第3回クオリアAGORA 2015/ディスカッション/活動データベースの詳細ページ/クオリア京都


 

 


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第3回クオリアAGORA 2015/ディスカッション



 


 

スピーチ

ディスカッション

ワールドカフェ

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ディスカッサント

京都大学人文科学研究所教授

岡田 暁生さん


武庫川女子大学名誉教授

高田 公理さん


京都大学大学院理学研究科教授

山口 栄一さん



モデレーター

写真家

荻野 NAO之さん






荻野 NAO之 (写真家)


村田さんのスピーチは、ものすごく重厚というか、圧力のあるスピーチで、その上、映画に関しては、人によって接し方もいろいろ違います。 それで、ディスカッションをどういうふうに回していこうかと考えたのですが、きょうも、ディスカッサントのみなさんのバイオグラフィーを見ていて、あることに気がつきました。 うまい具合に、高田さんが1940年代、山口さん50年代、岡田さん60年代、そして私が70年代と、生まれた年代がきれいに分かれています。 これに着目しました。 


実は、私は、3歳から7歳までメキシコという国に住んでおりました。 何が言いたいかというと、おそらく私が、アメリカという存在を何か自覚、認識したのは、どうもこの時代なんですね。 当然、3歳のころの記憶はないわけですけど、なんかメキシコの上に、どでかい建物みたいなアメリカっていう国があるという感覚を憶えています。 やはり、私のアメリカという存在は、自分のメキシコ時代を抜きにしては語れない。 それで、みなさんに聞いてみたいと思ったのは、ご自身の人生の中で、最初にアメリカを認知した、発見したと思われたのはいつ、何でだったのか、ちょっと自己紹介がてらお話ししていただきたいと思います。 そこが多分、それぞれの方の出発点になると思うんですね。 そこから、また、各時代の日米の関係も見えてくるのではないかと思います。 これから。 皆さんそれぞれの「アメリカって何なのか」というところを見せていただきながら、討議を進めていきたいと思います。 では、40年代の高田さんからお願いしましょう。 



高田 公理 (武庫川女子大学名誉教授)


村田さんの明晰な分析は非常に面白く聞かせてもらいました。 ただ私、きょうの課題には、ちゃんとコメントできそうな気がしないんですね。 これまでのクオリアAGORAでは、どんな話題でも、なんとか対応できたのですが、きょうは無理やなあと思いながら聞いていました。 というのも、私にとってのアメリカ映画というと西部劇なんです。 それがきょうの話には皆無でした。 で、どんな西部劇かというと、例えば「シェーン(Shane)」――大根役者の呼び声も高かったアラン・ラッドが主演だったと思います。 その「シェーン」――舞台は19世紀のアメリカなのですが、荒野に住む子供の母親と流れ者の男との牧歌的なすれ違いを描いたような映画だったと思います。 ただ、そうした西部劇とは違って、白人がアメリカ・インディアンを徹底的にいじめる、そんなのが西部劇の主流でした。 それに、アメリカ・インディアンも徹底的にやっつける――そういう映画が多かったように思います。 私が10歳代だったころ、1950年代の話です。 


それが、もう少し時代を経て60年代になると、ガラっと変わります。 まあ、映画というよりテレビドラマの話になるのですが……。 いずれもアメリカの豊かな家庭生活を描いたものです。 そういうのを見ると、「お、自動車、持ってるな」「電気冷蔵庫もあるやないか」と思いつつ、「あんなんがあったら、楽しい人生が送れるんやろな」と思わされる。 ちょうど日本の高度経済成長が本格化して、日本の家電メーカーが懸命に新製品のCMを流した時代です。 でも、実はそれ以上にアメリカ発のテレビドラマが当時の日本人の消費欲求を刺激した。 結果、日本の家庭生活が急速に変化していった。 そんな思いが強く私の記憶のなかには残っています。 


その後の7、80年代には余り映画を見なかったのか、鮮明な記憶がありません。 ただ、かなり多くのディズニーアニメをまとめて見る機会がありました。 そうすると、70年代を境にアニメのストーリーががらっと変わってしまったようだという強い印象を受けるわけです。 つまり、70年代までのストーリーは、いろいろあっても最後には白馬に乗った王子様がヒロインを迎えにきてくれてハッピーエンド、なんですね。 ところが、ウーマンリブの運動が盛んになった70年代以降は、ヒロインの女性が主体的に自らの運命を切り開いていく物語になる。 「美女と野獣(Beauty and the Beast )」や「ポカホンタス」などがその典型です。 そういうわけで、きょうの話で主として取り上げられた大統領が出てくるような映画を、私はまるで見ていないわけです。 


ただ、白人が支配するアメリカという国の手前勝手な特徴は、西部劇の時代から一貫しているように思います。 それは東海岸から西海岸に向けて、ひたすら進軍を続けてきて、ついに西海岸に達した後も、身に着いた独特の慣性(inertia)から自由になれずに、太平洋を西に向けて進軍する戦争を始め、今なお、その攻撃性が克服できずに、大変嫌ったらしいままの攻撃的な国であり続けている。 そういうイメージが、がーんと私のなかに居座っています。 そういうところを、私の知らなかった映画に出てくる大統領のイメージをめぐって、非常に巧み、かつ鮮明に説明してもらったという印象を、きょうは受けました。 


実際、ハワイは別にして、アメリカに行くたびに、なんだか憂鬱な気分になる、その理由も、今日のお話から理解し直すことができそうです。 私の世代の全体が、こうだとは思いませんが、お話を承ったあとの感想のようなことを話させていただきました。 



荻野


では、50年代の山口さんお願いいたします。 



山口 栄一 (京都大学大学院思修館教授)


村田さんのお話は、ほんとに明晰で、いつも説得させられちゃうんですね。 どこでお話を聞いても打ちのめされますし、きょうもそうで、「ホントだなあと」思いながら聞いていました。 私のアメリカの原体験はですね、まさにこの「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future) 」なんですね。 それにいたるお話をします。 


私は、1984年、博士号を取った直後にアメリカに行きまして、85年の12月まで1年ちょっと、家族―家内と3歳の息子と1歳の娘―を連れてアメリカに行き、シカゴから90マイル離れたインディアナ州のサウスベンドっていう、中西部の典型的な田舎町に住んでいました。 私は、その町にあるノートルダム大学に客員研究員として赴任したのです。 


さて、1985年の春にボルチモアで物理学会があるというので、私の運転する車に家族全員を乗っけて行くことにしたんですね。 そうして、Interstate 80/90を東に向かって進んでいました。 ところが、オハイオ州のヤングスタウンに入ったあたりで、後ろからでっかい3連のコンボイ(トレーラー・トラック)がやってきてどんどん近づいてくるのが見えました。 私の車はオンボロですから55マイルしか出ないんですね。 もちろん走行車線しか走れません。 そのコンボイは、最初追い越し車線にいたのに、どんどん走行車線にやってきまして、近づいてくるわけです。 逃げようにも逃げられない。 向こうは多分70マイルぐらいで突っ走ってきます。 そしてスピードも落とさずに、私の車の左後ろに、ちょこんとぶつかりました。 まさに「運動量保存の法則」を、身を持って感じた瞬間です。 私の車は、何度かスピンをしながら、センターラインにあったコンクリートの壁に大激突をして、その後、真ん中にある芝生地帯に入ってなんとか止まります。 フロントガラスには二つ大きな穴が開いていました。 もちろんシートベルトをしていたんですが、家内も私も、頭から血だらけで…。 ただ子どもは、幸い後ろのシートでシュラフの上に寝ていて、外に飛び出さずにすみました。 それで、爆発しちゃいけないというので、家内と子どもを外に連れ出していると、そこから驚くべきことが起きました。 


まずは、われわれを助け出そうとして、芝生の中に後続の車が次々と入ってくるんです。 それで、最初に入ってきた乗用車の運転手が何をしたか。 これ、今でも思い出すと感激します。 私より背の高いおじさんが、最初にね、私をハグし、ずっと抱きしめたんです。 これ、日本人には絶対できないことです。 家内も誰かに抱きしめられていました。 2分ぐらいでしょうか、私たちを抱きしめ続けてくれたんです。 そのおかげで、ものすごく心が落ち着きました。 ちがう女性の方が無線でハイウェイパトロールを呼んで、すべての事故処理を行ってくれたんです。 そのうち、コンボイの黒人の運転手がやってきて何やら怒鳴り始めるんですけど、事故の経緯を知っているその人たちは、まったくそれを無視するわけです。 しらーっと無視することで、コンボイの運転手に抗議をしているんですね。 


そういうわけで、私のアメリカの原体験は、アメリカっていう国はとっても温かい国だ、っていうことです。 温かくてほっとする国。 攻撃的な国というような偏見みたいなものは、この体験で、すっかり吹き飛びました。 


その直後、1985年の初夏だったと思いますけど「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 が上映され、これ、サウスベンドのような田舎町でも見られたわけです。 日本で上映されたのは、それから半年以上経ってからだと思います。 というのも、1985年の暮れにロサンゼルスのユニバーサルスタジオに行ったとき、あのデロリアンが展示してあって、私たちもアメリカ人たちもとっても興奮して見ていましたが、日本から来た人々は、「これ、何だろう」と言っていて、「ああ、日本ではまだ上映されていないんだ」と思ったからです。 


あの映画は、私のヤングスタウンでの体験を具現化したかのような、すごく温かい映画です。 アメリカのさまざまな社会の風景とか文化とかいうのを上手に表現していまして、アメリカに住んでいると、そういうものが馴染んできて、私の中に『体化』しているんですけども、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見た時に、交通事故での体験もあって「アメリカって国はなんて温かいんだろう」というふうに感じた。 これが、私のアメリカの原体験です。 



荻野


じゃあ、引き続き岡田さん、お願いします。 



岡田 暁生 (京都大学人文科学研究所教授)


私の原体験、そうですね、私が最初にアメリカに行ったのは、1964年です。 これ、村田さんのお生まれになった年かな。 私の父がボルチモアに赴任することになったので、開通したその翌日の新幹線に乗って東京からハワイ、ハワイからチリのサンチアゴ、そしてボルチモアってこういう行程をたどりました。 4歳になったかならないかのころで、これが、私のアメリカの最も古い記憶です。 今も、ボルチモアのことで幾つか思い出に残っていることがありますが、何といっても一番強烈だったのは差別です。 つまり、公民権運動まっただ中ということも関係あったと思っておりますが、街を歩いてたら「ジャップ、ジャップ、チャイニーズ!」みたいなことをいわれるのは当たり前。 私の母は足が悪いんですけれども、あからさまに子どもなんかが、びっこの真似をしてみせる。 こんなあからさまな差別の体験が、強烈な印象として残っております。 それ以降ですね、私、ヨーロッパに4年半ほどおりましたけれども、まあ、時代も違いましょうけどね、ヨーロパでは、このような、少なくとも「あからさまな差別」に遭ったことは一度もありません。 人はよく勘違いするんですが、ヨーロッパというのは確かに階級社会です。 しかし、階級社会というのは、それなりに棲み分けをしている部分もある。 で、アメリカは、自由、自由っていうんだけど、その自由平等がかくも差別を生み出すのかと思ったこと。 これが、強烈な原体験として残っていることです。 


それで私は、クラシック音楽の歴史の研究者でありますが、よくお話するのは、「みなさん、クラシック音楽は、アメリカの音楽ではありませんよ。 ヨーロッパの音楽ですよ。 さらに言うとイギリスの音楽ではありませんよ。 コンチネントの音楽で、アングロサクソンは入ってないですよ」ということです。 そのような音楽を専門にしてきたこともあって、私は長い間、アメリカを仮想敵にしてきたんですね。  実は、それは、自分が何も知らないので、それを正当化するためにしてた部分もあるんです。 これは、一応あくまでジョークとしてなんですが、なぜ、こんなふうにアメリカの音楽は、クラシックの歴史に関係ないみたいなことをいったかといいますと、多分、こういうことがあると思います。 つまり、アメリカ以外のほぼ地球上のすべての地域でですね、芸術というのは、その昔のルーツをたどれば、王権、それから宗教と結び付いてきたんですね。 王権、宗教の中から出てこなかった芸術はどこにもないといっていい。 それに対して20世紀のアメリカ文化、大衆文化というのは、それがまったくない。 大衆社会の代表選手であるアメリカが生み出した、この大衆文化というのは、歴史上、極めて特異な性格を持っているということですね。  ま、逆に、クラシック音楽というのは、19世紀のヨーロッパの帝国主義が生み出した階級社会芸術であるわけですね。 


これは、「自由平等」を金科玉条にしてきた20世紀では大変分が悪い。 「なんや、エリート主義みたいな顔しやがって」というようなわけですね。 19世紀にはエリート主義がブランドになったんでしょうが、20世紀には、私のようにクラシックを専攻している人間は、「私、クラシック興味ないで。 演歌でっせ」っていわれて、「すみません、エリート主義で」って感じになってしまう。 これが第一点。 


第二点は、先ほどの村田さんのお話で、四方田さんの言葉を引用され、「20世紀は、ファシズムと精神分析と映画の時代」というお話をされましたけれども、これにアメリカのポップスを入れるべきなんですね。 映画とポップスは双子みたいなもんですから。 実は、ヨーロッパ、特に、ドイツは、文化の世界でも、文化プロパガンダで完全に負けちゃったわけです。 21世紀にはいっても、ナチスのことを、あれだけ悪く書かれたり描かれたりして、よく我慢しているなあと思うわけだけど、例えば、やっぱり、アメリカのジャズ、ミュージカルに対して、ドイツの代表的な音楽って何がある? ベートーベン、ワグナー? いかにもある種、ヒール役になりそうな音楽なんですね。 


アメリカは、2度における大戦で、音楽の分野でも、プロパガンダ戦に完全に勝ったわけです。 第一次世界大戦で、アメリカは参戦が遅れたんですけど、助太刀で出てきて、その時、黒人だけで編成された部隊が、フランス、パリで大活躍し、その軍楽隊が演奏した「ブンチャ、ブンチャ」のラグタイムが大受けしたんですね。 この時以来、このシンコペーションのジャズと呼ばれる音楽ってのが、ある種アメリカの自由と平等社会のシンボルになったんです。 そして、第二次大戦でも、アメリカは大勝利。 スイングジャズを流しまくったわけですね。 特に、慰問の目的もあったけれども、ドーバー海峡で行方不明になったグレン・ミラーが指揮するグレン・ミラー・オーケストラのジャズをドイツで流しまくったわけですね。 いくらナチスが禁止しても、多くのドイツ人はこればかり聞いて、ワグナーなんか聞かなかったと言われています。 とにかく、アメリカは、プロパガンダで勝った。 


あと一点は、アメリカの映画の事情と同じですが、アメリカのポップスの基礎を築いた人たち。 アメリカのポップス歌手、作曲家、ミュ―ジカル歌手など、われわれは、いろいろアメリカの音楽関係者として知っていますが、これらの人たちは、素性を見ると、アメリカ生まれの人はほとんどいない、ですよね。 1950年代、60年代ぐらいまで活躍してた人たちは、移民の中でも後発でやってきた人たちで、多くがが差別され、映画とか芸能の世界に入った人たちです。 フランス、ドイツというより、特に後から来たアイルランド、イタリアは、歌手、ジャズシンガーが多いです。 シナトラなんか典型ですけど。 それと、何といっても東欧からやってきたユダヤ人。 後発部隊なので、差別されるもんだから芸能の世界に行くわけですね。 われわれは、何となく、あのミュージカルの作曲家は、アメリカ人と思っていますが、実は、氏素性をたどれば、ほとんど旧ハプスブルグの出身者です。 今で言えば、ポ―ランドとかリトアニアとか、ああいうところからやってきている。 一例を挙げれば、ジョージ・ガーシュイン。 大変有名な作曲家ですが、彼は、ユダヤ系ロシア人でリトアニア出身なんですね。 本名はジェイコブ・ゲルショビッツというそうです。 


この話で典型的なのは、もちろん村田先生は、ご存知でしょうが、最初のトーキー映画と言われている「ジャズ・シンガー(THE JAZZ SINGER)」というのがあります。 ある意味で、とんでもない映画、とんでもない話ですよね。 どんな話かというと、厳格なユダヤ教のラビの息子が,ブロードウェイに憧れ、勘当されてしまうが、その夢を果たす。 ところが、そのステージでどんなことをするかというと、ユダヤ人なのに顔を真っ黒けに塗って黒人の真似をするんですね。 


アメリカの文化には、こういうフェイクみたいなところがある。 実は、ユダヤ人なのに、黒人になってジャズをやってみせる。 何となく人は、これがアメリカの黒人の音楽だと思ってしまう。 アメリカの文化には、そういうところがあることを知らないいといけないかなと思います。 



荻野


ありがとうございました。 お三方から、興味深い原体験をうかがいました。 では、今までの意見で何か聞きたいとか、それに対する意見がありましたら、どうぞ。 



高田


山口さんの話は、それはそれでよく分かります。 「温かい国やなあ」という印象も的確な捉え方なんでしょう。 というのも、話の舞台は中西部でしょ? 原理主義的なクリスチャンの多い中西部の庶民って、個別にはきっと温かいんやろうと思います。 ところが、その温かい人々が集まって作っている国が、政治権力と結びついた形で諸外国と付き合う時には、徹底的に暴力的になる。 第二次大戦後も、ほとんどの時間を戦争に明け暮れているわけでしょ? かなわん国やな、と思わざるを得ない。 つまり、アメリカという国を外から見たら、こう言うほかありえない。 まあ、アメリカに旅行して、アメリカ人と直に話すと、こういう嫌なアメリカの国家権力に対して批判的な人も少なくありません。 という意味では、アメリカも一枚岩じゃない。 いろんな人がいるわけです。 こうした矛盾というか、アメリカの多様な側面を、どう整理して理解すればいいのか。 そのあたりが大きなポイントになるのかなあと思っているところです。 



山口


おっしゃる通りだと思います。 アメリカはとにかく、世界一の超大国になったわけですから、常に、みなを守るという感覚がありますよね。 まあ、私のことも、そういうことで守ってくれたのかもしれません。 ただそれは、悪い方向に進むと、ある種の奢りに通じると思います。 「上から目線」。 


ただ、先程の話に補足して、一つだけ付け加えておきたいことがあります。 私が、ちょうどアメリカに住んでいたころに、司馬遼太郎の「アメリカ素描」が読売新聞で連載されました。 その中でこう書いてあったのを思い出します。 「アメリカは、多くの問題を抱えてはいるものの、世界にこんな国がひとつあって本当によかったと思う」と。 その通り。 そういうことだと思うんです。 アメリカがなかったら、ぼくらの科学の発展はなかったろうし、ヨーロッパ対日本というガチンコ勝負だったろう。 アメリカという国があって、ある程度イニシアチブをとってくれたから、いろんなことがうまく回っていけた。 そして、われわれも、ある意味でイノベートされた。 そういう気がしています。 



荻野


では、今の議論も含めて村田さん、コメントをお願いします。 



村田 晃嗣 (同志社大学学長)


今の議論で出た、アメリカの攻撃性みたいなことは、そうだと思うんですけれども、それは、どの程度まで文明としてのアメリカとか、あるいは、アメリカの文化に還元して説明できるのか。 それとも、二人のお話に出てきたように、アメリカは世界一の超大国だと。 つまりその攻撃性は、国のサイズとか力の規模から発生するものなのではないか、ということも考えられます。 例えば、日本が、仮にアメリカと同じだけの国力を持っていたら、日本はアメリカより謙虚だろうかというと、おそらく、アメリカより傲慢になっていて、アメリカよりよっぽど戦争をしている可能性が十分にあって、今、中国に、われわれは、その可能性を若干感じているわけですよね。 ですから、文化とか文明という属性の問題と、国家のパワーの規模によって―例えば,大企業でも社風がどうのこうのより、売上が1兆円を超えて大きくなっていくと、だいたいこういうふうになっていくとかいうような―そういう規模から来る問題とが、両方、アメリカの攻撃性ということには重なっていて、このために、議論がなかなか難しいところがあるんじゃないかと思います。 


それから、高田先生のおっしゃった西部劇のお話です。 一つは、西部劇は、アメリカ映画が好んで描くジャンルでありますけれども、多くの映画研究者が言ってますように、あれ、エルサレムなんですよね。 西部へ向かうのは、ユダヤ人が砂漠を越えて聖地にたどり着こうとするイメージであって、そこに、ある種宗教的なものを読み込んでいる。 


それから、インディアンの話もされましたが、先ほど、私、40~50年代末の赤狩りの話をしました。 実は、赤狩りって、アメリカの歴史の中に何回も起こっているんです。 第一次世界大戦の後にも、「Red Scare」をやりました。 もともと、これはアメリカのある有名な学者が言っているんですが、アメリカ史における最初の赤狩りっていうのは、インディアンなんですね。 つまり、アメリカという文明の中に野蛮なものが混入してくる、という恐怖のイメージ。 これがインディアンで、これ対する迫害ってのが、もう18世紀に起こっていますよね。 インディアンは、まさにスキンカラーからすればレッドと表現されるわけであって、アメリカの赤狩りは、建国時代からずっと行われている。 ところが、 このインディアンハンティング―赤狩りを西部劇に描いていたハリウッドが、やがて自分たち自身も赤狩りの対象になってしまうという、まあ、アイロニーみたいなことが20世紀に起こったわけなんですね。 


それから、岡田先生が「ジャズシンガー」のことで、ブラックフェイスのことを言ってくださったんですけども、ジューイッシュが黒く塗って黒人の役をする。 実はですね、アメリカが作る映画で、20世紀の初期に登場する黒人は、ほとんど白人なんです。 「風と共に去りぬ(Gone With the Wind) 」で黒人がちゃんと出てきますけども、1910年代、20年代のハリウッドの映画の黒人っていうのは、白人が演じているんですね。 黒人を役者として、スクリーンに映すような対象だとは考えていないっていうことがありました。 だから、白人なんです。 ただ、それも、多くの場合ジューイッシュですから、ジューイッシュが黒人を演じるという、なんというか差別の二重構造みたいなものがそこに、起こっているということですね。 


それで、ちょっと気が利いてるなと思った言葉を紹介します。 「ハリウッド映画は、ユダヤ人が作って、カトリックが検閲し、プロテスタントが楽しむもの」。 今話しをしていて、そういうメカニズムになっていることをふっと思い出しました。 



荻野


はい有り難うございます。 先ほどの村田さんのスピーチで私の耳に残った言葉があるんですけれども、それをみなさまに、投げかけてみたいと思います。 それは「ソーシャル・チェンジ」という言葉です。 今、日本もまさにソーシャル・チェンジに直面しているといえる部分もあると思うんですね。 それで、みなさんに、それぞれのご専門の分野で、そうしたソーシャル・チェンジがどのように起こっているか、それが認識できる何かがあるかというようなことをお話しいただけたらと思います。  



岡田


初期は娯楽音楽だったジャズは、第二次大戦後、急激にアヴァンギャルド化していくんですね。 マイルス・デイビス、チャーリー・パーカー。 彼らは、「白人の金持ちのために快適なスイングの演奏なんかする気はないで。 われわれは、芸術を追求する。 アヴァンギャルド芸術を追求するで」ということなんですね。 50年代、60年代のジャズはそれなんです。 それは、明らかに公民権運動なんかとセットになっている。 


これのいい例としてよくいわれるように、ルイ・アームストロングとか前の世代の黒人ミュージシャンが、いつでも白い歯を出して二カーっと笑って写真に映っているのに対して、マイルス・デイビスはレコードジャケットを見ると、みんなブスーっとして映っているんですね。 これは、意図的、戦略的に「白人のエンターテイメントじゃない」ってことをいってるんだと思います。 それこそ、ずっと、かなり後になって「MILES SMILES」っていうレコードが出たわけですね。 以前が以前だけに、そういうわけで、「マイルスが笑っている」ジャケットとして有名になった。 


そのように、ジャズというのは、公民権運動と一体になって、非常にアヴァンギャルドな芸術を志す政治闘争に、とりわけ60年代前半からなっていった。 で、ですね、私の見るところ、こういうソーシャル・チェンジがジャズに起こった最大のところは1970年前後なんですね。 これ、要するにですね、公民権運動、大衆政治闘争の手段としての音楽というのが、ジョン・コルトレーンで一つ頂点に達するんです。 コルトレーンは、やっぱり1960年代末世代の神様だったんですね。 少数者、抑圧された人々のために音楽で戦うんやと。 ところが、この闘争する音楽としてのジャズが、70年代に入ると同時に、急激に衰退していく。 これ、簡単にいえば、ロックに負けたんですね。 娯楽でもロック、大衆動員の方法でも、若者動員でもジャズはロックにかなわなかった。 それで、ジャズミュージシャンたちは、どんどんどんどんポップス路線に流れていくんです、芸術性を追求しなくなる。 興味深いのは、この時代、1970年代というのは、ちょうどハイエクとかシカゴ学派などという新自由主義が喧伝される頃。 それと歩調を合わせるように、戦わなくなったジャズが急激に娯楽音楽化していく、再娯楽化していくというのが非常に面白いことだと思っているんです。 



山口


私は実は、映画を週2回見ています。 基本的に日本の映画もハリウッド映画も大好きです。 一番最近は「ミッションインポッシブル/ローグ・ネイション(Mission: Impossible - Rogue Nation )」を見ました。 そのちょっと前に「日本のいちばん長い日」も見ました。 この後者の日本の映画、非常によく描かれた映画だと思います。 すごく誠実に描かれているし、あの時の天皇の言葉の一つひとつがきちんと描かれている。 山﨑努演ずる鈴木貫太郎が「貧乏くじだなあ」といいながら総理大臣を引き受ける。 その後、役所広司演ずる陸軍大臣の阿南惟幾も、同じように「貧乏くじだから」といいながら、腹を切る。 終戦直前の、誰もこの戦争を止められなかった、それでも陸軍のクーデターを阻止しながら薄氷を踏むように戦争を止めた、その状況がすごく上手に描かれていると思います。 


この映画は、このように、日本の歴史をきちんと描こうとしたものとして私は評価していますが、問題は、アメリカ映画にしてもヨーロッパ映画にしても、その「日本なるもの」の描き方です。 一般的に、日本が描かれる時、それはとてもグロテスクなことが多いんですね。 例えば、「グラン・ブルー(Le Grand Bleu )」。 これ、フランスとの合作映画ですけど、潜るのに挑戦しようとしている日本人は、機械のような人間として描かれている。 また、「ダイ・ハード(Die Hard )」で、ナカトミ商事というビルが出てきて、そこの日本人社長とか、すごく滑稽に描かれています。 これらは、ひとつの日本の類型だと思うんですね。 ですから、「完全なる自己の自由が得られ、ひとり一人が一個人として生きられているアメリカ」とは対極にあるものとして日本が描かれる。 さらにいえば、「ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation) 」では、日本人がたいへん薄っぺらい、心を持たない人間、そして日本が、住みづらい嫌な国として描かれる。 


ソーシャル・チェンジという言葉で思いついたのは「未来世紀ブラジル(Brazil)ですよ。 この映画は、まちがいなく日本を描いていると思います。 あの中に描かれた未来の描像っていうのはどうも日本ではないか。 こういう作品を見ると、ぼくらはやっぱり、日本という国が、人間の尊厳よりも集団の秩序を重んじ、温かい心を持たない人たちの住んでいる国として描かれていることに対して、何らかのカウンター・アクションを起こさないといけないだろうなと思います。 



高田


そこで思い出すのは、私自身のこれまでの体験への思いです。 まず、生まれは1940年代です。 60年代ぐらいに物心がついて以後の社会変化を反芻しますと、人々の暮らしや社会全体の動向が、一方で私自身の目指していた方向を辿ると共に、他方ではその反対物に転化していったような気もするわけです。 たとえば55年ごろ、高度成長が始まって、日本は着実に豊かになっていく。 でもそのころ、私自身は国家権力の動向に対してNOを突きつける反体制運動に参与することになります。 ところが、ある時点で気づいてみると、経済が豊かになり、その果実が広く人々に分配されることで、反体制運動が目指してきたところを体制の側が実現し、人々に豊かな生活と多様な福祉的措置を提供するようになるわけです。 こうなると、「あれっ、ぼくがめざしていた反体制運動って、何やったんやろ」という気分にさせられたりもしたように思います。 


ところが90年前後に東欧やソビエトロシアの社会主義体制が崩壊してしまいます。 その瞬間にアメリカで急速にネオコンが力を持ち始める。 結果、20世紀後半の世界の動向が大きく変化し始めます。 といっても私自身、いわゆる社会主義体制が理想的なものだったなどとは、まるで思っていません。 しかし「平等への指向性の大切さ」を理念として掲げていた社会主義体制の国々が実在したことによって、90年代以降のような富の偏在が、ある程度は抑制されていたことは否定できないように思います。 実際、そういう気分的な重しがなくなった途端に、アメリカの富裕層の暴力性が一挙に表面化し、経済格差の拡大が進んだわけでしょ?


こうした状況下で、日本の若い人たちの間に政治的なアパシー状況が進行したました。 ところが、今年になって安倍政権が、いわゆる安保法制を強行に成立させようとし始めた瞬間、彼らの間にも「日本が海外派兵などしたら、えらいことになるんじゃないか」という危惧が広がり始めて、若い人々を糾合したSEALDsの運動が突如、燎原の火のように広がるようになったわけです。  しかも60年代の安保闘争などと違って、背後にまるでイデオロギッシュな偏向といったものが見当たらない。 こうした動きを、私などの世代から見ると、現代日本では今までとは異なる大きなソーシャル・チェンジ、ある種の社会変化が進行して、これまで政治に無関心だった若い人たちに影響を及ぼしているのかなあ、などと思わされるわけです。 


そんな動きを表面化させた契機としての安保法制なんですが、いざ蓋を開けてみると、実に面白いというか、滑稽なことになっていますね。 というのも、この法制、本来は中国を仮想敵として捉える政治的な意図から構想されたわけですが、それを受けて最初に自衛隊が海外に派遣されるのはスーダンだというんでしょ? で、何をするかというと、仮想敵であるはずの中国の軍隊の「駆けつけ警護」なのだという。 実に馬鹿ばかしい話であるわけです。 


さあ、そこで、村田さんにお伺いしたいことがあります。 その前提として、安保法制に対する賛否に関しては、いろんな意見があっていいと思うのですが、憲法との関係はちょっと別です。 むろん社会変化の結果、憲法というものの持つ意味が変化したのだという考え方はありうるかも知れません。 ただ、近代社会は、立憲主義を打ちたて、憲法のもとに法的秩序を維持していこうという理念で社会の諸制度を運用してきたわけです。 そうした状況のなかで村田さんは、安保法制をめぐって、「憲法学者以外にも国際政治学者といった学者がいるのだ」とおっしゃりつつ、安倍内閣のやっていることを支持するかのような発言をなさいました。 それは村田さんのお考えなのでかまわないのですが、憲法に違反するようなやり方は、どうなんでしょうか。 むろん、憲法といえども「時代の子」です。 近代以前、憲法などというものがなかった社会はいくらでもありました。 今後も「憲法なんて、なくてもいいのだ」といった認識が広がる可能性だって、ないわけじゃない。 で、もし、そういう認識をしておられるのなら、それはそれで一種の見識だといわざるをえないのでしょうが、果たして現代の日本で立憲主義を放棄して、憲法に基づく社会の運営をないがしろにしていいのかどうか。 現代日本における社会変化と若い人の意識をからめて、お聞かせいただければありがたいのですが……。 



村田


ご指摘は、衆議院で私が公述したことに触れておられるんですが、これもですね、パブリック・ディスコースでそうなると思うんですけれども、私の発言を全部正確にご覧いただくとですね、私は、「憲法の精神が守られなければならないということはいうまでもない」と申し上げていて、軍事力は国力の重要なコンポーネントの一つであるけれども、仮に、軍事力を行使しなければならないような事態にあっても、それは、極めて抑制的に行使すべきであるという、憲法の枠組みは守らないといけない、ってことは申し上げているんです。 ですから、憲法とは関係なしに国際情勢の変化に合わせて今回の立法を認めろと言ってるっんではなくって、憲法的な観点と同時に、国際情勢についての分析も含め総合的にやらないといけないということを申し上げたのであって、憲法を度外視して議論していいというふうに言ったわけでは全然ないんですね。 


憲法学者の多くの方は、今回の法律に、もちろん反対をしていらっしゃるのですけれども、憲法学者はご案内のように、大体、調査すると、そもそも、自衛隊にも反対という方が7割ぐらいですから、反対されても不思議ではないんです。 けれども、東京大学の名誉教授をなさっているような有力な憲法学者の方々が何人か「違憲」だと言われたことによって、失礼ながら、学会の中で「合憲」だと言うことが憚られるような雰囲気ができてると思うんですね。 私は、そのことはよくないと思うんです。 憲法学者の中でも、例えば、京都大学の大石眞先生は、はっきりと「合憲だ」と仰っている。 そういう声が上がってくるっていうのは、京都大学、立派だと思うんですね。 少数でも、勇気を持ってそう仰る。 憲法学会、公法学会の中では、今回の立法に賛成すると、何かそれだけでもインテレクチュアルとしてね、道を踏み外したかのような、そういう気風が生まれてきていることに対して、私は非常に危惧を持っています。 


それから、SEALDsに、ぼくは、どこまで期待していいかわからないけれども、ある若者が、安倍さんに対して「馬鹿か、お前は」といった。 まあ、若者は、それでいいのかもしれない。 ところが、法政大学の山口二郎さんのような立派な行政学者が、国会前の演説で「安倍に言いたい。 お前は人間じゃない。 叩き切ってやる」って言ったわけですね。 最高裁の判事までされた人が公述で「司法部をなめたらイカンぜよ」と仰ってね。 やっぱり、賛成、反対、もちろん立場はいろいろあっていいんだけども、議論のマナーっていうものが、今、逸脱されようとしているんじゃないか。 ディスコースが極めて下品になっていて、この立法をめぐって、まあ、総理がやじを飛ばすなんて論外だと思いますけども、賛否両方の側から、品格みたいなものが急速に失われている。 インテリの世界では、賛成することが「罪」みたいに言われるっていうようなね。 私は、その事のほうが、実は、この法律が通ることよりもよっぽど怖いことだというふうに、個人としては思っています。 


元の話に戻しますと、山口さんが、日本人のイメージの類型のことを仰った。 これも、私、言い忘れたんですけど、高田先生の仮想敵国のこともそうなんですが、今後ね、ぼくが興味あるのは、ハリウッドが中国をどう描くかということなんです。 今まで、80年代とか90年代、お話にあったように、日本の経済が全盛の時に、日本を非常にカリカチュア化し、攻撃的で組織的な株式会社日本みたいにして、アメリカにアンフェアに攻めてくる日本経済とか、日本のヤクザが進出してくるみたいなイメージとか、いろいろな国民性のカリカチュアが描かれたけれども、これから、ハリウッドは中国をどう描くのか。 これ、難しいんですね。 というのは、ハリウッドも海外市場に依存していて、中国は非常に大きなマーケットになってるわけですね。 それで、かつての日本のようにカリカチュアとして描くとね、中国では売れない。 マーケットの論理とカリカチュアしたいという文化的な〇〇?との間でどういう葛藤が起こるのか。 ハリウッド自身が、まだ、中国をどう描くのかということについて決着を見ていないっていうか、揺れ動いているような状態ではないかなと思います。 


私自身が、きょう大統領のお話をしたので、感じたことで言うと、ケネディーが登場した時、ぼくが生まれる前なんですけど、当時、言われたことは「カトリックが大統領になって大丈夫なのか」。 「カトリック教徒がホワイトハウスの主になったら、ホワイトハウスはローマ法王庁の支配に伏するんじゃないか」―なんて、今では考えられないことが大真面目に言われたけれど、あの時、カソリックが、歴史上初めてアメリカの大統領になったことで、一つのブレークスルーが生じて、数年前に、初めて黒人の大統領も生まれた。 オバマは、ブラック・ケネディーって言われたわけですけども、そういう大統領の登場というのも、社会の大きな変化を現すんじゃないか。 


私自身が最近、体験したことを言いますと、5月に、東京の国立公文書館で、「ジョン・F・ケネディーの遺産」っていう展覧会が1カ月間ほどあったんですね。 それを記念して早稲田大学でシンポジウムやって、私もそれに呼んでいただいたんです。 その時、もちろんお嬢さんのケネディー大使も来ておられたんですが、基調講演はクリントン元大統領で、その講演の後、二人が握手したんです。 私は気が付かなかったんですが、事情通に後から聞いたら、パブリックの場では、実に、ケネディー大使がオバマを支援してから後、初めてのことだったらしいんです。 実は、クリントン一家はケネディー家とは元々仲良くて、前回の選挙で、ヒラリーを応援してくれるはずだったのに、前回選挙で、実は、ケネディー大使は、オバマを応援したんです。 それからは、両家がパブリックの場では握手なんてことはなかった、と言うんです。 ですから、この時、パブリックの場で、ケネディー大使とクリントン元大統領が握手したということは、政治的なメッセージを持っていて、つまり、次の選挙では「ヒラリーを応援してね」っていう政治的なジェスチャーだったということらしいんです、このことを後で聞いて、まあ、政治というのは、どこでも、いろんなカラクリがあるんだということを思った次第です。 






荻野


では、会場の方からお声を聞いてみましょう。 



三木 俊和 (大阪学院大学)


私は、映画っていうものの経済的な見地からの見方について、質問がてら意見をさせていただきます。 時代背景としては1971年に、ニクソン・ショックがあり、その後、スミソニアン体制になり、73年、変動相場制移行、85年、プラザ合意というのがあります。 そういう経済環境の中で、73年5月にアメリカ、6月に日本で公開された映画があります。 「ソイレント・グリーン(Soylent Green )」というSF映画なんですが、私は、これに大変な衝撃を受けました。 それは、2022年を描いたもので、人口がすごく増え、食糧難になるんですね。 それで、どうするか、安楽死を認めたり、大変なことになるんですが、私は、ずっと現実がこの映画のようにならないかと心配してるんです。 きょうは、村田先生が、アメリカの映画を紹介されるということで、この映画をどう言われるかと、楽しみにしてきました。 お話では出ませんでしたが、この映画の描いた世界についてどう思われますか。 



村田


ああ、チャールトン・ヘストンが出た映画ですね。 人肉を食べたり、ディストピア映画のひと*つです。 ちょっと、その映画について、もっと詳しく話す知見を持っていなのですけども、きょうの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも申し上げましたように、映画が近未来をどう描いているのかということが、年が経つにつれて、実際の年になってきてますから、どの程度当たったか外れたか、ということが検証できて、それはそれで面白いのではないか。 ディストピアのものとユートピアのもとですね、かなり当たっているものとかもあって、いろいろなマトリックスつくりながら考えることができるんじゃないか。 


「バック・トゥ―・ザ・フューチャー」で言いますと、パート2(1989年)が2015年を描いていて、自動車が空を飛んでいるんですね。 で、自動車が空を飛ぶというのは、SFではよくあって、「ブレードランナー」は確か2018年を描いているんですが、これも自動車が飛んでいる。 これ、好んでSFでやったことですけれども、まだ実現していない。 もう一方で面白いのは、パート2では、15年の世界で、誰一人、携帯電話を使っていない。 テレビ電話とFAXなんですよ。 それから、日本のアニメの「エヴァンゲリオン」でも2015年の東京が出てきますが、あっちこっちに公衆電話がありますから、ケータイは前提にされていないですね。 通信情報機器の分野では、人間の想像を超えて科学技術が進んでいる。 一方で自動車が空を飛ぶというようなところでは、人間の想像のほうが科学技術に先行しているという逆転が起こっている。 経済との関係で申し上げると、テレビ電話に会社の社長が出てきて主人公をクビにするんですが、その社長は日本人なんですね。 「イトウ フジツウ」という名前ですから、80年代の日本経済のイメージから来ていると思うんですけど、もし、ハリウッドが、今、同じような近未来映画を作ったら、主人公をクビにする会社の社長は、間違いなくジャパニーズでなく、チャイニーズに変わっているはずなんですね。 ですから、80年代の日本経済の破竹の勢いが、30年後も続いているという間違った想定が読み取れるわけです。 おっしゃるような近未来ものの当たり外れとか、何が当たって、何が外れて、なぜなのかなど、映画を研究する上で、非常に興味深いテーマだと思います。 



荻野


では、まだ時間もありますので、さらに会場にお越しいただいたおふたりの方からお話を伺いたいと思います。 まず、京都学園大学学長の篠原総一さん、そして、村田機械社長の村田大助さんに、アメリカについてはお詳しいと思いますので、何かお話願いたいと思います。 



篠原 総一 (京都学園大学学長)


ただただ、おもしろく話を聞いておりました。 村田さんからは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の話は何度も聞いております。 それで、きょうも「車が飛ぶのだけは当たっていないんだ」というお話がありましたけれども、実は、つい数日前に、トヨタの子会社が、空を飛ぶ自動車の特許を申請したとかというようなニュースがあったんです。 ぜひ、村田さんにお伝えしようと思っていたんです。 やっぱり、当たるもんですよ。 


きょうぼくが興味あったのは、やっぱり、中国をどう描くのかっていうこと。 これ、大変重要な話っていうか、面白いトピックと思いましたね。 ぼく、ただ、まったく、政治のことを考えながら見ているわけではないんですけれども、彼らの動きを見ていると、どうしても中から規制がかなりきついから、彼ら自身も中国のことがやっぱり、描ききれていないんですね。 


そういう意味でね、アメリカ映画というのは、非常に楽しいっていうか、役に立った。 ぼくは長くアメリカにいましたけれども、大学にいて、大学院生やって、教師やって、住んでたんですけど、やはりアメリカの人たちがどういう暮らしをして、何を思っているかっていうことは、なかなかやっぱりわからないんですね、大学にいただけでは。 そういう意味で、アメリカ人じゃない日本で育った人間が、アメリカにいながら、結局アメリカ人のことを、こうなんだ、こう考えているんだということを知ったのは、実は、小説であり、映画からだったんですね、今から考えてみると。 村田さんは、政治の面から映画を見られましたけど、私は、アメリカ社会の中に生きている人たちの姿を外国人として眺めるという意味で、映画っていうのはすごく楽しかった。 だから、あんまりシリアスなものじゃなくてね、もうちょっと勧善懲悪も含めて、見ていた。 例えば、アメリカの大統領はフィクションの中で大抵スーパースターですよね、危機を脱するような。 だけど、日本の総理大臣には、あんな姿を、絶対誰も想像しないわけで、そういう意味じゃあ、アメリカ人がニクソン大統領をどう見ているかとかは、大変面白い種だったような気がします。  


後は、ハリウッドは、日本の政治家をほとんど種にしていない。 それも意味があるんだと思いますけれども、そういう意味で、中国をどう描くかっていうのが、これから、大変、面白い種だと思います。 さっきの、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」じゃないですけど、また村田さんに、15年後に、ハリウッドが中国をどう描いているかというのを聞かしていただきたいと思っています。 



村田 大輔 (村田機械社長)


私は、アメリカにしばらく住んで、仕事をさせてもらったり、勉強したりした時期が20代にあったのですが、アメリカの良さも悪さも、まあ、多様性ということもずいぶんよく言われますが、一言では、なかなか説明できないですよね。 きょうも、すごい専門分野で業績を上げている方にも拘らず、「群盲象を撫でる」ようで、みんな意見が違う。 でも、それぞれの見方、みな当たっていると思うんですね。 アメリカは、それほど多様性のある国じゃないかと思います。 それと、個人の強さというものがあるかと思います。 


それで、仕事上知ったことを話しますと、よく言われるのは、日本の場合、社会、組織は非常に大人であるけれども、個人は子ども。 逆にアメリカは、社会的、組織的価値観は非常に単純、子供っぽいところがあるけれど、個人は力強い―ということです。 私自身の経験からいきますと、おそらくアメリカは個人の強さがあって組織の弱さをカバーしているのかもしれないということなんです。 意外と、仕事においては、アメリカ人の個人というのは、日本人の個人と比べて、それほど強くないなという気がするんですね。 逆に、組織としては、まとまりにくい弱い個人を固めるために非常にしっかりしたものを持っている。 アメリカ人は、個人としてはしっかりした考え、哲学を持っていて、山口さんが仰ったように、個人が確立していて大人なんです。 けど、組織の中での構成員としての振る舞いっていうのは、それほど強くないな、っていうのが仕事を通じて思ったことです。 


最後に、ヨーロッパ人とふたりでアメリカのことをけなすことほど面白いことはない、と。 これ、アメリカ人にとっては、いいかげんにしろということなんでしょうが、大変盛り上がります。 酒の席で、アメリカ人のことをあげつらって、あれこれ貶して、わあわあいうのは、ヨーロッパ人と打ち解けるのに格好のテーマの一つなんです。 



荻野


では、ディスカッサントの方から一言ずついただいて、後、村田さんに締めていただきましょう。 



高田


二つのコメントをさせてください。 戦後の日本では、戦争やそれに類する深刻な危機がなかったから、政治をテーマにした映画が撮影されなかったのだという意味のことが、村田さんのお書きになった資料に載っています。 これに関連していうと、戦後の日本社会には碌な政治家がいなかった。 だから映画にもならなかった。 ただ、それでも何となく世の中がうまく回ってきたのは、一般の庶民がしっかりしていた結果、戦後の日本のしあわせが保証されたのだということにならないのかあと思います。 現在を含めて今後、明確に白黒をつけたがるような政治家のリーダーシップが発揮されるような社会になったら嫌やなあ、というのが一つ目のコメントです。 


で、もうひとつ。 村田さんは「現政権に対する批判の言葉のなかに非常に下品なのがある」とおっしゃったのですが、そういうのはやめたほうがいいと思います。 ただ、そう思いつつ他方では、権力者は、それ以上に品格を保つ必要がある。 たとえば国会で「早く質問しろよ」といった下品なヤジを飛ばすのは言語道断です。 他方、原則的に権力を批判する側は、どんなひどい言葉を発してもかまわない。 ただ、そうすると一般の支持を失うことになろうかとは思います。 もし、えげつない批判をするのなら、それをユーモアで包んで一般の支持を得られるような工夫が必要なんですね。 そうしたことに長けていたジャーナリストに、たとえば宮武外骨といった人物がいます。 彼は何度も出版を禁止されたり、逮捕されたりしたわけですが、徹底して権力を揶揄し続けました。 そういう権力批判を、巧みなユーモアに包んで成し遂げる知恵が、SEALDsの運動から出てくると楽しいなと思ってます。 



岡田


一言だけ。 きょうのお話を聞いて、国際的な文化イメージを浸透させるというのが大事なことであるなとあらためて思いました。 アメリカは、どれだけひどいことをしても、ああいう映画、音楽を作っている国だから、ほんとに悪いことはすまい、とつい思ってしまう。 それから、ニューディールの時、「こんな時だからこそ」とルーズベルト大統領が、ミュージカルにお金を投じたと聞いたことありますけど、こんなご時世だからこそ、「文化系の大学はいらん」というようなことはいうてほしくないと、心から思います。 



山口


最後に付け加えるとすると、アメリカは黒人差別がどうしようもなく根強くて、これはやっぱり恥部だと思います。 アメリカは、人間の尊厳をきちっと守る国だと思うんですけど、そこだけは許しがたい。 息子がアメリカの幼稚園に入った時に気が付いたことがあります。 黒人の子はおとなしい、そして、何もしゃべらないということです。 いろいろ話しかけても内気で、すっと行ってしまうんですね。 つまり、幼稚園の頃からもうすでに、いろんな形の差別を受けているっていうことです。 ヨーロッパでは、そんなことはまったくないんです。 アメリカは、元々、大上段に人間の尊厳が大事だと言っているが故に、裏の世界で黒人を差別するような何かが存在している。 これがなくなった時に、アメリカは一皮剥けるだろうと思います。 



荻野


では、村田さんの方にお戻ししたいと思います。 最後、よろしくお願い致します。 



村田


高田先生の仰ったことに、関連して少し話します。 ぼくも、その通りだと思います。 つまり、権力の側がよりシビアに批判されるべきである、と。 これは、ある種健全なことだと思うんですね。 そして、権力の側は、しかし、自制心を持たなければならない、それは、全く同感です。 


それで、思い出したのは、あれは、多分70年代の学生紛争の頃のことだと思うんですが、もう亡くなりましたが、永井陽之助という国際政治学者が、ある本の後書きで言っているのは「ある権力に対する抵抗のポーズと思っているものが、実は、別の権力に対する迎合である可能性―この逆説に無自覚な言論というのは、時代が変わるとあっという間に、手のひらを返したように変わっていく」。 つまり、反権力だと言っているけれども、実は、自分たちが住んでいる業界では多数派で、反権力と言っている方が楽だっていうふうなことで、実は、それは別の種類の権力に迎合している。 この自覚を持たない言論ってのは、世の中が変わるとまた変わってしまう、ということを、70年代に永井さんが仰っていて、これは、今にも当てはまるんじゃないかなと思います。 


これも、あんまり言うまいと思っていたのですが、憲法学者、専門家の意見には真摯に耳を傾けるべきなんですけど、われわれ、業界人として知っているのは、どんな専門分野にも、専門分野のバイアスというのがあるわけですよね。 狭い専門分野のバイアスの危険性みたいなものも学者内では当然ながら、みな知っている。 ぼく、今、ちょっとダブルスタンダードじゃないかなと思うのは、反原発で批判される方々で、「原発の狭い専門的知見だけに頼っていちゃダメだ」と言ってる人たちが、今度は、安保法制の問題になると「憲法学者の多数が反対だ」と、ちょっとダブルスタンダードになっているんじゃないかという気が、私の中にないではない。 だから、専門家の知見をどれだけ尊重しながら、しかし、相対化するのかみたいな知恵、経験みたいなものを積んでいかないといけないんじゃないかなという気がしています。 


それから、映画の描く未来イメージで、80年代とか、日本が結構グロテスクに描かれたんですけど、そう描けたのは、日本経済は怖いけど、究極のところ、日本は怖くなかったわけですよね。 だって同盟国だし、アメリカに実質的に頼っているわけだから、日本が、ほんとうにエッセンシャルにアメリカにチャレンジすることはないんで、そういう意味で、グロテスクに描けた。 けども、今の中国は違うわけです。 ほんとうに怖い。 だからハリウッドが特定の国や文化をカリカチュアで描ける時というのは、怖いように見えて、実はそんなに怖くない時。 そういう時にできるわけで、本当に怖い相手に対してどうなのかってのは、中国は、そういう意味でなかなかチャレンジングな例になってくるんじゃないか。 それから、音楽の世界もそうだと思うんですけど、アメリカとか、ハリウッドとか言ってるんですけど、そこにも、例えば、どんどん中国の資本とかいろんなものが入ってきて、映画における国籍というものが、どれだけ意味があるのかということが問われてくるようになると思います。 


もうひとつ、アメリカの映画の中で、大統領がヒーローで、まあこれ、単純に面白いんですけど、何ていいますかね、アメリカに限らず、政治をテーマにしますとね、話は複雑になるんですよね。 つまり、合衆国憲法を知らない人にアメリカの政治の詳しい話を見せたって、よくわかんないし、逆に、日本の政治の「寝技」とか、「派閥」とかのわからない外国人に日本の政治の映画を見せても、エンターテインしない。 ということで、政治そのものをまじめに描こうとしても、映画としては、エンターテインメントとしては売れないわけですよね。 まあ、ヨーロッパのインディーズ系みたいに、売れることより芸術性とか権力批判が目的でやるんだったら、非常に質の高い政治的な映画が作れるけれども、ハリウッドみたいに、海外マーケットに依存して、金儲けすることを前提にしている作り方だと、あんまり機微にわたって描けないので、こう、単純に描いてしまうってのは、資本の論理として仕方がなというか、避けられないのではないかと思います。 



荻野


どうもごありがとうございました。 では、この後、ワールドカフェを行いたいと思います。 それで、そのお題を考えたいと思います。 後半でずっと話をしてきました「ソ−シャル・チェンジ」。 このソーシャル・チェンジをキーワードにお話いただければと思います。 





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