第2回クオリアAGORA 2015/ディスカッション/活動データベースの詳細ページ/クオリア京都


 

 


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第2回クオリアAGORA 2015/ディスカッション



 


 

スピーチ

ディスカッション

ワールドカフェ

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ディスカッサント

木乃婦三代目主人

高橋 拓児さん


京都大学大学院理学研究科教授

高橋 淑子さん


京都大学大学院理学研究科教授

山口 栄一さん


京都大学公共政策大学院教授

中覀 寬さん



モデレーター

写真家

荻野 NAO之さん






荻野 NAO之 (写真家)


中覀さん、素敵なお話、ありがとうございました。 ちょっと、きょう困ったのは、高橋さんがお二人いらっしゃるんですね。 高橋さんというと、どっちを指しているかわからなくなりますね。 それで、まあ、きょうは、たまたまグローバリゼーションということがテーマになっておりますし、私も、先週までフランスに行っておりましたし、海外ですと、名前で呼ぶのが結構当たり前ですので、こっから先、全部名前でご案内させていただきたいと思っております。 


それで、どう、ディスカッションを進めていこうかと思って、みなさんのバイオグラフィーに助けを求めたんですが、パッと見て、ディスカッッサントの拓児さん、淑子さん、栄一さんは、お三人とも、幸いフランスと関わっていらっした事がある。 まあ、寛さんは、アメリカなんですが…。 私も、先週までパリとアルルにおりましたので、最初に、それぞれのフランス体験というのから始めてみましょうか。 京都とパリは似ているともいわれておりますし。 


それでは、ご自身のフランスでの仕事なり、生活なりと京都、日本での仕事や生活と比べて、どんなところが似ているだろうか、どんなことが違うんだろうか。 あるいは、どんなことがグローバリゼーションなのかインターナショナリゼーションか。 もしくは、どんなことがローカルなのか。 こんなようなことを、ご自身の経験を踏まえてお話を頂いた上で、寛さんにコメントしていただくという格好で始めたいと思います。 では、拓児さんからお願いいたします。 



高橋 拓児 (木乃婦三代目主人)


私は、日本料理屋に生まれたのですが、このように華奢な体をしてるもんですから、板前というよりも、フレンチのシェフのあの帽子を被って、コックコートを着たほうが自分自身似合うやろなと単に見かけだけでフランス料理をしたかったんです。 ただ私、立場上、三代目を継がなくてはいけないということで、日本料理をとりあえずやってみることにしたのです。 それでも、東京での修業時代も、日本料理さんに食べに行くより、フランス料理屋さんに食べに行くことのほうが多かったです。 理論的、数値的に積み上げていくフランス料理はずっと面白いと思っておりました。 これに対して日本料理は、あんまりそういったことがなく、ただ、ひたすら上の人の言うことを聞いて作る。 型があり、それを守ることが伝統であるという話がよく出てくるわけですが、本当に日本料理は何にも面白くないと当初は思っていたわけです。 


それで、5年間東京で修業して帰ってきて店の仕事に就き、更に5年ほどしてから少し、フランス料理というものについて勉強したいなと思い、フランスに行きました。 何度か料理研修をして、前菜からデザートまで作る機会があり、日本料理の基礎的な技術を持ちながら、フレンチを作るということをしておりました。 


ところが、フランス料理の色々なことを見ていくうちに、日本料理とフランス料理を比較した時に、これ優劣の差ってないなというか、僅差、いや、むしろ勝っているのではないかというふうな考えが芽生えてきたわけです。 なのに、グローバルな視点で見た評価は、フランス料理がダントツ世界一位になっているわけです。 先進国の料理はいくらかそれぞれの郷土色を出していますが、フランス料理を模倣したような形であり、フランス料理がベースになっています。 それで私はこの世界的価値観を全てコペルニクス的転回で変換したいなと思ったわけです。 規格を全部、日本の規格に調整出来ないかと思ったわけです。 現在、このようなことを考えながら日本料理に携わっております。 


フランス料理が今までに目指してきたことを考えてみたところ、食のグローバリゼーションを進めるにおいて、非常に戦略的だということがわかりました。 それに比べ、日本料理は、今まで、世界戦略というイメージ、そしてその機構をまったく持っていなかった。 それが、日本料理にとって、致命的であったと思います。 フランスは各国を植民地化し征服して文化、宗教を浸透させ食文化を植え付け、その価値観を基準に自分の優位性をもたらすことに繋がったわけだと思います。 そういう仕組みを日本料理にも取り入れ、世界に日本料理を広めていき、いつかは逆転しようということを考えているわけです。 様々な手順がありますが、それはちょっと置いておくとして、グローバリゼーションを戦略的に進めるという方向において、日本料理は今変わりつつあるということを申し上げておきます。 



荻野


じゃあ、栄一さんの方にお回しして…。 お願いいたします。 



山口 栄一 (京都大学大学院思修館教授)


私のフランス体験をご紹介します。 


私は、37歳から43歳まで、5年間、南仏に住んでいました。 みなさんが羨むニースとカンヌのちょうど間にアンティーブという街(写真)がありますけど、そこから、北に5キロほど行ったところにソフィア・アンティポリスという名前の研究学園都市があります。 そこのすぐそばのオピオという村に住んで、そこからソフィア・アンティポリスに通っていました。 


ソフィア・アンティポリスという都市は、ピエール・ラフィットという当時の上院議員が、みんなが一番住みたがるところに研究学園都市を作ろうっていうんで、ニースとカンヌのちょうど間に広がる森を開いて研究学園都市にしあげたんですね。 その新都市の名前を付けるにあたって、自分の奥さんの名前がソフィーということもあり、まず、知恵という意味のあるギリシア語のソフィアにしようと。 さらに、アンティーブが一番近い街なんですけど、アンティーブっていうのは、もともとギリシア語でアンティポリスっていう名前だったんですね。 で、それも冠して「ソフィア・アンティポリス」という名前にしたというわけです。 ちなみにアンティポリスは「反都市」っていう意味ではないです。 アンティーブから東に広がるエンゼル湾の対岸を見ますと、ニース(古代ギリシアでは、ニカイアとかニケとか呼ばれていた都市国家ポリスの一つ)が見える。 それで古代ギリシア人は、ニカイアに「対峙する都市」という意味でアンティポリスと名前をつけたんですね。 


そこに私は5年間住んでいて、その時の体験を少し話します。 ここは、もう完全にグローバルな環境です。 つまり、国境を意識することはない。 誰にもパトリオティズムはなく、愛国主義を超越してるんですよ。 アラブ人もいれば、イギリス人もアメリカ人も住んでいます。 ですから、私にとってのグローバリゼーションというのは、精神的に国境を超越したというイメージですね。 ですから、完全なる自己の自由を獲得したっていう意味でもあります。 


私は、物理学をやっていて、一介の単視眼的研究者、堀場さんの言葉を借りれば「単機能」の人間でしたけど…、物理学っていうか科学ってやつは、基本的にグローバライズされているわけです。 で、物理学の中心は、ヨーロッパとアメリカと、そして日本にあります。 この3極の中で戦い合ってるっていう状況です。 最近は中国が台頭してきて、日本は落ち目で、中国が新しい極になろうとしていますけども。 物理学の世界は、論文を出した瞬間に世界中に回って、世界中で戦いが始まる。 そして、いろんな説を出し合って論争に勝ち残った人間が定説をとる、そういう世界です。 これ、後ほど淑子さんが生物のことで話してくれると思いますが、同じだと思います。 そこには、もう、愛国主義は存在しません。 


さて、グローバリゼーションという課題では、一度AGORAで、そのテーマで話したことを覚えています。 岡田暁生さんがプレゼンターで、その時の話は、「文科省が最近、グローバリゼーションとかスーパーグローバルとか言い出しているけど、下品だね」ということでした。 「ぼくたちは、そんな下品な世界には住んでないよ」と。 グローバリゼーションと言った瞬間に下品な世界になるわけですよね。 もともとわれわれは世界の中心にいて、世界の中心で戦い合ってるわけですから、グローバリゼーションといった瞬間に辺境に陥っちゃう。 そういうある種の自己矛盾性を抱えている。 で、ぼくたちはコスモポリタニズムに住んでいるんだと考えるべきだ。 コスモポリタンの中に住んでいるわけであって、決してグローバルなんていう下品な世界に住んでいない、ということを話し合ったのを覚えています。 


そういう意味で、日本料理、拓児さんの話を聞いてつくづく思ったのは、日本料理ってのは基本的にもう中心性を持っていますから、グローバリゼーションなんていう必要のない世界にいますよね。 ですから、日本料理、京料理っていうのは、コスモポリタニズムの中でどんどん世界に広めていけばいいのであって、グローバリゼーションなんていう下品な言葉を使う必要はないなあと思うのです。 


南仏のニースとアンティーブの間にヴィルヌーヴ・ルーベという町があります。 すごくチャーミングな町ですけど、そこにオーギュスト・エスコフィエ博物館というのがあります。 このエスコフィエという人はフランス料理を定義した人だと聞いております。 エスコフィエがフランス料理をきちんと定義して、料理書というか、定義書を書いたことによってフランス料理が世界化、グロ―バライズしたとよく言われています。 ですから、そんな和食の定義書を拓児さんが書いてくださるといいなあと私は今思っています。 



荻野


私もちょうど2週間前まで、南仏のアルルにおりまして、アルルの写真祭は、最も古い写真祭の一つといわれているんですけど、ドイツ人の写真の先生と話していて、なぜ、アルルで世界に先駆けて写真祭が開かれたのかということになった。 すると、そのドイツ人の先生は、実は、昔、ミッテラン大統領と仲の良い写真家がいて、その人が「フランスは写真を発明した国。 だから、写真祭をつくらないといけないんじゃないか」と話したことが発端なんだと。 それで、さっきの話にもあった誰も行きたい、バカンスでやってくる南仏をその場所に選んで写真祭が始まったと言うんです。 おまけに写真学校までできてしまった。 非常に戦略性があって、さっきの拓児さんと栄一さんの話にもつながるなあと思って、ちょっと話しました。 では、淑子さんお願いします。 



高橋 淑子 (京都大学大学院理学研究科教授)


きょうは、呼ばれてどうなるかと思っていましたが、ずいぶん関心事で、いっぱい聞きたいことが出てきました。  


あのう、フランスのことをしゃべらせたら止まらへんなあ、とちょっと、自分が怖いんですけど…。 


さっき、山口栄一さんがおっしゃったことも、まったくその通りで、コスモポリタンと岡田暁生さんがいみじくもおっしゃったのも、そうだと思ったんだけど、私は、あんまり、そういうおしゃれな言葉で生きてきたわけじゃなかったんです。 私は1988年から91年まで、パリの郊外におりました。 しかし、もともと、京都大学で博士号を取って、なぜフランスに行ったかというと、フランスに憧れてとか、きゃ~とかわーとか、そんないいことは何もなかったんです。 日本にいても就職ないし、面と向かって同じ実力だったら、男を採るとかいわれるわけですね。 男社会の中で、男でも最悪で、就職なんかないんですが、女なんか絶望ですよ。 それで、こんな日本なんか大嫌いとか言って、どこでもいいと飛び出した先がフランスだったわけです。 憧れなんてかけらもなかった。 フランスに行ったら、これあたりまえですけど、みんなフランス語しゃべっているんで、これはえらいこっちゃと思ったほどなんです。 


こういう人生を送ってほんとにアホだなと思いますが、私が、研究をやろうと思ったのも、男社会の中で、男に媚びて生きるのは嫌だと思ったからです。 実力で勝負できる分野は何かと考えた時に、これはサイエンスに違いない、と。 さっき、栄一さんがおっしゃったように、論文を書く時、英語で書くんですけど、「Yoshiko TAKAHASHI」と書いた時に、日本人だったら、女ってわかるかもしれませんけど、当時は、まだ無名でもありましたから、これ、女か男がわからへんのですよ。 これ、いいわけですよねえ。 そういう感覚を持っていました。 こういう感覚、おそらく男の人にはなかったと思いますよ。 


それやこれやで、まあ、フランスに行って、色々あったのですけど、まあ、ちょっと微妙ですけど、あんまりホームシックはなかったです。 食べ物が、とにかく美味しかったんです。 ホームシックになるというのは、食べ物がアカンからとちゃうかなと、あの時に思いました。 二つほど、どうしても食べたいものがありました、日本のもので。 それは、鯖の塩焼きとゴボウでした。 フランスにないんですね。 日本のご飯、美味しいのになあとかいうことはなかったですね。 


とにかくフランス人はようしゃべります。 私は、フランス語ができないっていうてるのにもかかわらず、顔をここまでくっつけてきて、つばがブワッて飛ぶんですけど…。 私《Je ne peux pas bien parler français》と言うんですけど、そればっかりいうのでずいぶんこれが上手になって、「嘘つき」とか言われ、またびよ~んと喋ってくる。 それで、《Je ne euh peux pas euh par…》と下手くそにいう技を習得しました。 まあ、そんなフランス語も半年ぐらいして少しは話せるようになって、レストランでギャルソンたちとも話せたなあという気になりましたが…。 


それはそうとして、きょうは折角の機会なので、フランスということで振ってくださったし、拓児さんもいらっしゃいますし、お聞きしたいと思います。 私の経験からいくと、フランス人はおしゃべりでもあるんですけど、キチキチ決めるのが大嫌いですね。 直角的にキチキチキチキチとかいうのが大嫌いなのがフランス、イタリア、スペインのラテンの三つの国ですね。 逆に、日本人は、キチキチ決めたほうがうまいこといくし、ストレスもないと、これに慣れています。 そのきっちり決めた中で日本料理がこれだけの伝統で、繁栄してきたとすると、フランス人はあれだけええかげんで、《Oh! là,là!》とかいいながら、《ああ、また失敗した。 Oh! là,là!》とか言う。 これ聞いていて、「おまえ、昨日もそれで失敗していただろう」とか思うのに、また同じ失敗して《Oh! là,là! おかしいわね》ですよ。 ほんと最初は、カルチャーショックでダメだったですよ。 この人たちは、失敗から学ばないのかなあ、と呆れました。 なのに、その中であれだけの芸術的なフランス料理が生み出されているというのは、私には合点がいかないんです。 あのフランス料理が確立されたプロセスと、日本料理のこの洗練さが確立したプロセスは違うじゃないかと思います。 だけど、生物の進化的にいうと、これ「convergence」っていうんですけど、全然違うプロセスでも、何か見た目同じみたいになるという、ここ、進化とアナロジーがあって面白いなあと思うんですねえ。 このディスカッションでもこの辺りが聞ければいいなあと思います。 


最後に、余談にもならない余談をしますけど、私が行った時は、日本人がすごく珍しい時代だったんです、何故か。 例えばある人に言われたんです。 「淑子の国は星座の見え方が違うんだよね。 ジャポンは南半球にあるんだよね」とかいわれて、ガクーってきました。 彼らにとっては、遠い小さな国だったんですね。 それで、刺し身は嫌いだ、頭付きの魚をみたら「うわーっ」ていう感じだったんですけど、日本に戻ってきてフランスの友だちを呼んで、割烹に連れて行ったら、まあ、「うまい、うまい」って食べます。 それで、ちょっと意地悪して、絶対ダメだろうと思ってカニミソを出したら、これも、「うまい」と全部食べるんですね。 梅干しぐらいかなあ、ちょっと苦手な人がいたのは。 あとは、何でもパクンチョ、パクンチョ食べます。 だから、彼らも、美味しいものは絶対美味しいとgoûter―味わう舌を持っているんですね。 


そういういろんなことがあったなと懐かしく思い出しながら、ちょっと話しました。 



荻野


淑子さんのフランスのお話は、いつも、もっとお聞きしていたいなと思いますが、ここで、一旦、寛さんにお返しします。 今、お三方のフランス経験を踏まえた面白いお話がでましたが、いかがだったでしょう。 これを受けて、何かお話をお願いいたします。 



中覀 寬 (京都大学公共政策大学院教授)


私、この中で唯一、長期のフランス体験がないものですから、非常に劣等感を抱いておりますけど、いろいろお話を頂いたので、それについて私の観点から、さらに質問をさせていただきたいと思います。 


栄一さんは、コスモポリタニズム、物理学、科学の世界はコスモポリタニズムということをお話しされて、拓児さん、淑子さんは、日本の戦略、あるいは日本料理の本質といいますか、そういうものをフランス料理と比較をして、どうかということを言われたと思うのですけど、まあ、コスモポリタニズムの中での日本なら日本の戦略ということについて私もちょっと、先ほど言い忘れたので、補足させていただきたいと思います。 


最初に私の名前について申し上げると言いながら、スピーチでは言わなかったのですが、「中」っていう字は普通の字ですが「覀」っていうのは、中が縦の西です。 これは、戸籍には書いてあるんですけども、いわゆる俗字というもので、こういう字はありません。 まあ、私の推測するに、昔の明治以来の戸籍を書く担当の人が、横に曲げるのが面倒くさく、縦に書いたのが、そのまま戸籍に残っちゃったというものだろうと思います。 「ひろし」は、「見」のところに点のある「寛」です。 


この「覀」をわざわざ、きょう書いたのは、これに関してちょっとした「家族戦争」があったのです。 私、今、学会の理事長をしていて登記をしないといけないというので、いちいち面倒だし、俗字はすぐに戸籍係が特別な手続きも不要で対応してくれ、普通の「西」にしてくれるというので、それにしようと思う、と嫁さんに言ったんです。 ところが、別の姓だった奥さんは「これは、由緒があるかもしれない。 亡くなったお父さんやお母さんも悲しむかもしれないから簡単に変えたらだめだ」と。 これで、結局変えられなかったという経験があるんです。 


私は、先程も言ったように、俗字で、戸籍係が、単に面倒なだけだったと思うんですけども、今となると、これが意味を持っていると思う人がいるし、俗字は、この他にもいっぱいあるんですね。 そういうものが大事だと、いろんなとこでこれを書かせてくれ、俗字の名前をちゃんと使ってくれっていう人はいっぱいいるってことです。 「ひろし」っていうのも、普通の「寛」にすれば簡単なんだけど、人名だけは、これにこだわる人がいて人名漢字に入っているので寬を使ってます。 「覀」はインターネットでは、全然出てきません。 点付きの寬は一応ユニコードには入っているんですが、普通、インターネットには流れていません。 


きょう持ってきたんですが、小林龍生さんという方の著作で「ユニコード戦記」っていう本があります。 ユニコードというのは、ご存知の通り、世界の全ての文字をコードにしようというプロジェクトで、15年ぐらいやっているんですが、ある意味で、栄一さんがおっしゃったコスモポリタニズムを作ろうっていうことですね。 全ての文字をコード化して、どの文字でもコンピュータ―で出せるようにしましょう、ということです。 「戦記」っていうのは、拓児さんのおっしゃる戦略に通じることで、著者の小林さんは、ジャストシステム社、ATOKを作った関係の人なんですが、彼が、このプロジェクトにひょんなことから関わって日本の国語審議会とかいろんなところを行ったり来たりしながら苦労して頑張ったという話なんですけど、その時に、日本の側で問題になったのは、中国にも韓国にも台湾にもない漢字が、日本にはいっぱいあるっていうことですね。 この私の「覀」はどうするんだっていう話です。 日本の中で議論した時、「手書きでできたような、わけの分からん字も、字なのだから、ちゃんと入れてもらわないといけない」という人に対して「それではコードが無限に必要となり、世界の中で日本でしか使わないものだから、中国にも韓国にも支持されないからやめてくれ」って意見が出るとか、そういった鬩ぎ合いがいっぱい書いてあるんですね。 


グローバリズムが、コスモポリタニズムを含んでいることは確かで、その中で日本をどうするという戦略を考える人たちがいっぱいいるというのも確かです。 確かなんですけど、拓児さんは、先ほど日本料理についての戦略ってことをおっしゃったけれども、やっぱり、戦略を立てるためには、まず、自分は何であるかというアイデンティティーを確立する必要がある。 フランスは、よかれあしかれ、アイデンティティーを持っているわけですね。 それを世界に向けてグローバル化しようと。 じゃあ、先のプレゼンでも聞きましたけど、じゃあ、拓児さんのおっしゃる日本料理のアイデンティティーって何なのかということです。 


私の考えるところでは、日本語というのはですね、よかれあしかれ、こういう訳のわからん字がいっぱい作られるというところに強みがあって、これが、日本の強みでもあるんですけど、これを守ろうとすると、逆に、フランスがやってるようなグローバル化の戦略にのせにくい。 ものすごく大きな制約になります。 これが日本にとってのグローバリゼーションの非常に大きな課題じゃないかなと思います。 


それで、拓児さんは、日本料理について、どうお考えか。 つまり、日本料理のアイデンティティーというものをまず確立しないと、グローバル戦略っていうのはできないんじゃないか、という問いです。 栄一さんと淑子さんには共通なんですけど、どちらも理系の物理学と生物学を基点にされていると思うんですが、その世界は、確かにグローバルで、研究論文を書くときには日本語とかすっ飛ばしてやってるっていうのは、それはそうだと思います。 だけど、やっぱり日本の京都大学というところにいて、授業は英語でされているかどうかはわからないですけど、外国からトップの院生とか学生を呼んでこようとすれば、彼らの生活は日本語でやらなきゃなんない。 これは、彼らにとってコストになるわけですよね。 その問題を、どう乗り越えるか。 そこの問題を抜きにしては、やっぱり、コスモポリタニズムの世界で日本が一つの中心だとは言えないんじゃないか。 その問題をどうお考えになっているか。 



荻野


お話をうかがっていて、ふと思い出していたのが、すごく好きなエッセイ集のことです。 数学者の岡潔さんの書かれたもので、その中で、わけのわからないことを書かれていて、「数学は情緒だ」とおっしゃっている。 ぼくは、数学というのはもろに数字の世界で、それが情緒ってどういうことって考えたものでした。 これ、先ほど寬さんが、俳句について、数の制限、有限性と無限性というようなこととか、デジタルとアナログと意味付けのお話をされましたが、そんなことで何となく、情緒と数学との関連で思い出したのだと思います。 


それと、こないだのフランスの写真の祭りの時感じたことがありました。 7、8年前にも行ったことがあるんですが、その時は、日本人が何しにきたんだって感じで「日本人の写真は心象的な写真が多いな」って気の無い感じだったんですね。 ところが今度行ってみたら、えらい違いです。 「オー、日本人か、心象的でいいな」って同じような言葉を投げかけられながら全くニュアンスが違う感じなんですね。 欧米の写真が行き詰まっているということもあるかもしれませんが、なんか逆転現象が起こったみたいなんです。 それで、まあ、情緒的なこと、有限性と無限性とか、日本人のアイデンティティーって、まあ、何が主体かっていうところがないというのが、アイデンティティーかなっていうところがあると思います。 その辺で、拓児さんの方からお話ししていただきましょうか。 



高橋 拓児


食文化における障壁は、かなりありますね。 日本料理を海外で伝える時に、この障壁をどう突破するかということが、重要な課題だなと思いました。 それと、フランス料理と日本料理を比べた時、何が優先されるかということでみると、フランス料理は香り優先の文化。 これに対して、日本料理は、味優先の文化であるというふうに認識したわけです。 で、これも、嗜好性における優位性、つまり、香りが一番、味が一番と考えるのは両方共が面白い、楽しい食文化であるっていうことを認識させる必要があるって考えたわけです。 ですので、私たちは味優先、彼らは香り優先なので、液体は油も溶ければ香りも溶ける、水分と油(脂)分に香りは溶けやすいので、ソース文化になります。 私たちは、味優先ですから、それぞれの個体の味、もしくはtexture=食感です。 日本料理は食感の区別が450種類ありまして、フランス料理はそれの3分の1ぐらいですから、味とtexture優先の文化にいかに切り替えをするかがが重要課題だということがわかってきました。 


このためには、どういうふうなことが必要かというと、文化人類学者でギアツて方がいらっしゃるんですが、その人の言葉で「厚い記述」というのがあります。 つまり、わからない人に、どれだけ詳しく説明するか。 例えば、祇園祭では、ちまきを飾るということですが、「ちまきを飾るんですよ」というだけではダメで、どんな歴史的背景があって、なぜ、こうするか、どこに架けるか、それによってどういう効果が生まれるかというところまで説明することで、実際のちまきというものを表現する。 ここまで、日本料理も落としこんでフランス流に説明しようというのが、最初のきっかけです。 それで、有名なシェフを呼んできて、彼らに焦点を当て、日本料理を根底から説明をするというところから始めて、ひとつずつ日本料理を外へ広げていく努力をしました。 これで、今、「旨味」というものが世界に溢れかえっています。 旨味イコール味なんです。 


それから、彼らの嫌いなtextureを与え続けます。 例えば、餅、それから羊羹、これ甘い小豆ですからね。 これを、与え続けるわけです。 「おいしいんやで。 これがわからないというのは食が未熟なんや」って教育していくわけです。 そうすると、彼らの頭のなかに、「これが、おいしいんや」という認識がどんどんできてきます。 今なんか、あのアイスクリームの入った大福がありますね、雪見大福、ああいうのがフランスとかで売れるようになっているんです。 こんなこと過去になかったことです。 発想を切り替え、価値基準を変えることで、ものが売れるようになるというシステムが世界各国でできあがってきています。 そして、なおかつ、経済産業省、農水省に働きかけ、和食のユネスコの世界遺産登録を実現しました。 これで、フランス料理とかモロッコ、トルコ料理とかと同じ価値基準で判断できるような土壌ができてきました。 これが、3年ぐらい前までのプロセスですが、経済効果が生み出せるということで、行政もかなり動くシステムになってきています。 


更に、京都行っているのは、外国人シェフを受け入れる特区をつくるということで、短期に日本料理を勉強しにくる世界中のシェフを受け入れる。 これも、「厚い記述」の連続ですね。 日本料理は世界中に波及して、深い認識がどんどんできあがってきます。 


さらに、次のプロセスとしてやってることがあります。 今、日本料理の料亭は風営法なんですね。 キャバレーとかクラブと同じなんです。 これを、「文化芸術法」に替えたい。 そのために、例えば、入り口から玄関までが20㍍以上あるとか、芸舞妓の踊れるスペースがあるとか…厳格に細かく基準を決めることが必要かなと思っています。 世界的に見て、論理的に「格」がわかるようにする必要があるだろう。 ミシュランの星の基準と一緒です。 


次は、多様な日本料理の食材加工品の輸出です。 これは、政治の問題でもありますが、次のプロセスです。 ここでは、食文化の障壁の突破ということが起こってくると思います。 こんなことを解決していくことで、将来的には、フランス料理の上を行くことになると思います。 日本料理は、健康学的にも免疫学的にも、とてもヘルシーで体への負担も少ないですから、このことも広く認識されてきていますからね。 



荻野


うわー、すごいですね。 勢いに飲まれてしまいそうです。 では、山口さんお願いできますか。 



山口


実は、ちょっと拓児さんがおっしゃったことに、ちょっと違和感がありましたので、その問いかけをしてみたいと思います。 実は私、脳腫瘍になって、2年前に大手術をしました。 正確にいうと脳下垂体腫瘍です。 これ、開頭手術していたら、多分、今死んでいます。 で、日本では、鼻から手術をします。 鼻から、脳下垂体にできた腫瘍を摘出するんですが、執刀医に手術前にいわれたのは、「鼻の穴を信じられないほど思い切り開けます」と。 鼻は、奥の方はつながっていて一本になっているようなんですが、それをむちゃくちゃ広げます、と。 「そのために、匂いを感ずる細胞は、全部死滅しますので覚悟しといてください。 ただし、それは半年で再生します」といわれたんです。 それで、「わかりました」と覚悟して手術を受けて、これが無事成功をしまして、この世に生還し、匂いのまったくない生活を3カ月ぐらい経験しました。 だんだん元に戻ってきましたけど、その間は、まったく匂いのない世界なんです。 


退院したのは、2週間ほどしてからですが、病院食にはうんざりしていましたから、まず、退院して最初に食べたいのは和食です。 日本料理屋に行って、一番高いのを頼んで食べたのですが、大びっくり。 それは、砂なんですよ。 砂を噛んでるようでした。 それで、次の日は、今度はフランス料理を食べました。 これ、ちょっと味が分かるんです。 それから次は、中華料理に行くとさらに味がわかる。 インド料理は、完全に味がわかります。 こういうことで、ぼくの結論。 日本料理の根幹は基本的に香りだ。 香りが欠如すると砂になっちゃう。 それで、これ、ほんとかなあと、京大の伏木先生に尋ねたら、パッと本を出されて、これを読め、とおっしゃいました。 それを見たら、「日本料理の根幹は香りである」と書いてあったんです。 これ、そうなんでしょうか、高橋さんへの問いかけです。 また、後で、カフェででも教えていただきたいと思います。 


それから、最初に言おうと思っていたのは、結局のところ、学問の上に産業は成立するんですよね。 今、日本の産業がボロボロなんです。 日本の沈みゆく船の状況ってのは、日本の産業がパッとしないからなわけですよね。 パッとしないのはなぜかっていうと、イノベーターがいないからです。 一個人としてのイノベーターが。 それこそ、荻野さんのように一人で独立してやっていて、産業を回していくようなエンジンがいない。 みんな大企業の中に入って、そこで埋もれてしまっている。 日本モデルがもう終わっちゃったんですよね。 ですから、何とかして、シリコンバレーのように、個人が自ら科学をやった後、その科学者自身が産業を起こすイノベーターになるような社会は生まれないかなあ、と思っているんです。 でも、結局ね、この「科学者がイノベーターになる」という逆転現象は日本では起きないんですね。 それで、どうやったら、この逆転現象、つまり、科学者がワーキングプアではなくて、イノベーターになれるような、そんな社会はどうすれば作れるのかな、というのがぼくの課題です。 



荻野


面白い問いかけがありましたし、これはカフェのほうでよろしくお願いします。 では、淑子さんどうぞ。 



高橋 淑子


中覀寛さんが最初にいわれたことなんですけど、京都大学の「グローバルプロジェクト」とか「スーパーグローバル」とかについて、岡田暁生さんが「下品だと」おっしゃったということなんですけど、これ、まったくアグリー。 きょうは、このことが聞けただけでも、来てよかったなあと思いました。 私も、文科省の会議で、そういうようなことを話すところによくおりまして、もうねえ、京都大学だけじゃなくて、大学から出てくる「なんちゃらプロジェクト」というのは、大体「グローバルなんちゃら」とついているんですね。 それで、京都大学もそんなんで「スーパー」付けて、例えば「スーパージョン万次郎」とか、下品なのがいっぱいあるんですけど、それで、皮肉を言うたったんです。 「その内、《ウルトラスーパーグローバル》になりますよ」とか「《スーパーの2乗、3乗プロジェクト》」と。 インターナショナルが、どうも陳腐になって、次のカタカナがグローバルになる。 そんな発想で決められているっていうのは、まったく情けない。 ですから、早く京都大学から「グローバルなんちゃら」とか「スーパー…」が消えてほしいと思います。 「ジョン万次郎」もいいとは思いません。 


それで、きょうは、お料理のお話も出てきて、とって面白いなあとおもったんですが、、お料理のことをケミカル、サイエンティフィカリーに、そしてロジカルに分析されていることがわかって、これもきょう来てよかったと思いました。 それで、フランス料理のことばかり出てるけど、「フランス料理がおいしいよね」って、スペイン人の前でいうと、烈火のごとくに怒ります。 実は、痛い体験がありまして、南仏に行った時に、しぼりたてのオリーブオイルがおいしいと、脳天気に話したんですね。 すると、スペイン人の友だちの顔が、だんだんキキキキーってなってきて、最後にいわれたんです。 「淑子、スペイン人の前でフランスのオリーブオイルのことは話すな!」って。 それ以来、私は、ものすごく注意するようになりました。 


何がいいたいかっていうと、スペイン、イタリア、フランスで、ものすごくライバル心があるなあと思います。 それで、拓児さん、どうなんでしょう。 お料理の質は、スペイン料理、イタリア料理のほうが上なんじゃないでしょうか。 フランス料理は営業がうまいんと違うかなと思うんです。 日本でだって、「きょうはデートだから、フランス料理に行く」とかいますよね。 「デートだからスペイン料理に行く」とかっていうのは、まだ少ないじゃないですか。 その辺の営業戦略もお料理の世界には、きっと大事なものだと思うんですが、そのことも聞いてみたいですね。 



荻野


こりゃカフェが盛り上がりそうですね。 では、この場としては最後に、寬さんのお話をうかがいたいと思います。 



中覀


料理のお話が、きょうの骨格だったと思うので、少し、それだけコメントさせていただきたいと思います。 ええ、拓児さんのおっしゃったことは、よく整理されていて、よく考えられていると思うんですけど、それで、二つぐらい感じたことを申し上げたいと思います。 


まず、ある種の和食、日本料理っていうのを定義して、それが、日本の中でも、どれぐらい貫けるかっていうことじゃないかと思います。 経産省とか農水省では、外国で日本料理とされているものが、もう、まったく日本料理じゃないということをかねがね問題視していて、何年か前には、「公認日本料理レストラン」ってのをするっていう動きがありました。 ところが、外国で「sushi policeすしポリス」なんて揶揄されて、批判されてやめたんですけど、今また、別の形のものを考えてるようです。 確かに、むちゃくちゃなもの、韓国料理か中国料理かよくわからないものを日本料理として出しているから、われわれもそういうものを食べに行って、これが日本料理かと、腹が立つ氣持ちはよく分かる。 だけど、外国で、例えばさっきおっしゃったミシュラン的なものを定義しようと思うなら、まず、日本国内で、それが通用する区分にしないと外国にはもっていけないと思うんですね。 そして、先ほど、拓児さんがおっしゃったセッティング、お店の構えまで含めて、こういうところで出すのが日本料理だっていうふうになると、京都だったら、ある程度いけるかもしれないが、おそらく、日本の中で、日本料理を出している店の7割ぐらいは日本料理を出してないということになるんじゃないかなと思います。 いや、もっと多いかもしれない。 それが、日本料理というものを一種のシステムとして売り出して行くときの問題ではないかということがひとつ。 


それから、もうひとつ。 今、ミラノで「国際食の博覧会」というのが開かれていて、日本料理が、非常に評判がいいようです。 それで、海外のそういうところで、日本料理が評価されて、外国人で日本料理を作りたいという人が増えた時、例えば、柔道とかのようにね、外国で日本料理の本場ができる。 日本料理というのはこういうものだということを、フランスとかで定義されて、「こういうものじゃないと、日本料理―《cuisine japonaise》とはいえないんだ」っていうことになっちゃわないかということですね。 日本人が作るのが日本料理だってことは、グローバルの世界では、通用しないので。 そうすると、日本料理が普遍化していくっていうことは、一体どういうことなんだろう。 日本料理は日本人が作るとか、日本の中で出される、京都で出すとか、そういうものじゃなくなってしまうんじゃないかなって気もする。 そういうことも、戦略の先には、いろいろお考えになってるのかな、と思ったので、一応最後に、疑問形で申し訳ないですけど、これ、またお話うかがればと思います。 



荻野


はい、ありがとうございました。 では。 カフェのお題です。 いろいろありましたが、日本料理、京料理がグローバルになったら、どんなんだろうかって言うことでお話いただいたらどうでしょう。 例えば、どんな形で海外に持って行ってもらったらうれしいいか、こんな風になったら嫌だとか、こうしたほうがいいんじゃないか、ってようなことで、その中で、料理を中心に、グローバルって何かっていうことをお考えいただいたらどうでしょう。 





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