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第8回クオリアAGORA_2013/ワールドカフェ



 


 

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ディスカッション

ワールドカフェ

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ワールドカフェ


参加者間の対話を通じて答えを導き出そうというワールドカフェ。 今回のお題は、「グローバル時代に日本の存在感を示すためにどうしたらよいのか。 また日本独特のコミュニケーション手法をどう活かすか、活かせるか」について対話しました。 


≪ワールドカフェとは?≫


[ 各テーブルのまとめ ]



●第1テーブル 報告者  

山本 勝晴 (浄土宗西山深草派 僧侶)



まず、日本型コミュニケーションってどう定義づけるんや、っていう話をしました。 で、それは「察する文化」かなということになりました。 その、「察する文化」の中で「同意する文化」もあるんじゃないか、そういう話も出てきました。 でも、察するっていうことと同意するということは違うよねということになりました。 察するっていうのは、ここにあるものの白黒をはっきりつけんでも、曖昧な形で残しといたら、みんなわかってるやろうという考え方。 同意するっていうのは、あなたがいうてること違うと思うんやけど、目上の人やさかい違うといえないから同意しますっていう考え方。 こういう文化をどうやって売っていくんやろうみたいな話になっていくんですけども、まあ、そのポジティブな部分も考えながら、議論は進みました。 


日本型コミュニケーション、ま、「空気を読む」っていうのも重要な要素なんだろうなということでしたが、それを生かしながら何を売っていくねんということになりました。 で、まあ、日本の文明なんですが、文明というのは、グローバルに受け入れられるものであるという考え方のもと、「おもてなし」というものは、これは世界的に理解されるだろう。 和食も着物もそうだろう。 「もったいない」という気持ちも、うまく説明すれば伝わっていくだろう。 後、「かわいい」という考え方。 キティーちゃんとか、きゃりーぱみゅぱみゅとかね、こういうものとか、ちょっとマンガっぽいもの、こういうものを作らすというか、やらせると、日本人は類を見ないユニークなことができる。 これ、世界的にも受け入れられてきていて、もう日本の文化というより、文明になるんじゃないかという考えも出ました。 一方で、ただ、これはサブカルチャー的なものであって、一部かなという考えもあり、また、その一部がたくさんあることこそが、日本の特徴ではないかという意見も出ていました。 


話は変わりまして、実は、私の子どもの頃は、海外に対する憧れがあったんです。 アメリカの文化、音楽でもアメリカのものや英国のものばかりを盛んに聞いたものでした。 ところが、最近の若い人は、ほとんど、邦楽ばかり聞いていはるそうなんです。 ということは、海外への憧れがなくなってきている、と。 言い換えれば、コンプレックスがなくなってきているんだなというふうにとれるかなというところがあります。 ま、それが、文明となっていくのかなという意見もありました。 


で、まあ、日本型コミュニケーションが生きる場面は、ということで、話が出て、会社の中だろうという意見がありました。 でも、最近では、日本型コミュニケーションも変わってきたよ、という意見も出て、飲み会が会社でかなり少なくなってきているようですね。 家庭を大事にするというライフスタイルが主流になってきているからだ、ということなんですけど、こういう風潮の中でも、「察する」とか「KY」は形がかわっても、日本型コミュニケーションは重要だということになりました。 


あと、西洋は「強い文化」、これに対して日本、東洋は「やさしい文化」だね、という話になりました。 例えば、言葉の上でも、日本語なら、先ほどの平田さんの話であった「ケーキ」といえば、「ケーキがほしいんやな、この人は」、とわかると。 それだけで、いけるから楽やと。 これは、ある意味「ぬるま湯文化」なんだけど、むしろ、このぬるま湯文化を、弱い人たちのために広めていかないといけないんじゃないかという提案もありました。 
さっきの「かわいい」を輸出するというのもあり、「ぬるま湯文化」というのもあり、インドネシアの人たちとか世界の人々が、日本の文化に憧れをもってくれている部分もあるようなのですが、世界に日本の文化をどう売り出すかということですが、わざわざ海外に行って売り出さなくても、日本に呼んできて「洗脳」して帰ってもらったらいいという意見がありました。 そのためには、日本に来てもらった時、日本語の壁を低くすることも一つのやり方やろうし、そういういろんな国に日本語学校をつくるという意見も出ていました。 山口先生、最後、しめてください。 


山口 栄一 (同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)


「平田オリザは日本文明である」とシンボリックな言い方をしたんですが、平田さんのお話を聞きながらひとつ思ったことがあります。 それは「ああ、日本っていう国は、皮剥けたんだな」ということでした。 われわれの時代と違って、日本は皮が剥けて、つまり、内田樹さんが「日本辺境論」で書いたようなあの世界はもう終わって、いくつかのところで、日本中心論に切り替わったなあと思いました。 三島由紀夫の極めて論理的で悲劇的なカチッとしたあの文章、あれは、やっぱり、彼は、特にヨーロッパの文明に憧れて、憧れて、あれを描いたんだと思うわけですけどね。 平田さんの演劇はそうではなくて、やっぱりこれはもう、ひとつの日本中心の、ある種その世界がそこにあって、そこに新しいオリジナリティーがあるわけですよね。 村上春樹を挙げても同じことですが、彼も、三島が大嫌いだという言い方をしてるんですけど、裏返すと、ああいう、日本辺境論から出発するような議論は、もう皮剥けたぜ、と。 オレたちは、もう、ある種のユニークネスを身にまとったよ、ということを彼はいっているんだろうなあと思います。 そういう意味で、決して恥じることはなく、日本型コミュニケーションっていうのが、そういうものをさしているとすると、これはもう十分に、世界に普遍的なものとして、いろんな人たちに受け入れられるものに既になったんだ、と。 だから、シンボリックに「平田オリザは日本文明である」ということを出したわけです。 平田さんには、怒られちゃうかもしれませんけども。 





●第2テーブル 報告者  内崎 直子 (大阪ガス近畿圏部)


われわれもですね、日本型コミュニケーションがどういうものかについて議論しました。 で、いくつか特徴があげられるなあ、ということで、例えばですね、一つは、まあ、男女の語り言葉が違う。 英語ですと「I」ですが、日本語ですと、「私」とか「ぼく」とか「おれ」とかあって男らしさ、女らしさみたいなのが出せるのかなあということ。 また、主語がなくても通じるとかですね、空気が読める、つまり「阿吽の呼吸」とかいいますが、それとか、「本音と建前」とか、そういったところも日本の特徴と考えられる。 


それから、もうひとつはですね、これ、日本人の特徴ということにもつながるのですが、「こうすれば相手が喜ぶよね」ということをしてしまう、おせっかいというほどではないんですが、相手のことを思いすぎるほどのサービスがあるとの意見もありました。 例えば、ヨーロッパの鉄道の話があったんですけれども、アナウンスが全くない中で、日本はですね、こと細かにアナウンスはあるし、サービスが充実していたり、おしぼりも日本で始まったということなんですが、「至れり尽くせり」というところも日本型コミュニケーションの特徴として挙げられます。 


ところが、最近の動向として、そういう至れり尽くせりの中で、相手のあら探しをするような傾向がある。 例えば、私、クレームを受ける担当をしていますが、ガス機器の説明書とかもこと細かに書いててですね、そのためにクレームなどでご指摘を受けることがあるんです。 そういうあら探しみたいなことが、最近の特徴的な動向としてあるんじゃないかと思います。 


あと、メールとかSNSとかでのやりとりが多いということですので、昔は、手紙とかで、最初に時候の挨拶とか入れていたのですけど、そういうことが、省略されて、すぐに本題にはいってしまう。 それがいい時もあるし、悪いこともあるという話題が出ました。 


それで、日本の文明を世界に生かしていくということでキーワードを三つを挙げました。 一つは「和食」。 世界遺産ということで、これを機会に広めていこうということに。 次は、日本らしい「礼儀作法」、三番目は「匠の世界」、職人さんの世界です。 


結論的に。 これをどうやって世界に広めていくかということですが、まず、どんな形でも、例えば、研修生、観光客、技術者、移民でも、とにかく世界から大いに人々を受け入れて、日本の物を幅広く知ってもらい、習得してもらって自分のミッションとかで持ち帰り、その国で広めていただくというふうなことが可能性としてあるんじゃないか。 この時、京都という場所は、キーワードの三つにふれるための貴重な場所であるので、大いに京都の役割があるのではないかと考えました。 山極先生、何か付け加えていただけますでしょうか。 


山極 寿一 (京都大学大学院理学研究科教授)


平田さんがスピーチの中でおっしゃっていたように、日本の若者たちは、言葉も含めて、まだ、世界の中で、揉まれていない。 だから、世界からいろんな研修生を呼ぶことによって若者たちを交流させて、その中で日本の文化のよさっていうものを作り替えて、世界に、日本人じゃなくて世界の人に出してもらう。 その過程で、プロセスこそが重要という話がありましたけども、日本の若者がコミュニケーションの新しい方法を学んでいけるんじゃないか、あるいは創造していくんじゃないかな、というふうに思っています。 







●第3テーブル 報告者  上田  源 (同志社大学学生)


今の韓国と日本の文化政策の話になって、韓国は、経済でも、国、政府を挙げて売りに行く。 故にサムスンが異常に強いという現状がありますけど、やはり日本が何かを売りに行く時、企業単体でしか戦えない。 それ故に、やはりその強さってものが弱い。 しかも、日本企業は、工業の成功体験っていうものが、非常にインパクトとして過去から強くあるので、それに引きずられてしまって、やはり、技術を何とかして誇示するということに執着してしまってて、それでは、相手の関心を引けるけれども感動を与えられない。 感動を与えられなければ、相手が何かを買ってくれる際の選択肢にあがらない、というの話が個人的には興味深いものでした。 


日本語教育の問題としては、やはり、日本語を使って、例えば、漫才だとか演劇だとかを使って、小学校、中学校で自己表現をさせてみる。 それが、自己を発散するということにつながる。 そのために、日本語教育にもっと資金を提供していかなければならないという意見が出ており、その通りではないかと思いました。 


私は、文学部の人間ですので、文学部的な質問を、面倒くさがられるほど平田先生にしていたんですが、60年代、70年代というのは、先ほどから、山口先生もおっしゃってましたけども、三島が世界に対して売れていましたよね。 三島の時代で、現代は、村上春樹の時代であるということなんですけど、三島由紀夫とかっていうのは、60年代、70年代において、グローバル的になっていく社会の中で、内容がジャパネスク的である、若干奇をてらったもので世界的に受けなければならなかったという話があります。 でも、現代というのは、そういう先駆者たちのおかげでですね、実力で勝負が可能な世界にちょっと変わってきているんじゃないのかと。 ここで売れないのは、単純に、日本人が能力がないだけじゃないの、と。 つまり、ちょっと、日本の内向性、日本人にしか受けないような文学しか書けない。 つまり、「永遠のゼロ」を輸出しても、多分売れないだろうな、と個人的には思ってるんですけれども。 で、えっと、面白いのはJリーグの話で、あのう、西洋と日本のマーケットの差で、今までは、日本人しか呼んでこられなかったものを、Jリーグというのは、世界中から人間を呼んでくることに成功したわけです。 ブラジルとか世界中からスタープレーヤーを呼んできて、で、だんだん、20年を経て、とうとう香川や本田が、ミラン、マンチェスター・ユナイテッドに行きなんていうふうに、だんだん輸出の成功が、Jリーグに見えるんじゃないのかな、という話が出ていました。 


最後になりますけど、オリンピックが誘致されましたね。 さっきまでの話は、何かを輸出するという話でしたが、輸入するということに1個成功したわけです。 で、じゃあ、このオリンピックを日本の中のみでするのか、それとも一つ、せっかくだから、アジア全体、それは、中国とかだけじゃなく、東南アジア地域まで巻き込んだそういった一つのムーブメントを作っていくのか―。 これ、後者をやることが必要で、その中で、日本文化が揉まれることで、日本文化がさらに成熟していくんじゃないのかなという話がありました。 





●第4テーブル 報告者  織田  篤 (堀場製作所法務部チームリーダー)


私どもは、外に出ていくために、何か特別なことを新たにしなければいけないか、というところから議論が出発いたしまして、そうじゃないでしょう、と。 やっぱり、日本が外国で受ける理由は、やっぱり日本らしいものが受けるのであって、そうであるならば、よいものであれば普遍的であると、自信を持って外に出ていくべきではないかという、ざっくりした前提ですけど、そういう風な観点から議論を進めました。 


で、まあ、具体的に特定の製品とかサービスを外に出していくということを題材に議論した方がいいだろうというので、何故か日本では人気で外国ではあまり人気がない「ウォシュレット」の例を中心に議論したわけです。 


なぜこれだけ日本では普及しているのに、外国では、それほど売れないのかというところですけれども、なかなか根本的なところでは核心には迫れていませんが、どうやって売っていくのがいいか、マーケッティングの方法もいろいろ議論いたしました。 ウオシュレットのよさがですね、外国人の方にはなかなか伝わっていないんじゃないか。 五感に訴えるというところを重視するべきであって、「新しい心地よさ」みたいなですね、そこをを新興国とか先進国の中間層のところに、もっともっとPRしていけばいけるんじゃないかと。 


そのためにどうするかというと、イメージ戦略が重要であろうということで、映画の印象的なシーンで使えないかとか。 ツーリストマーケッティングというアイデアもございまして、日本人が外国のホテルに泊まった時、みんなが、アンケート調査に「ウオシュレットをつけてほしい」っていうのを書くようにする。 これ草の根運動ですけども、結構効果があるんじゃないか。 それから、オリンピックの選手村に絶対入れると。 それで、世界のトップアスリートにウオシュレットのよさを体感してもらう。 それから、もう実績として、ボーイング787には導入されていることのようなので、こういう形をどんどん広げ、新しい価値を外国人に伝えるという意味で、ウオシュレットをもっと輸出していこうということで議論いたしました。 


髙田 公理 (佛教大学社会学部教授)


うまいことまとめていただきました。 あらためて考えてみると、ウオシュレットって、非常に微妙な技術がつめ込まれているんですけれども、ローテクなんですね。 おしりを洗うってローテクでしょう。 実は、この席には、森口さんという染色のプロがいらっしゃったので、ちょっと話をしてたんですけれどもね、日本には昔から藍染めという染色の方法があって、これ、アジアにはみんなあるんですが、近代以降、ドイツのインディゴに全部駆逐された。 これは鮮やかな青が出るんですね。 しかし、やや、味わいに欠ける。 今や、世界的に、日本を中心とした非常にローテクの、といっても、とても微妙な塩加減など高度な技術がいるんですけど、そういうもので生み出された藍染めの、なんとも言えない味わいみたいなものに対する評価が高まり始めている。 この辺りがかなり売り物なんじゃないか。 


それから、あの「お・も・て・な・し」の女性、何と言いましたかな、あっ、そうそう滝川クリステル、この言葉が大変ヒットしたんですけど、彼女がいわなかった事があるんですね。 「おもてなし」というのは、本来、「ともに持って何かを成し遂げる」という意味で、これ、16世紀の日本のお茶席でですね、武器商人と武士の親玉が出会って、そこで、お互いの命の安全を保証しながら交渉した時に、どういう意味が生まれたんかは知らんけども、ひとつの課題をともに持って、なにか新しいことを成し遂げるという、そういう、いわば非常に高度なコミュニケーションのプロセスを意味する言葉だったんですね。 それを、滝川クリステルは、非常に良いサービスを提供しますよというところに矮小化してしもた。 これ、きちんとわれわれ日本人の「おもてなし」に対する考え方「ともに持って何かを成し遂げるんだ」いうふうなことを伝えていくようなことを、これからきちんと主張していくべきなんじゃないかという話も出たんで、補足しておきます。 







クオリアAGORA事務局


みなさん、ありがとうございました。 では、平田オリザさんにクオリアAGORAにご参加いただいた感想と、先ほど、山口さんが「平田オリザは日本文明である」とおっしゃったことに対して、どういう見解を示されるのか、その辺も含めて最後にお話しいただきたいと思います。 




平田 オリザ (劇作家 演出家 大阪大学大学院コミュニケーションセンター教授)


初めてこの場にお招きいただきまして、最初から最後まで感動していました。 


いろんなことをお伝えしようと思って、駆け足になってしまったので言葉足らずになってしまったところがあったと思います。 まあ、先ほども言いましたけれども、日本の文化、ネーション、同質性の中で暮らしているのは、とても心地いいわけですね。 ぼくも、ヨーロッパで仕事をして日本に帰ってくると、ああ、ほんとにいい国だなと思う。 すごしやすいし、人情は熱いし、みんな親切だし、清潔だし。 でも、私たちが心地いいと思ってることが、海外の人にとってもすべて心地いいとは限らないわけですよね。 そこが問題なんだと思うんです。 で、それは、やっぱり、私たちの文化ってのが、残念ながら島国なので、あんまり揉まれてないわけですよね、国際社会に。 本論でも申し上げたように、ドイツとかフランス、スペインの文化ってのは、ヨーロッパという大きな流れの中で揉まれてヨーロッパ文明ってものをうみだしてきたんだと、ぼくは考えています。 ですから、ぼくが回答するとすれば、やはりこれからの日本文化は、東アジアの文明圏、あるいは文化圏の中で揉まれて、そして世界化していくのが筋道じゃないか。 山極先生がおっしゃっていたように、手っ取り早いのは、アジアからたくさんの優秀な学生に来てもらって、日本の学生たちに、自分たちが心地よいと思っている価値基準が、実は、時には、人によっておせっかいに感じることもあるんだよ、ということを数多く経験してもらうことは大事だと思っています。 


山口先生からは。 「日本文明」と過分の言葉をいただきましたが、多少それを受けてお話するとすれば、私の人格形成で大きかったのは、16歳、17歳の時に高校に行ってないで、ずっと世界中を旅行してたんですね。 これは主にアメリカとヨーロッパです。 そして、大学に入ってから、アジアの国に行こうと思って、韓国に1年間留学して、一応韓国語が喋れるんですね。 このことは、ヨーロッパで仕事をしていても非常に大きくて、まあ、文学とか芸術の世界では、ヨーロッパでは、ポストコロニアリズムといって、植民地支配の問題について、右か左かは別にして、そのことについてちゃんと喋れなければ相手にされないわけです。 これ知識人の必須の項目です。 そうはいっても、彼らは、アラビア語を話せるわけではないですね。 それで、「私は韓国語が話せるが、何か」というと、向こうは黙っちゃうわけですね、非常に強みなわけですね。 この韓国留学の1年間の体験は、ぼくの考え方みたいなものを非常に普遍的にした。 要するに、日本と欧米の対比だけではなくて、韓国というもう一つの基準を持っていることによって、多少なりとも、多くの方、ヨーロッパに行ってもアメリカに行っても、大学で授業を持っても、比較的、相対的に教えられる。 ですから、これからの日本の学生も、当然やはり欧米にいく学生が、減ったとはいえ多いと思いますが、短期でもいいので、もうちょっとアジアのいろんな国に行ってほしい。 そうすれば、いろんな文化にふれて、そのことによって日本文化の特殊性と普遍性が明らかになると思ってます。 ぼくも、そういう機会を、学生にも作ってあげたいと思っております。 きょうはどうもありがとうございました。 


まあ、何とか伝わったようで、満足と安堵でいっぱいです。  ありがとうございました。  





 


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