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クオリア社会


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クオリアとは、一言で言うと良いことにしろ、悪いことにしろ、人間が何かをするときにグッと思うことです。 

京都の「ええとこの子」は、周りが騒いでいても、横目でチラリと見るだけが良しとされました。 一緒に騒いでいるのは格好悪いという教育を受けてきました。 私も小さい頃、母によく「ええとこの子はそんなんしない」と言われてきました。 

また、「知る人ぞ知る」を美徳としてきました。 褒めても喜ばず、「見る人が分かってくれたらいい」という態度でした。 褒められても喜ばないのです。 お店もそうです。 「分けとくれやす」と買い、「おいくらですか」と聞き、「おおきに。 また寄せてもらいます」と、どちらが客か分からないようなやりとりで買い物をしています。 

そういう私も、会社を作ったときに「こんな素晴らしいものができた」と営業に売りに行かせ、帰ってきた際に「商品を褒めてくれたが、買ってくれなかった」と言われた際には、「客の見る目がない。 そんな客には売らなくて良い」というような態度をしていましたが。 

京都も、今は10のことを10と言って良いと思うのです。 アメリカでは、10のものを20に言うわけです。 例えば、機械の性能などはネット等でも出されていますが、それを見るだけでは、必ずアメリカの方が性能は良いのです。 さらに価格も日本製が1万3千ドルであれば、アメリカ製は1万ドルと価格も安いのです。 しかしセールスに入って話をしたりすると日本製の方が選ばれるケースもありますし、またメンテナンス費用を考えるとトータルでは日本製の方が安かったりします。 

私達の世代は、自分で「偉いだろう」とはなかなかいいません。 また口コミというものを大事にします。 しかし今は段々と言うべきことは言うようになってきています。 その時に「これは面白い」と受ける感動、感激がありますが、京都の人はこれも少ない。 例えば講演でで「ここは笑って欲しい」「笑うべきところ」でも、クッと笑いをこらえられる場合がありますが、それだとこちらは格好が付かなくなります。 笑うときは笑う、怒るときは怒る、ということも大事ですよ。 


 

 

〔2009年08月10日 13:12 堀場雅夫相談役のコメントから〕

 


 

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クオリア京都とは?

人間ひとりひとりの深く高質な感性(クオリア)に価値を置く社会、これは各人の異なる感性や創造性が光の波のように交錯する社会ともいえます。
京都からその実現を図ろうと、各種提言や調査、シンポジウムなどを開催した京都クオリア研究所ですが、2018年に解散したため、㈱ケイアソシエイツがその精神を受け継いで各種事業に取り組んでいくこととなりました。
クオリア社会実現に向けての行動を、この京都から起こしていきませんか?

 

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