第6回クオリアAGORA_2014/ディスカッション/活動データベースの詳細ページ/京都クオリア研究所


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第6回クオリアAGORA_2014/ディスカッション



 


 

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ディスカッション

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ディスカッサント

京都大学総長

山極 寿一 氏


堀場製作所最高顧問

堀場 雅夫 氏


佛教大学社会学部教授

高田 公理 氏


京都大学こころの未来研究センター准教授

内田 由紀子 氏


京都大学大学院思修館教授

山口 栄一 氏



社会学者 立命館大学特別招聘教授 東京大学名誉教授

上野 千鶴子 氏




山極 寿一(京都大学総長)


上野さん、ようこそ、京都へお帰りいただきました。 私の学生時代に近衛ロンドという自由な討論のできるサロンがありましたが、ちょっと隅のほうでみさせていただいたぐらいですから、多分、高田さんとか、そういう人たちの方が、あの熱い雰囲気を覚えてらっしゃるでしょう。 


上野さん、サクサクと走り抜けて話をしていったので、ちょっといくつか質問したいなと思います。 今、民主主義が限界にきているんじゃないということが、あちこちで聞かれるんですけれども、直接民主主義というお話をされましたよね。 例えば、大阪市長の橋下さんだとか、名古屋市長の河村さんだとか、市政を直接民意に問うということをやりだして、議会とねじれましたよね。 そういうやり方が人気を得ていくというのは、別の新しい形に移行する前の一つの過渡期なのか。 あるいは、上野さんにとったら、それも新しい時代の直接民主主義だと考えているのか。 


なぜこんなことをいうかといったら、例えば、東浩紀さんが、今はネット社会で個人が選挙に参加する方法が変わってきたと分析している。 今までは「代議員制」。 代議員を選んだら、それ以上政治に参加することが抑制されてしまって、後は代議員のやりたい放題、というのがこれまでのやり方でした。 それに対して市民が反発してきたという最近の傾向があると思うんです。 しかし、ネットを使うとまたたくうちにいろんな意見集約ができる。 これも、すごく危険と裏腹なんですけれども、今のIT技術を使って、上野さんがおっしゃる、個人に政治参加を取り戻すってことが可能なのか、というところを聞きたい。 つまり、直接選挙というのがどういうプロセスで、これから育っていくのかということと、IT技術を使って、個人の政治参加ということが可能になるのかということを聞きたいのですが…。 



上野 千鶴子(社会学者 立命館大学特別招聘教授 東京大学名誉教授)


一問一答じゃなくて、まず、このみなさん方で、今のことを少し議論していただくというのはどうでしょう。 



高田 公理(佛教大学社会学部教授)


ぼくは今も18から22、23歳の学生と付き合っているんですが、「君ら選挙に行く?」と聞いて、一番冴えた答えを返した女子学生がいました。 いわく、「おっさんたちの就活の協力を、何で私がせなあかんのですか」というんですね。 つまり、議員っていうのは「単なる就職先と違うのか」というわけです。 これは明快でした。 
実際、就職先として、さまざまなレベルの議会の議員になるというのは意外に簡単なんですね。 そういう連中のために、何故わざわざ、投票に出かけて行くという形で協力せんならんのか。 なかなかすごいというか、鋭い見方やと思わされました。 


それから、もう一つ。 ぼくが務めている大学は、まるで設備が整っていない。 とくの学生のゼミでの学習を考えると、これはとても具合が悪いわけです。 だから、何とかしないといけないので、ぼくら教員がいろいろ要求するのですが、ほかの大学同様、けっこう経営が厳しいので、手をつけてくれない。 それに、ぼくら教員がいくら要求しても、大学当局というか経営者としては、給料を払ってやってる連中の言うことなんか聞く必要ない。 そう考えるのでしょうね。 まるで埒があきません。 


そこで学生たちに、学長のメールアドレスを教えて、「『余りにも設備が悪い。 これを改善してほしい』というようなメールを、かりに100人の学生が送ったら、びっくりして改善してくれる思うよ」というのですが、誰も反応しない。 いまどきの学生は実におとなしいわけです。 


それに比べると10年余り昔、ぼくがまだ武庫川女子大学に務めていたときには、そういうことをゲリラ的にやった学生がいたんですね。 なんでも彼女の言うことには、「武庫女の食堂は『まずい、高い、汚い』」のだそうです。 で、彼女は、もっときれいな食堂のある奈良女や神戸女学院などの食堂をビデオ取材し、武庫女との差が一目で分かる番組を製作して、それをテレビ大阪に持ち込み、税込み30万円の放映料をもらった上で、その放映に成功したわけです。 


するとてきめん、その年度の終わりに武庫女の大学当局は食堂を改善しました。 ぼくらの世代の人間は、当事者主権というのは、こういう具合に考え、行動することなのではないかと考えるのですが、今の若い人はどうも、そういう風には考えないみたいですね。 これって、なんでなんでしょうか。 上野さんの話を聞きながら、ぼくはそういうことを思い出していたのですが……。 



山口 栄一(京都大学大学院思修館教授)


私は、多分政治から一番縁遠い人間だと思いながら聞いていたんですが、きょうのお話の中で、「目からうろこ」がいっぱい落ちました。 確かに、間接民主主義っていうのは、ほんとは民主主義じゃないんだなということが、よくわかりました。 それと、日本の民主主義は、すごく劣化しているなっていうのを肌で感じていましたので、それは、やっぱりこのせいなんだ、ということもよくわかりました。 


ちょっと、私なりに、日本の民主主義が劣化してるなあと思うことを、いくつか挙げたいと思います。 私が本を書いた、例のJR福知山線の転覆事故において、現在までに行なわれた刑事裁判では組織事故を起こした経営者側が、無罪になった。 この転覆事故は、私が本に書いたように、完全に経営者の責任で、1996年にあの線路設計の変更をした時に、確率1で100%事故が起こることがリザーブされた、ということが科学的に証明できているのに、なぜか検察はそれを訴求せず、経営者は無罪になってしまった。 


おかしな国だなと思っていたら、今度は、福島の原発事故です。 基本的に私が証明したように、あのときRCICが稼働して原子炉水位がプラスである間にベントをして海水注入をする決断を経営者がしていれば、少なくとも3号機と2号機は暴走せず、放射能汚染は6分の1で済んだ。 ところが私が証明したように、経営者は何と3号機と2号機の、RCIC稼働中のベントと海水注入を意図的に拒んだ。 それをマスメディアは、だれも問わない。 今回の規制委員会の規制の中にも、RCICが作動したら即座にベント&海水注入をするという規定は入っていない。 だから、同じことがまた起きます。 でも、だれもいわないし、マスコミも絶対書かない。 ここに、民主主義の劣化があります。 


最近、私が衝撃を受けた例は、「特許法」の改正です。 特許法35条というのをご存知でしょうか。 「職務発明規定」と呼ばれ、これだけは大正デモクラシーの時代にできた民主主義的な法律で、私は日本の宝物だと思っています。 ここには、「発明者の権利は不可侵」だと書いてあります。 会社は、職務発明に限って発明者が発明した特許を独占的に実施する権利を持つが、それを貰い受ける時にはそれなりの対価を払いなさいと書いてあるんです。 入社する時に、「あなたがとった特許は、会社のもの」という規定を作ったとしても、それは無効とする、とも書いてある。 会社と個人とがフェアで対等の立場なんです。 ところが、最近、この職務発明規定が密かに変えられました。 あまりニュースになっていないのが不思議なんですけど、「社員がなした特許は、すべて会社のものとする」ということになったんですよ。 日経は小さく出して、朝日は、大きな意見広告というのを出しました。 これでもわかるように、当事者主権が劣化している。 ここに、現政権のおごりが見られると思っているのですけれど、どうしたら変えられるんだろうかと、ある種の無力感を感じていました。 


というわけで、やはり、われわれ、直接民主主義というビジョンを掲げるべきだと思いました。 どうやって為すべきかってのは、多分、ITの技術を使えば、うまくできると思うんですけれども、ポピュリズムに持っていかずに、かつ選民主義にも持っていかず、愚民政策なんかに陥らずやれる方向って、あると思うんですね。 きょうのお話を聞いて、ほんとに目からうろこ、でした。 



山極


内田さん、ずいぶん若い人のこと、特に心のケアに関してはいろいろ見てらっしゃると思うんですけども、上野さんのきょうのスピーチを聞いて、感じたことをおっしゃってください。 




内田 由紀子(京都大学こころの未来研究センター准教授)


社会心理学とか文化心理学を専門にしている立場からお話をお伺いして、日本という社会・文化が、そもそも抱えている問題とも結びついているように感じていました。 民主主義というのは、基本的には主体性が問われる制度で、自分という主体が権利をもっていて、それを行使し、行使した結果評価するという一連のプロセスを、全て主体的にできなければ実行できない。 しかし日本の意識においてはそもそも主体性が弱い。 自分が何かを変えられるという意識に欠けがちです。 どこに就職するとかいうような自分事であっても主体性が乏しい中で、国家あるいは公に対して、自分が何か意思決定をして、しかもそれに対してきちんと評価し責任をとるのだということについての主体性が認識されにくい。 


心理学での研究の中では、どうやら日本人には「アンカー」みたいなものが必要で、「こういう意見があります。 あなたはどうですか」とか「こういう人がいます。 あなたはどうですか」という「参照点」ができていくと、主体的な意見が立ち上がったりすることがあります。 例えば、ゼミ生とかに「何をやりたい?」って聞くと、「……」みたいな感じなんですけど、「じゃあ、このテーマでやったら」というと「それだけは嫌です」とかなるわけですよね。 アンカーが出てくると「それだけは嫌」とか「それは違う」という個人の意識が出てくる。 日本的な主体性を、どうやって起動させるかという仕掛けのようなものが必要なのではないかと感じています。 



山極


堀場さん、まさに創業者として、自立とかについてどうお考えですか。 企業は、上野さんの話にも出てきましたが、戦前の体質を引き継いでいるんじゃないかと、いうことでしたが、いかがでしょう。 



堀場 雅夫(堀場製作所最高顧問)


最近、面白い現象があって…、若い連中を「こんなことやったらダメやないか」って叱ると、その答えは決まってるんですよ。 「そんなことは聞いていませんでした」「そんなことは教えてもらっていませんでした」っていうわけです。 昔やったら、ほんとに聞いてなかっても、「すんません。 当然、私が考えて、そうやるべきだった」といったものです。 心の中では、たとえ、「そんな大事なことなら、教えてくれといたらな」と思っていたとしても、そうだったんです。 しかし、最近は、逆なんですね。 「そんな、怒るほど大事なことなら、何で先にいわないのか、教えてくれないのか」と悪びれもせずに、言い返される。 これものすごく多いんですよ。 


これ、民主主義とどんな関係があるかということなんですけども、今、上野さんの話にちょっとあったように、今の若い人は、何かものが起こっても、それに、自ら対応するという気はないんだと思います。 例えば、隣に火事が起こったら「逃げるか、水をかけなさい」といっておけば、しますけども、どうしろといわなかったら、じっと立って焼け死ぬのか、熱いから逃げるのか、それが、彼らの自主性であり、それ以外のことはやらない。 これ、何でこんなことが起こってきたかというと、ぼくは、やっぱり、「戦後の意識的な変な教育」が、そのまま進んできたからと思うんです。 


私は学生の時は原子核物理をやりましたし、これ、山口さんも専門なんですけども、そんなことで、私、原子力関係の測定器もやっておりまして、この間フランスに行きました時、親しくしている原発の関係者と話しましたら、「福島は大変でしたね。 しかし、あれで、われわれ、ほんとに助かりました。 原子炉は、冷却さえしっかりしておれば、今の設計で機械的問題とかについては安心そのものであることがわかった。 これから、積極的に原発を推進して、原発を使わないドイツに、どんどん電力を売っていきたい」、というんですね。 日本の方は、その福島を見て「大変、大変、原発は二度と作らない」と。 同じ、そこそこ、技術力、国力を持つ国が、これだけ大きな差がでている。 これ、だれの責任かというと、日本の科学者で、現状をはっきり説明していないことが大きな問題だと思うんです。 京都大学にも、いっぱい原子力関係の人がいるので、さっきのフランスの話をして、あなたは、社会的責任を果たしていない、といったら、「そんなこといったら、マスコミがわっとやってきて、自分の研究ができなくなる。 そんなあほなことはせん」というのが今の学者で、これ、まさに学者が、社会的責任を果たしてない一つの証拠ではないか。 


同じことが、「CO2温暖化」に起こっていまして、これも、もちろん論議をしなければいけないけど、CO2が増えるぐらいで、地球の温度が1度、2度上がるなんてことは、どっから計算しても絶対出てこないんです。 これは、H2O、要するに水が単分子であるか、集まってるかによって雲ができて、その雲によって地球の温度が変わるという、H20、雲の方がはるかに影響が大きい。 それから、赤外線の吸収に至っては、これ、私の専門の商売ですが、H2Oの吸収があらゆるバンドにありまして、CO2の吸収が少ないために、これをいかに取り出すかってことで、私は、その研究をして、その赤外線分析計では世界一になった。 つまり、いかに、CO2の赤外線吸収度が小さいか。 それに比べて、H2Oがバックグラウンド大きいのを、これをどう取り除くのかっていうノウハウで、うちの会社が成り立っているんです。 なのに、なんで、CO2温暖化なのか。 これ、よくわからない。 


それと、わからんことは、経済にもあるんです。 数年前、「1円株式会社」というのができました。 これ、とんでもないことやと思うんですが、その国の最低の通貨の単位の資本金で、株式会社と称してですよ、取締役が1名でその会社が成り立つなんて、株式会社という名前とですね、資本金1円と社長一人で会社が成立するという、こんな矛盾をだれも取り上げない。 あんまり頭にきて、たまたま日経の社長が来てたんで、これをどう思うかと聞いてみた。 すると、彼は編集局長に聞くんですね。 するとその答えが「そういうことになってるらしいです」というものでした。 これが、日経新聞の「1円株式会社」に対する考え方。 で、ある商学の学者に、どう思うと聞いてみたが「これは、大学発ベンチャーをようけ作らんならんから、資本金が高かったらできへんさかい、1円ならできるやろうと、考えて考えて、これできあがったもんや」という返事でした。 ぼくは、ほんとに日本人というものは、どこで誇りを失ったのかわかりません。 


で、最後の結論は、私は歳をとってよかったなと思っています。 まもなく、満90になるんですが、私は、毎年、正月になったら、自分の残余年数を、生命保険会社の人に聞くんですが、89歳の時、後、2年3カ月だったんです。 ですから、確率的には、後、2年3カ月足らずで死ぬことになりますので、日本の嫌な嫌な面を見ずして死ねる。 これ、歳をとっていてよかったなと。 これが、もし、30歳ぐらいだったら、あと60年も、日本の嫌なことを見続けなければならないんです。 もう、これ以上見たくない、というのが今の心境です。 



山極


有り難うございました。 大学政治に手を付けてみるとですね、今、堀場さんがおっしゃったようなことがよくわかります。 上野さんも、愚民政策のような話をされて、みんな結局、自分に関係しないことには目をつぶるということを指摘された。 原発事故にしても、いろんな複雑なことが絡んで起きていて、だれも当事者責任を取らない、だれも追及しないって時に、自分が自らそれを知ろうとしない。 知って何になるの、時間の無駄じゃないか、とみなさん思ってらっしゃるような気がすることが多々あります。 


市民はどこにいるんだ、っていう思いがする人はたくさんいるでしょうね。 これは、女の問題ばかりでなく、男の問題でもありますし、男女っていうような話ではなくなる問題も、選挙に絡んでは大いにあると思うんです。 上野さん、今のみなさんの話いかがでしたか。 



上野


いやあ、なかなか面白かったです。 堀場さんは、90歳。 これから、「日本は悪くなる一方である」と予測しておられる。 私の先ほどの仮説、「年齢が高い方ほど、日本の将来に悲観的である」というのが、もう一つの例で裏付けられました。 内田さんが心理学者として「日本文化に関係がある」といわれると、文化というのは、いわば民族の集団的DNAのようなものですから、「未来永劫に変わらない」と宣告をなさったのと同じになります。 そんなことをいってもらっちゃあ困る。 私は、「当事者であることと、当事者になることは違う」といいましたが、高齢者に関していえば、今の後期高齢者の要介護者の権利意識と、団塊世代の権利意識は全く違うと思っています。 世代と年齢と性別の影響がありますから。 これからの私の目標は「目指せ要介護者」なんですが、要介護者になった時に「権利主張をしたるで」というふうに思っておりまして、そういう意識を、あまり文化論に還元していただきたくないなと思います。 


山口さんは、科学者として恐ろしいことをおっしゃいました。 「福島級の事故は、間違いなくまた起きる」―いやあ、恐ろしいですね。 どの組織も、どの個人も全く何の責任も取らないうえに、わかっていても学者はそれをいわない、と。 


小林慶一郎さんも、あの本の中で恐ろしいことをいっておられます。 エコノミストはいろんな研究所で消費増税先送りの経済効果の予測値を出しているんですね。 それを、数年先までは出すが、シミュレーションすればホントは長期予測はできているはずなのに、怖くて出せない。 あまりに恐ろしい結果なので出せないだけでなく、政権の顔色を見て出せないっていっておられます。 エコノミストという専門家たちも将来予測のシミュレーションの結果を出さない。 同じようなことを科学者もやってると。 そうなると、ほんとに、「局所最適・全面崩壊」という破局が起きるという予言をなさって、大変恐ろしい気持ちがいたしました。 


特許法が変わっちゃったっていうので、怒り狂ってたのがノーベル賞を受賞した中村修一さんです。 法律を変えちゃうとどうなるかっていうと、ある政策のインパクト、政策効果を考えると、中村修一さん級のオリジナリティと能力のある人は、日本から出て行くっていう効果しかなくなるわけで、国力低下につながるに決まっています。 シミュレーションすればわかることに、なぜ目をつむるのだろうかと思うんですが…。 



堀場


ちょっと、すみません。 山口さんに質問あるんですがね、原発事故が必ず起こるというのは原因が何なんですか。 要するに、今のような経営システムだったら起こるということなのか、技術的な問題なのか。 



山口


堀場さんがおっしゃったように、技術的には起こらないです。 経営上の問題です。 



堀場


その辺がね、とても大きな問題で、「必ず起きる」なんていうと、みんな誤解しますよ。 その辺をはっきりさせとかないと…。 そこがねえ、技術屋がええかげんなんですよ。 震源地も福島原発よりうんと近いところにある女川発電所はびくともしてないんですよ。 こんなこと、新聞には、こっから先も書かれていないでしょう。 それをどうして、科学者が、こんなことおかしやないかといわないのか。 これは、卑怯であり、学者は、社会的責任を果たしていない。 



山口


もう1回きちんと整理しますと、技術的には、原子炉水位がプラスで、炉心が冷却されている限りは大丈夫なんですね。 冷却するシステムの最後の砦として、非常用の非常用ともいえるRCICというのがありまして、これが動けば、少なくとも数十時間は大丈夫。 つまり技術者というのは想定外がまったくないようにシステムを設計している。 このRCICが動いている間にどう対応するか、つまり「技術経営」の問題になるわけです。 あの福島の時には、官邸にいた管さんと日比野さんが、早くベントをして海水を入れろと強く主張した。 しかし、東電側は、やんわりと意図的に拒否をした。 それで、あんな大事故になっちゃったわけです。 もし、RCICが動いてる間に現場の判断で海水を入れることができるようになっていて、入れた現場のエンジニアは免責になるというふうに制度設計されていればよかったが、そうなってなかった。 あの時、もし海水を入れていたら、現場のエンジニアは、懲戒免職どころか、多分、東電から何百億円ないし何兆円というような膨大な損害賠償を請求されていたと思います。 ですから、そういう意味で現場判断では海水注入ができず、経営者だけが海水注入をする権限を持っていたが、経営者がそれを許さなかったので、ああなっちゃったわけです。 それで、規制委員会はどうするのかなあ、と思っていたのですが、「RCICが動いている間にベントと海水注入をしなさい」というマニュアルに変えればよかったのですが、結局、してないんですよ。 でっかいタンクを付けて、とにかく淡水を入れましょうと。 それで乗り切ろうとしてるので「また、起こる」。 


その問題を、少し普遍化したいと思います。 1972年に、アルビン・ワインバーグという核物理学者が面白い論文を書いていて、そこで予言しているんですよ。 「サイエンスとトランスサイエンス」っていう論文なんですが、そこで彼は「非常に確率が低いけれども起こり得るような事故、たとえば原発事故。 これをどうするかという問題は、多分サイエンティストだけで決められない。 サイエンティストに問いかけることはできても、答えを出すことはできない問題である。 もはや市民がそこに入って、ある種民主主義が機能して、それで決めていかなきゃいけない問題だ」と。 それを、サイエンスを越える問題だというので、トランスサイエンスと名づけてるんですね。 例をあげていて、アメリカは原子炉を作った時に、市民が設計にまで立ち入って、こんな原発でいいのかっていうので、幾重にもセイフティーシステムのありとあらゆるものを、過剰なほど入れた。 一方、ソ連はどうしたか。 原子炉は、一番内側に圧力容器があってその外側に格納容器があります。 格納容器が爆発したら、その250キロ圏内は全部人が住めなくなるといわれていたんですが、ソ連は何と、この格納容器を付けなかった、というのです。 


このように、民主主義が機能しているか、していないかで、こんな差ができちゃう。 これも、サイエンティストが解決できない問題だというわけですね。 ある種の民主主義度っていうのが、トランスサイエンス問題に対して重要になってくると思います。 日本の立ち位置は、ソ連に近いと私は思います。 ですから、市民とサイエンティストが、こんなふうな場で、ちゃんと議論しなくてはならない。 今、東電は、腫れ物にさわるような感じで事故後の処理をやってるわけですけど、そんなんじゃなくて、今、堀場さんがおっしゃったようなことをきちんと議論すべきだろうなと思います。 



上野


山極さんのおっしゃった、直接民主主義か間接民主主義化っていう問いですが、直接民主主義に今のところもっとも近いのは、自治体の首長選挙です。 したがって、代議制民主主義による議員選挙の議会と首長との捻じれが起きる。 議院内閣制はそれが起きないようにできてるんですが、直接民主主義に一番近い首長選挙の結果生まれた権力が、首都圏では石原政権であり、大阪では橋下政権であり、名古屋で河村政権という、日本3大都市が全部この結果です。 そうなると、首長選挙だと愚民政治が起きるっていうふうにいうこともできないわけではありません。 ただ、ここでは「世論(せろん)」と「世論(よろん)」っていうのを区別したい。 京都大学には、社会学者で「せろん」と「よろん」の違いを論じておられる佐藤卓己さんという立派な研究者がおられます。 この方は、「よろん」は「公論」だと言い換えておられるます。 「熟議民主主義」というふうなこともおっしゃってる。 それに対して「せろん」というのは新聞社の調べるような「世論(せろん)調査」のことですが、世論調査で出ているような、例えば、原発再稼働の是非とか、解釈改憲をめぐる賛否は、政権の動向と捻じれています。 民意が政治に反映されないという状況が起きています。 そこで、直接民主主義に近くなると愚民政治になると、京大総長がおっしゃっては、やっぱり具合が悪い、と。 教育者としては、たとえどんな球であれ京大生という受け取って、その球を4年間なり、何年間なり、ちゃんと教育し、付加価値を付けて、自己決定できる主体として世間に送り出すのが総長のお役目ですから、愚民観に立っていただいては困ります。 堀場さんのおっしゃったことをお聞きすると、もしかしたら、このような愚民社会っていうのは、日本の戦後の愚民教育の結果だともいえないこともなく、それは、今日の小中高大の教育システムと選抜方式を見ていると、実に、戦後の文部省の愚民教育が意図通り成功したなと思わざるを得ないところがあります。 今や、文部省、今は文科省というそうですが、それに対向する勢力は、ほぼ解体したといっていい状態です。 その上、総長や校長の権限はますます強くなりましたし、教育現場は、指揮命令下で動くというふうになってきていると。 


こういうところで、自立的な主体がほんとうに育つでしょうか。 堀場さんの「聞いてません、教えてもらっていません」の話を聞いて思ったのは、福島の被災地の「津波てんでんこ」です。 これは、自分だけが助かればいい、っていうエゴイズムではなく、一人ひとりが自分にとって最善の行動をすると信頼があるからこそ、例えば、子どもや親のことを心配しなくても、きっと自力で生き延びているだろう、だから、子どもを学校に迎えに行かなくていい、という信頼の言葉だとお聞きしました。 自分で自主的に判断することのできる個人を育ててきたところだってないわけじゃない。 自主的に判断できる人とできない人の間で生死を分けるっていうことが起きたのが被災地だったといわれています。  
高田さんのおっしゃった「選挙何しに行くの? 就活に協力してるだけじゃない」―なかなか、いいこといいますね。  そういう若い人には、じゃあ、「あんたも就活すれば」っていってあげてください。 規模の小さい地方自治体では、一番最下位の得票で500票あれば当選するところもあります。 500票というと高校の生徒会の選挙ぐらいなものです。 この就職難のご時世に、有期雇用だけど、そこそこの給料もくれるんで、あんたも出れば、といってあげた方がいい。 


それと、メディアを巻き込んだ集団行動で、ある獲得目標を実現していくっていうのは、自分の身の回りを変えていくという実感を伴うものなので、社会運動の基本のきなんですが、負け続けている社会運動は、必ず衰退します。 社会運動は、獲得目標をできるだけ目線に近いところにおいて、勝ち癖を付けないと続かない。 目の前で何かが変わっていく、目の前で何かが獲得できるっていう実感があるとちゃんと参入してくる人が出てきます。 若い人にそういう経験を味あわせてあげる必要があると思うのですが、どうでしょう、総長。 



山極


いろいろお叱りを受けました。 文科省は今、いいところでも変えないとお金をあげないよ、って言っているような気がします。 変えないでいることは、悪いことだとずっと言われ続けて、事務改革、教員組織改革、教養教育改革…たくさんやってきました。 しかし、きちんと原理を見据えて、変えなくてもこれがいいことなんだっていうことを主張していかなくちゃならないと思います。 さっき、上野さんが、二つ命題を出しました。 20代と選挙がキーワードになっていました。 これを後半、議論していこうと思います。 もちろん、ワールドカフェの議題にもなると思います。 


やっぱり、私を含めて結構歳を取っておられる方が多いので、20代をキーワードにしたら、若い内田さんに答えてもらうのがいいでしょうね。 私が思っているのは、若者たちは「自己決定」ができなくなってるということです。 例えば、若者たちは携帯電話を常に持っている。 それが常にONの状態になっていて、何か困ったことがあったら、すぐ相談をする。 自分でその場で決められない。 あるいは、一人で考える時間がない。 言うならば一人でいられる時間がどんどん削られていって、自分というものが自立できない状態にさせられているという意見があります。 内田さん、どう思われますか。 



内田


私は「文化」を固定的なものとして使ったわけではなく、もちろん様々な条件下で変化する動的なものと捉えています。 意思決定できないというのが日本の伝統的な状況であるということを言いたいのではありません。 むしろ今の経済や制度、教育的状況下において、特に若い人にとって、主体的な意思決定の機会が奪われた状態になっているといえるかと思っています。 


20代のうちには、自己決定できないことはある種無自覚だと思います。 本人は自分は自分のやりたい所の範囲は持っているし、その面においてはきちんと決めているよ、という感覚を持っている。 問題は、意思決定の範囲の弁別性みたいなところにあって、自分に関係あることと関係ないことを、区別をしているところにあります。 「どういう時にやる気を持ちますか」と聞くと、「自分の好きなことにはやる気が出ます」という。 「それ以外は」と聞くと、「関係ないから知りません」というようになってしまう。 自分に関係ないこと、わからないことについては、他者の責任にしてしまい、自分の出来る範囲はこれぐらいである、と弁別する。 そして自分に関係がないところ、力の及ばない範囲についてはニヒリズムに陥る傾向があります。 政治はある種自分の範疇外の出来事だという認識があり、そのため上野先生がおっしゃるように、自分が選挙に出るという選択肢は頭に完全に浮かばないような状態になっているんだろうと思うんですね。 


一見自分に関係がないことも、回りまわって自分のもとに返ってくるという意識や経験が大事なように思います。 自分のコントロールがきく範囲だと、達成するとか失敗するとかはダイレクトに目に見えるわけですけれども、一見自分と関係ない事象であっても、責任を放棄したことが巡り巡って、自分に完全に跳ね返ってくるんだということに関する認識というのは、教育などのプロセスを通じて自覚的になる必要があるかと思います。 



高田


今日の上野さんの話は「当事者主権」ということでした。 これを少しずらすと「知識の主体化」という言葉でも捉えられるのではないかと思います。 


それはこういうことです。 いまどきの若い人は、新しい知識が情報として入ってくると、それを脳みそのどこかに記憶しようとするのですが、どうやらその場所が、ぼくらなんかとは違うような気がするわけです。 


妙なたとえですが、ウィンドウズ系のパソコンでいうと、Dドライブに入れて放っておくんですね。 そこに入れた情報は、そのまま変化することがありません。 


それに対してぼくらの世代の人間は、新しい知識が情報として入ってくると、Cドライブに入れてあるオペレーティングシステムやプログラムに取り込みます。 その結果、微妙に考え方や暮らし方が変化するのだと思います。 


もっと分かりやすく言うと、たとえばワープロソフトで「きょうと」と入力する。 すると「京都」や「教徒」「今日と」などに変換してくれます。 そして一度、たとえば「京都」への変換を選ぶと、このことをワープロソフトは学習して、つぎに「きょうと」と入力すると「京都」を表示するようになる。 これが「知識の主体化」ということだと思います。 


ところが、現代の若い人の多くは、新たに取り込んだ知識を、そのまま情報として保管しておくだけで使わないから、つい忘れてしまうか、そうでなくても考え方や暮らし方に活かすということがないように思えるのですが、いかがでしょうか。 


たしかに新しい知識や情報に接するたびに、考え方や暮らし方を、それに適合するように変化させるのは面倒かもしれません。 でも、ぼくらの脳みそは情報を記録するだけのコンピュータのハードディスクとは違うなので、こうした対応は何だかもったいないような気がするわけです。 


さっき、堀場さんがおっしゃった原発関係の技術者の日仏比較も、同じようなことを物語っているのかも知れません。 フランスの技術者は「原発は大丈夫だった」という経験値を、いわば「主体化」した結果、それを実践に活かす。 他方、少なからざる日本の技術者は「原発は大丈夫だった」という経験をしながら、それをいわば「棚上げ=主体化せず」Dドライブに入れることで、フランスの技術者とは異なる対応をしてしまう。 そういうことなのではないでしょうか。 


じゃあ、ぼくらの世代は、なぜ「知識の主体化」を試みるようとするのに、現代日本の若い世代はそうしないのか。 その答は戦後日本の教育政策が採用しがちだった愚民化政策の結果だと思います。 それは「あらゆる知識や情報」を「単なるマニュアル」として記憶させるという方法で一貫してきた。 ただ、少し前までの世代は、そのインチキ臭さに抵抗してきたのに対して、豊かになってしまった日本社会で育った若い人たちは、それを疑わなくなっている。 そういうことではないでしょうか


いずれにしろ人間をコンピュータモデルで考えるような風潮のなかで、いうところの「知識の主体化」という考え方は後退せざるをえないような気がします。 



上野


教育論をしゃべりだすと、元東大教師としては、いいたい事が山のようにあります。 われわれは選抜方式を変えられないので、受け取る球を選ぶわけにいかないんですよ。 彼らは正解があるって思い込んでいるんですね。 私たちが大学でやってるのは、「答えのない問い」に乗り出しているわけで、その時に「問いの解き方」のお作法を教えることはできるが、「問いの立て方」だけは、どうしても教えられないと私は思ってきました。 「問いってどうやって立てたらいいんですか」、と聞く学生がいるんですよね。 教育システム全体が、正解があると思っている人材、これを「同調型人材」っていうんですけど、これを、小学生から大学生までずっと、学校教育で育ててきています。 これでは情報付加価値生産性の高い人材など育つはずもなく、日本の将来は暗い。 中村修一さんは、ここから出てこない。 出てきても、日本からスピンオフするだろうと思わざるをえないんですね。 じゃあ、何で、われわれの世代は、情報の主体化ができたのかっていうと、われわれって、今、ここにいるのは、高田さんと私と山極さんぐらいなんですけど、つまり、京都大学で同じ時期を過ごしたわれわれの世代の共通点は、教育を受けなかったということです。 



山極


いやあ、恐ろしい結論になりましたけど…。 



山口


あのう、今、全体の議論の方向がですね、20代の若者たちは「自己決定できない」「孤独になれない」「自立してない」、だから「いろんな問題が出てきている」という方向に議論が進んでいるので、あえてここでアンチテーゼを出したいと思います。 


私、JR福知山線事故の問題を調べている時に、若い女性たちとずいぶん語り合いました。 実際、インタビューに答えてくださって本の第1章に手記を書いてくださった被害者は26歳の女性で、派遣の女性でしたから、その派遣の方々にインタビューしまくって、面白いこと見つけました。 それは、20代の非正規雇用の女性たちは、非常にしっかりしていて、ちゃんと世の中のこと、未来のことを考えている、ということです。 派遣労働は、非常に不安定ですから、かえって世の中のことを真剣に考えるのです。 


私、さっき、政治の世界に縁遠いといいましたけど、実は、選挙がある度、選挙分析をしてきました。 まず、横軸に年齢、縦軸に投票率を描くと、完全にある直線に載るんですね。 完全に線形なんですよ。 ところが例外があるんです。 1989年のマドンナ選挙の時、それから、2002年の小泉選挙の時、さらに2005年の小泉さんの郵政解散のあとの選挙、そして2009年の民主党勝利の時の選挙。 この四つだけ例外的で、投票率の年齢分布において20-30歳台が盛り上がっている。 これ何だろうと思って、そこで、市区町村ごとに調べたんです。 すると、例えば、島根とか鳥取は変わりがありません。 ところが、東京、大阪、京都など都市部に関して異常が見られるんですね。 それで、私の仮説は、「ぼくらが無党派層っていうふうに呼んでいるのは、無党派層じゃない。 そうじゃなくて、リフォーミスト、改革派なのだ。 リフォーミストというある種の集団っていうか、あるシンボリックな人間がいて、その人間の動向によって選挙は決まるんだ」ということです。 リフォーミストが、イシューが明確なときには、はっきりした意思表示をする。 で、今、どういう状況かというと、リフォーミストが日本の現状を見捨ててる。 そういう感じがします。 こういう私の仮説、いかがでしょう。 



山極


上野さんのグラフにあった、田母神さんの20代の得票があんなに高かったのはどうだったんですか。 



山口


あれはですね、リフォーミストが、田母神さんに入れたんですよ。 リフォーミストと呼ばれる人間たちが、それがどこにいくかによって選挙は決まる。 



上野


なるほどねえ、今のはとても面白い仮説ですね。 コンフォーミストじゃなくてリフォーミストなんですね。 変化を望むっていうね。 その変化がどちらにいくかは、その時の文脈次第で、どうなるかわからない。 予想がつかない。 良い方にも悪い方にも風が吹くと。 確かに、得票率と議席占有率の関係を見ると、歴史的な政権交代を起こしたのも同じしくみですから、民主にも風が吹き、自民にも風が吹いたのですね。 今度の選挙では、風が吹きそうにないという予測ですか。 



山口


そう思いますね。 



高田


今の山口さんの話に、ちょっとコメントすると、いまどきの若い連中だけがそうだと言っているわけじゃないんですよ。 エリートとされる原子力関係の技術者も同じようなものなのじゃないかと言いたいわけです。 


現代日本の大学の学生がすべて、リフォーミストになるわけはないと思います。 何故かというと、彼らの多くはエリートじゃないけど、それなりに安定した生活に恵まれているわけですから……。 ところが、卒業して、派遣社員や契約社員として働かざるを得なくなった瞬間に、リフォーミストになるんじゃないですか。 



山口


学生は変化を望まない?



高田


だって、少なくとも大学在学中の4年間は安定している。 技術者だって、すでにエリートとしての立場を確立している人はリフォーミストにならない。 彼らにとっては面倒な問題が起こらないのがいいわけだから、わざわざ「知識の主体化」なんかしないでしょう。 



上野


「今時の若いものは…」といい出すのが加齢の証、といわれています。 若いご当人たちにお聞きになってはいかがでしょう。 



山口


同感です。 きょうは、若い方々がたくさん来てくださっていますし、20代でなくても、このラインより若い方々、こんな話聞いてられないわ、っていうのがあると思うんです。 どうでしょう。 







三木 俊和(大阪経済大学大学院)


以前経営者をやっておりましたが、今、大学院にいっております。 きょうは、上野先生のお話を聞きたくて参りました。 私、先生と同い年なんです。 ちょっと、物忘れとか、あれとかそれとか多くなってきました。 上野先生は、こんなこと関係ないのか、あるいはどう克服されているのか、先生の健康管理をお聞かせ願いたい。 



上野


私も順調に加齢しておりまして、メモリーは落ちております。 記憶力は低下しておりますし、人の名前は出てきませんし、日程のバッティングなぞも起こしておりまして自分でもショックです。 でも、健康を維持しようと思っても、努力してなんとかなることだとはあんまり思えませんので、もう、これは順調に退化し、衰えていくことを前提に、その状況にふさわしい環境整備をしようという、それが私の「おひとりさまの老後対策」でございます。 



松山 奈穂子(堀場製作所業務改革推進部)


「若いものはこうだ」っていうのは、よくある議論だと思うんです。 リフォーミストであるってことはそうだと思いますし、変化を望むパワーもあるとも思っています。 「アラブの春」だったりも、そういう人がムーブメントを起こすからだと思っています。 で、高田さんがおっしゃった「知識を主体化しない」っていうのもよく分かるのですが、それは、若いからではないと…。 知識を主体化していないのは、私も同感で、それはやはり、あることを聞いても、それが心に触れていないからか、それを、1回離して、それを議論する場がないかとか、自分から発する場がないからかなあとか、それが、すごく教育と結びついているのかなと感じました。 



山極


つまり、議論をする場があれば、自分も参加して、自分の知識を主体化して自分の意見を述べたいということですね。 



坪川 桂子(京都大学大学院理学研究科)


二つポイントをお聞きしたいです。 まず、先ほど、山口さんがおっしゃった投票率の話なんですが、20代の投票率、参加率が少ないというのは、今に始まったことではないということですね。 



山口


私の分析は、80年ぐらいからで、その時からずっと同じです。 /p>

坪川


20代の投票率をあげるにはどうするかという議論をするためには、今の20代の投票率が、なぜ低いのかということをしっかり抑えておかなければならないと思うんですが、実際、なぜ、投票に行かないかということに対して、実際に本音を聞いたような調査があれば、それを教えていただいきたい。 それと、もう一つは、内田さんのおっしゃるように、自分には直接関係ないから、選挙に行かないというふうな感じがある、ということなんですが、むしろ、私の周りでは、悲観的な考えが多く、行ったところで、自分の意見が反映されないから行かないと答える人が多い。 直接関係ないというのより、むしろあきらめモードが漂っているのかな、っていうのも一つあるのかなと思います。 



内田


30代にもあきらめモードは似たようなところがあって、自分の責任を投げちゃっているような感じもあります。 自分が、何かやらないと変わらないんだけれども、一方で、自分がやったって無駄であるという無力感と、しかし一方で抱いている悲壮感も含めて、アクション可能性に対する線引きと、スタイルとしてのニヒリズムで「やっても無駄だから」と批判的な議論だけ展開する。 


日本のせいだとか、上司のせいだとか、いろんな批判めいたことをいうことはいくらでもできますが、それがある種、「予言の自己成就」みたいになってしまっているという面も否めません。 例えば、「どうせ20代、30代ががんばっても周りが認めてくれないから、もうやらないんだ」と考えて何もしないとする。 すると上の世代から見ると、やはり思った通りの「全然何もしない20代、30代」なので、「ほら、やはり若者は何にもしない」と思われるようになり、もともとのステレオタイプが強化されてしまう。 自分で自分の首を絞めているわけです。 どこかでこうしたループを断ち切らないとはいけない、そのためには、アクションをとらなければならないわけです。 



堀場


80代、90代も全く同じで、自分が一票投じたって、大したことあらへんと思うのはみんな一緒やと思うんですよね。 しかし、意味がないとは思うけれど、みんなが、投票権持ってる人がみんなそう思ったら、何もできへんから、有権者、例えば8000万人分の
1でも、ゼロと違う。 ゼロと有効数字とは無限大違うという発想を何とかみんなに持ってもらうことでないと、数学的にいうたら、1票入れたってネグリジブルやっていわれてしまうと思う。 で、ぼくもネグリジブルやと思っているんですよ。 1票差で通ったやつなんか1回もこの人生ではないんやから。 入れなかったって通る奴は通るし、入れたって通らない奴がいる。 誰も、自分の1票は、一番最後のとこに見るわけですよ。 8532票といったら、31票の上にわしの票は入っとると思うわけです。 


そういうふうに思うけれども、誰かがやらんといかんという諦めの境地で私はやってきました。 しかし、ホントは数学的にいうたら、余り意味がない。 けれど、やるとやらないでは、無限大の差があるということも数学的にいえるので、このへんは面白いところなんですよ。 これはね、なんかスポークスマンがおって、うまいこというたら乗ってくると思うんやけど、演出、だれがせんならんのか、まあ、ぼくらにも責任があるんやけども、そやけど、気持ちは90代も20代も一緒なんやで。 



上野


堀場さんがおっしゃるのと同じことをいおうと思っていました。 悲壮感というより無力感ですよね。 この無力感は、ちょうど、山崎望くんが「代議制民主主義とは何か?」で説明してくれた通り、「市民の政治参加を抑制するシステムがうまく働いている」っていうことです。 それでも、この前の総選挙で、山本太郎さんが出た時の東京の選挙区、それから、三宅さんっていうミュージシャンが出ましたね。 そこでは、20代、30代のノリが大変盛り上がったそうです。 魅力的な選択肢があれば、20代の若い人は乗るっていうことですね。 ということは、そもそも候補者の中に魅力的な選択肢がないために、無力感に拍車がかかるっていうことになるのでしょう。 選挙権を行使するだけでなく、被選挙権をいかに行使するか、っていうことが問題になると思います。 



村瀬 雅俊(京都大学基礎物理研究所准教授)


教育の問題と政治の問題、何かつながりがあるような気がして考えていたんですが、京大で教育を受けなかったという高田さん、山極さん、上野さんが教育者になられたということで、選挙では、選挙を棄権していた人が政治家になっているというケースはありませんかね。 要は、教育を受ければ受けるほど教育者から外れちゃうわけですよね。 だから、一生懸命投票にいっている人より、最初から、選挙を無視している人のほうが、大物の政治家になっているってことはないんでしょうか。 



上野


今のお話を裏付けるようなことをいいますと、日本が世界に誇る、しかも、メイド・イン・ジャパンのタグなしで流通しているのは、アニメとかコミック系のコンテンツ産業です。 私が、東京大学で学生にいってきたのは、あんたたちの中から、コンテンツを生み出すようなクリエイターは育たない。 あんたたちは、作る側じゃなくて売る側に回るひとたちだ、と。 



山極


では、そろそろ、時間もきましたので、ワールドカフェに繋ぎたいと思います。 上野さんが出してくれた二つの質問。 「20代の選挙参加率をあげるにはどうしたらいいか」「20代の選挙参加率が上がったら、日本はどうなるか」。 この二つの質問をベースに討論していただきたいと思います。 



上野


それに、問い3を付け加えてください。 「女と若者が被選挙権を行使するには、どうしたらいいか」です。 





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