからエネルギーを取れるようになったのは、そんなに古いことではないんです。 だから、ヨーロッパで、パンが主食という人はほとんどないと思います。 



堀場 雅夫(堀場製作所最高顧問)


年表を見てますと、人間が穀物を作って食べ始めたのは大体1万年前ということなんですが、何百万年も前から生きている人間は、それまで何を食べていたんですか。 


佐藤


そんなに詳しいことはわからないですが、穀物の元になった野生の草や野生のイモ、ベリーの仲間やハチミツなど直接糖分を取り込めるもの。 実に雑多なものを食べていたようですが、保存できたり、持ち運べるということで、だんだん穀物が定着していったんですね。 



堀場


大体1万年ぐらい前までは、野生の似たようなものや野生の動物を食べていて、自ら生産することはなかったと考えていいんですね。 



佐藤


4万年ぐらい前と、過激なことをおっしゃる人もいますが…。 



堀場


まあ、しかし、何百万年という人間の歴史からいうたら、1万年も4万年も大差ないですね。 



山口


先ほど、古代のアフリカ文明の話が出てきたように、エジプト文明や中国文明以前にアフリカではいろんな農耕活動が行われていたということですね。 



佐藤


私は、その可能性はあると思っていますが…。 



高田 公理(佛教大学社会学部教授)


糖質をこんなにたくさん摂るようになったのは1万年前ぐらいからということですが、なんで糖質をエネルギー源として選ぶようになったのかな。 大量に生産できるということが背景にあるんですか。 


佐藤


その通りで、蓄えれられ、いつでも食べられるということがあります。 穀類は年がら年中同じ質のものを供給できる。 そして、糖質をたくさん摂るようになって起こった変化は、妊娠期間の短縮で、子供がたくさんできます。 



高田


さきほどのアフリカの赤土地帯に関連したコメントですが、穀物生産が行なわれれば、その保存が可能になる。 すると、その瞬間に必ず、社会的な格差が生じ始めます。 こうして格差が生じると、そこに、なにがしかの権力が生み出され、巨大な構築物が登場することになる。 アフリカの赤土地帯で、そういうものは見つかっているんですか。 



佐藤


エジプトやメソポタミアのような形の建築物は見つかっていないと思います。 なかったかもしれないし、サハラのような所だから、よう見つけていないのかもしれません。 



高田


穀物を生産する農業が始まると、富の保存が可能になるので、必ず格差が生じ、権力者が巨大な構築物を造りたがるといいましたが、逆に、そうした条件のないところでは、そんなものが出来ることはない。 例えば、牧畜に基礎を置くモンゴルは巨大な帝国を生み出しましたが、一時的な都市を除いて、永続的な都市は生み出さなかった。 東南アジアも、イモやバナナの農業は、保存できる食物を生産しないので、大文明を成立させることがありませんでした。 そういうことが言えそうな気がします。 


今ひとつ、これまで栄養学者は、摂取カロリーの半分以上を炭水化物から摂っている日本食は健康的だと言ってきたのですが、最近、それを疑う議論が盛んになっているようです。 ま、それはいいとして、1万年ばかり昔、狩猟採集社会では、かなり大量の動物の肉が食べられていたはずです。 赤道に近いところでは植物食も少なくなかったようですが、緯度が高くなると、たとえばイヌイットのように、食物に占める動物の肉の比率は確実に大きくなったはずなんです。 にもかかわらず、最近までの栄養学は、なぜ穀物食の比率を高める方向に話を導いてきたんでしょうか。 



佐藤


WHOが言っているのですが、2100キロカロリーから始まって、野菜を食べろ、肉だけでは健康に悪いとか、どうでしょうか。 根拠のないものが多いと思いますよ。 



堀場


日野原重明(聖路加国際病院理事長)さんと話した時、70歳過ぎたら1200キロカロリーでいいとおっしゃるので、私、90歳近くになりましたけど、2000キロ以上摂ってますといったら、「そんなはずはない」と随分ご機嫌が悪くなられ、困ったことがある。 大体、神さんいうのは、欲しいと思ったものを食べるようにしてくれているので、その、嫌なものは食べない方がいい。 欲しいものを好きなように食べたらいい。 ただ、確かに食い過ぎは良くないですね。 やはり8分目がいい。 私がよく行く寿司屋さんは、「そのへんで食べるのやめて」というんです。 食べ過ぎてもう寿司は嫌だと思われたら困る。 また食べたいと思うところでやめてくださいということなんです。 たしかにそうだと、主の言葉に感心しましたが、一体、食というものに対して人間はいかにあるのがいいのか、ちょっとお話していただきたい。 



佐藤


「お医者さん業界」の人がしばしばおっしゃることで合理性がないと思うのは、一日何品目を食べなさいということですね。 しかし、それはどうでしょう。 例えばモンゴルの遊牧民は、6、7月はずっと1日、馬乳酒だけを飲んでいますが、それが、体に悪いことなどない。 何種類食べなさいというのは頭の中で作られた概念で、そろそろ疑ってかかってもいいと思う。 そういう意味で、2100キロカロリーも同じです。 今日はこれが食べたいという根源的欲求に耳を傾けるべきで、甘いものや苦いものなどを感じる味覚は小さな時から鍛えることは必要だし、大事にするべきだと思う。 しかし、病院食とかお年寄りの施設の食事とか、虐待に等しいものがある。 1日何種類とか何キロカロリーというのは文化や季節によって変わるべきだろうし、そういう観点から見直すべきだと思うんです。 



山口


寿司の話が出ましたので、高橋さん、教えていただけないでしょうか。 私は、海外の多くの寿司は「なんちゃって和食」と思うんですが、すごく増殖していて、和食の定義を崩していると思うのです。 



高橋


お寿司は、お米というより上に乗っているネタ、魚が優先されるものなんですね。 ということは、魚の存在がなければ寿司は存在しません。 日本料理というものを考えるとき、そのピラミッドの中で最も優位性があるのはナマ食で、生がダメなら蒸し、蒸すのがダメなら焼き、焼いてもダメなら揚げ、それでもダメなら炊くというこういう順番があるんです。 これでわんさし、お椀と刺身が一番上位なんですが、寿司は、そのピラミッドの例外的な要素で、鰻丼と同じような存在で、ピラミッドから除外されながら入ったり出たりしている存在です。 そのお寿司の一番大事な部分は、魚の衛生的な管理。 衛生的な管理とは何かといいますと、そこでとれたものを衛生的に調理して出すというのが寿司の大きな概念でありますので、それが可能なら、私も寿司を出すのはやぶさかではない。 つまり、鮮度のいい魚を生産者がしめる技術があり、流通が発達していて、料理人の衛生管理がしっかりしているというこの三つが寿司を出せるベースになっているんですが、海外でもこれを踏まえてできるというのなら、問題ないと思います。 


ところで、ご飯の話のついでに麺なんですけど、中国で始まったんでしょうが、イタリアと中国の麺の関係はどういうふうに考えたらいいのでしょう。 



佐藤


石毛(直道 国立民族学博物館元館長)さんだったかがいってましたね。 中国の麺が行ったんですね。 麺は歴史的に新しいです。 



高橋


当然、日本の麺も中国から来たんですね。 



佐藤


そうですね。 麺というのは、一つはコムギ、塩がないとダメ。 日本のような軟水のところは、わざわざ塩を入れてグルテンのネバネバを引き出す。 中国では、塩湖の近くのところに行くと、元々水の中に塩分があり、硬水なんで、日本のように塩を入れるなんてことしなくても麺にコシが出る。 新疆ウイグルに行った時、そこでどんな粉使っているのか聞いてみたら、なんと強力粉も薄力粉もないんですよ。 塩水をうまく使っているんですね。 



山口


では、ソバはいかがでしょうか。 コムギが
取れないような寒いところで、代替穀物として仕方なく食べられていたようにも思います。 



佐藤


いやあ、今は、そうということなんですよ。 ソバの起源地はどうも中国の西南地域のようなんですが、うどんが出て来て知られるようになって、あそこはソバしかできないといわれるようになる。 でも、そこに住んで最初から食べている人たちは、そんなこと思っていなかったと思います。 



高田


フランスのブルターニュ地方では、ソバをたくさん食べますね。 



山口


私はフランスに3年住んでいたんですが、そりゃそばの食い方は多様です。 いろいろ食べましたがおいしいんです。 日本に帰ってくると、恋しくて、恋しくて仕方ない。 



佐藤


ソバは、割と古い時代からユーラシアで食べられているんですね。 



堀場


山口さん、どんなふうな食べ方したの? ソバ団子?



山口


基本はクレープですね。 北フランスのブルターニュでは、蕎麦粉の溶き方やクレープの上に乗せるものなどで多様さを競っています。 



高田


基エチオピアにも、インジャラという、よく似たものがあります。 テフという穀物を粉にして水で練り、クレープみたいにして食べるんです。 焼く前に発酵させたものは、ちょっと酸っぱい味がするのですが…。 



佐藤


北アフリカには、いろんな雑穀があるといいましたが、見かけも色もソバと似たようなクレープがたくさんありますね。 





~会場からご意見をいただきましょう~



五十嵐 敏郎(金沢大学大学院生)


コメなんですが、いろんな種類があったのに、いま栽培されているのはすごく品種が限定されていますね。 ああ、5品種ですか。 そんな少ない品種で何かのトラブルがあった時、どうなるんでしょうか。 



佐藤


おっしゃる通りですね。 日本のコメの現状をお話しておきますと、ダントツがコシヒカリで36、37%あるでしょうか。 ナンバー4まで全部たすと60何%になるんですが、問題は2番目から5番目までみんなコシヒカリの子なんです。 おっしゃったように、コシヒカリを狙う害虫がはいってきたりすると、コメの60%を失ってしまうということになりかねない。 それと、文化的にも大きな問題は、日本人がみんなコメの味覚音痴になっているということなんです。 最近でこそ減りましたが、一時、10年ぐらい前、偽コシヒカリがいっぱい出ました。 3割が偽物だったんです。 どうしてわかったかというと生産量と出荷量が合わなかったんですね。 私は、DNAの検出キットを作りましたが、出るは、出るは、どんどん偽物が出るんですが、それでも偽物はなくならなかったんです。 コメの味がわからなくなっているので、コシヒカリと書いてあると買ってしまうんです。 日本人のおコメの味覚が鈍っているためですが、それは、コシヒカリやコシヒカリファミリーのコメしか食えなくなったのが原因で、文化的に大きな弊害です。 いろんなコメが食えるよう早くしないとダメですね。 



高橋


コメは何種類はあったんですか。 



佐藤


今までですね、昭和元年から今年までのあいだに農林水産省が品種改良したコメの種類は440あります。 その中の5品種だけが使われているにすぎません。 また、その前は、はっきりした統計はありませんが、4000超えるコメがあり、これの中から特定のものをつかまえて交配してできたのがコシヒカリなんです。 4000のうち、殆どを失ってしまったんですね。 



高田


れ、よう似たことが日本酒の世界でも起こってね。 90年頃、とにかく日本中の酒が純米吟醸になってきた。 みんなそれを頂点に向かっていったんですが、最近、いろんな酒が出てきて、味にちょっとばらつきがでてきた。 これと同じでことで、コメも、まもなくバラけてくるんじゃないかなあ。 それを担保するのがジーンバンクと思うんですが、それ、ちゃんとしてますかね、日本では。 



佐藤


ちゃんとやってますけどね。 古い品種を冷蔵庫に入れてあります。 しかし、ジーンバンクに種があるからといって、安心してはいけませんね。 ちゃんと生産できるようにしようと思ったら、3年も4年もかかります。 


日本酒のことをおっしゃいましたが、和牛の世界は、もっとえげつないことになっていまして…。 日本列島に約300万頭の和牛がいると思うんですが、いい種牛を選んで繁殖してブランド肉を作っていくんですね。 昔は、種牛をトラックに乗せて運んでいって種を付けたんですが、今は、種牛から取った精液を冷凍しておいてそれを運んで種を付けるようになっている。 このやり方ができるので、例えば宮崎県の「平茂」という雄牛の子供は、実に30万頭もいます。 同じ男としてどう感じますかねえ。 驚きはそれだけじゃない。 平茂は、既に平成18年に死んでいるというのに、何と未だに子供が生まれているんですよ。 ここまで来ますとねえ…。 



堀場


話は佳境に入ってきましたね。 それで、お酒の話が出てきたので聞きたいのですが、オオムギとビール、コメと日本酒、トウモロコシとバーボン…穀物とお酒は直結している。 いつごろから穀物で酒をつくるようになってきたのか。 穀類と醸造の歴史のこと教えていただきたい。 



佐藤


酒の研究は、亡くなった吉田集而(文化人類学者、元国立民族学博物館教授)さんが、大きな研究会を作っておられたのですが、私も誘われ「酒にならない穀物はありやなしや」というテーマを与えられました。 しかし、調べてみると、どうも酒にならない穀物はないようなんですね。 ことごとく酒になる。 ですから、穀物ができた時と同時に酒もあったと考えられます。 今堀場さんがおっしゃった穀物のほか、コムギも、昔のエジプトでは生焼きのパンにしておいて、水にふやかして作ったようです。 



高田


果汁はブドウ糖を含んでいるので、イーストを入れたらそのまま酒になるんですが、デンプンは糖化しないと酒にならないんですね。 その方法は2種類ですか。 



佐藤


いや3種類ですね。 



高田


カビとモヤシと、ああ、口噛み(唾液)ですか。 ムギは大体もやしですね。 インドではコメのモヤシで酒を作っていると聞きましたが…。 



佐藤


コメは糖化能力が弱いから、それは例外的ですね。 コムギも、オオムギに比べるとアミラーゼが弱いので、なかなかビールにするのは難しい。 



高田


麹を入れたら、うまくいきそうですね。 韓国では、最近マッコリをコメではなく小麦粉で作っているようです。 






山口


わざわざ駆けつけてくださった山極さん、コメントをいただけないでしょうか。 



山極 寿一(京都大学大学院理学研究科教授)


人間が栽培植物として利用してきたのは、イモとかマメとかありますが、穀類というのは、相当、地力を奪う性質を持ってると思うんですよ。 だから、穀類が発祥したところでは、ほとんど砂漠になっているところがありますわね。 それで、肥料とか栄養をたくさん入れないと再生しないし、焼き畑も、人口が多くなると穀類を作っていてはやっていけなくなるので、どんどん廃れていく現状があります。 これから、穀類に依存し続けていったら、地球上の畑の面積はどないなっていくんでしょうか。 



佐藤


いやあ、農業の未来とか環境の話をすると暗くなるのでしたくないと、さっきもいったんですよ。 今、山極さんがおっしゃった通りなんですね。 穀物の土地の収奪は、とても激しいものです。 特に、トウモロコシなんてすごいもので、2、3年やると土はボロボロになります。 それを回復するためにしょうがないから化学肥料を使うわけですが、これはまた石油のエネルギーを使うわけで、悪循環の繰り返しなんですね。 この穀物の土地の収奪は、穀物の本来的な性質のものか、あるいは品種改良によってそんな穀物にされたのか、まあ、議論のあるところですが、私は、後者なんだろうと思っております。 


スピーチの最後のところで申し上げたことですが、人類は、賢い農業をやってきておりました。 例えばモンスーンアジアでは、田んぼのドロドロの中に魚を飼って、植物連鎖を完成させていますし、欧州では、三圃制というのがあって、家畜とその糞を利用し、うまく土地をローテーションしていって上手に地力を回復させています。 インドでは、まず雑穀を撒いてトウモロコシみたいのが生えてきたら、次はマメを撒く。 マメは根粒菌というのを持っていて根でチッソを合成し、結果土地を肥やすことになる。 雑穀はツルで巻き付かれるが代わりにチッソ栄養分をもらうわけです。 このように、昔からうまい仕組みを考えてきたんですね。 それをやめて、化学肥料に置き換わってきたことで、山極さんがおっしゃるような問題が出てきているんだと思います。 



高田


化学肥料の問題というより、新大陸農業というか、徹底的に同じものを大量に生産するというやり方が問題なんですよね。 大変具合が悪い。 



佐藤


たしかに、肥料が足らんといいますが、チッソ、リンサン、カリが主なもので、人間が何をしようと、これらは、地球上からなくなるわけがない。 元素としては保たれてるわけです。 それが、なぜ足らんかというと、過剰に使うから、回転のスピードが追いつかなくなって肥料不足になっているように見えるわけです。 早くたくさん作るということは、いい方を変えると、後の世代の分まで食って、今の我々が生きているわけで、ここのところが問題です。 



高田


穀物の場合、人間が食うのと家畜の餌になっているのと、世界的にはどのぐらいの割合でしたか。 



高田


トウモロコシは、人類のエネルギーの26%でしたが、そのうち餌に使われているのが半分以上だったと思います。 それを使ってタンパク質として利用できるのはその10分の1です。 10倍効率が悪い。 それで、モンゴルのように草原で飼っている家畜の餌を穀物飼料に変えた時大きな問題が出てきますね。 



木村 美恵子(タケダライフサイエンス・リサーチセンター所長)


先ほど、堀場さんから栄養摂取で疑問があるというような話がありましたが、先日、栄養・食糧学会に出て、今の栄養摂取基準がいかにおかしいかということをいって、みなさんから叩かれてきたところなんです。 私は、どうも、あの基準は観念的な決め方、自然に反しているやり方、実際には何もデータを取らないでやっていることが多いように思います。 栄養士さんたちも、あまりにも何も知らない。 動物実験では、欠乏の食事を与えると、狂乱状態に陥るぐらい欠乏しているものを求めます。 その人の欲するものを食べる、と先ほどおっしゃったことがそのものであって、誰彼関係なく観念的に野菜を何種類取らなければいけないとか、栄養摂取では、そういう考えを根本的に直さないといけないんじゃないか。 まあ、こんなことを学会でいって怒られてきたのですが、ぜひ欲するものを食べるという自然の欲求を大事にする考えを、こういう場でもっと提案してもらいたいと思います。 



山際


先ほど味覚の話をされましたね。 日本人がコメの味がわからなくなっているということでしたが、ちょっとそのことを伺いたいと思います。 肉とか葉っぱは、猿の頃からずっと食べてきたもので、細かな違いがわかると思うんですよ。 しかし、穀類というのは1万年ぐらい前からですね。 だから、味覚を発達させるには至っていないんじゃないか。 これは日本人というのではなく、ヨーロッパ人、アジア人等しくそういうことで、どうなのかなと思うんです。 高橋さんどうですか。 



高橋


新米がでるころに20種類ブラインドテストをします。 コシヒカリ、ヒトメボレ、地域の違い、甘くて香りが高く、食感がいいとかを調べ、作柄をみるんですが、それぞれ、毎年違います。 高いお米は、コシヒカリ、ヒトメボレの違いはもちろん、それぞれの地域の違いもほとんど分かります。 ある程度の料理人なら、大概できます。 微妙な範囲の違いを感じなければなりませんので、それが認識できるよう訓練はします。 



佐藤


今の話にありましたように、日本のコメというのは、ものすごく狭いところで感覚を研ぎ澄まし、当てるというそういう世界なんですね。 人間が持っている味覚のそもそもの識別能力の限界に近づいてきているんだと思うんですね。 だから、訓練もいるんです。 一方、野菜なんかは、結構雑ぱくで、例えば、同じ畑のキャベツでもいろんな種類があって、味が違っていてしかるべきだったりするんです。 



高田


人間の味覚細胞の種類は5種類しかなくて、そこから感知した情報を脳で判断するわけですが、うまいうまくないと感じるのは、これは一代限りで、歴史的経験が蓄積される方法はないやろうと思うんですが。 



山際


穀物は、甘いとか辛いとかいうのではなく、何か、ひとつの文化によって違うという感触なんですね。 おそらく、生まれてからそういう味を経験しながら習熟していくものだと思うんです。 だから、非常に文化的。 微妙な違いがわかるというのはお酒も一緒で、味音痴でも、訓練した人に美味しいといわれると美味しいと思えるわけじゃないですか。 このあたりのいい加減さと高尚さがマッチして穀物というのはできていて、肉とか野菜とは全然違う別の食い物かなと思ったんです。 



山口


も、日本人の味覚はモノトーン化されていると思います。 佐藤さんがおっしゃったように「コシヒカリ化」といえばいいでしょうか。 私は、「ミルキークイーン」というお米が一番うまいと思いますが、なぜか京都では売っていない。 それに、私がヨーロッパに行ったとき幸せに浸るインディカ米。 これも日本では買えません。 これ産業になっていないからですね。 農業はコメによって政治化され産業になってないので、多様化していないのです。 


そこでこれから、農業をどうしていけばいいか。 つまり、農業の未来はどうあるべきか。 この論点をたたき台にしてワールドカフェに移り、ワイワイやっていただきたいと思います。 





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