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第9回クオリアAGORA/ディスカッション



 


 

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ディスカッサント


堀場製作所最高顧問

堀場 雅夫 氏


京都大学大学院理学研究科教授

山極 寿一 氏


同志社大学大学院総合政策科学研究科教授

山口 栄一 氏


京都大学こころの未来研究センター長

吉川 左紀子 氏




山極 寿一(京都大学大学院理学研究科教授)


大変興味深く、同時に身につまされる話でもありましたね。 特に、最初の話はほんとうに考えさせられました。 どうも、私たちはしゃべりすぎているんですね。 これは、大学とか会社でみなさん日々体験していることではないでしょうか。


私も、学生の話を聞く時、どうやらこっちが話し過ぎているなあと感じることがあります。 学生から話を聞く時、相手の話を聞いているつもりなのに、先生、ちょっと黙っていてもらえませんか、といわれることがままあるんですよ。


きょうは、会社の中堅、上層部にいらっしゃるみなさんも、部下の話を聞かなければいけないことが多いので、結構考えさせられるものがあったんじゃないでしょうか。 沈黙っていうものが交じる時、つい私たちはしゃべりすぎてしまう。 実は、君のいいたいことはこういうことなんだろうと、先取りしていってしまうんですね。 一つ待ちを置いて沈黙を介して吐露されることは、実はその内容が重要であると同時に、お互いの気持ちを通じ合わせるのにもまた重要だということだったんですね。 吉川さん、どうでしょうか。



吉川 左紀子(京都大学こころの未来研究センター長)


ええ、そういうことです。 結局、時間なんですね。 どんどんせっかちな気持ちに世の中なっていっていまして、コミュニケーションを短い時間ですませたいという傾向にあり、価値観も、それが時間の節約でいいことだというふうになってきているんですね。 沈黙の時間をゆっくり取って話を聞くってことが、なかなかできないようになってきている。


特に、それは、弱い立場の人、大人と子どもでいうと子ども、上司と部下では部下、カウンセラーとクライアントならクライアントなんですが、その表現を聞き取る場合には、沈黙の時間はとても大事で、強い立場の人は、その沈黙の時間に対するトレランス、忍耐力を持っていることが必要なのですが…。



山極


相手が沈黙をしている時に、聞いている方はどういう表情、というか態度をしたらいいんでしょうねえ。 イライラしている感じが見えてはいけないだろうし。


吉川


そうなんですね。 それは本当に身体的なコミュニケーションで、弱い立場の人というのは、上の立場の人が何もいわなくても、聞く姿勢があるかどうかを敏感に感じとるんですよね。 もっと早くしゃべってほしいなと思っているなんてことは、すぐ伝わる。 例えば、学生は、山極先生が「この忙しいのに」と思っていることは、すぐ感じとるんです。 これは、ですが、その時ではなく、だいぶ経った後になって、あの時こうでしたね、なんていわれて、私も反省させられることがあります。


山極


時計を見たらいかん、といわれますね。 これは、俺は時間がないんだよということを、あからさまに表現しているわけです。 「あの時先生、何度も時計を見たでしょう」なんていわれた経験がある。



山口 栄一(同志社大学大学院総合政策科学研究科教授)


ところで、カウンセラーのVTRで気になったのは、本職のカウンセラーの人が被験者にタメ口をきいていましたでしょう。 あれを見て、ああ、これは多分、関西で撮られたものだなと思ったんですよ。 それで、ずっと考えていて、関西文化圏と関東文化圏でコミュニケーションの仕方は違うな、と思ったんです。 関西だと、タメ口は人と人との距離感を縮めるためのツールですが、関東だと、タメ口は上下関係を発生させるメッセージだから。


そこで突然思いついたのは、「探偵ナイトスクープ」という番組のことです。 関西では視聴率が20%ほどもある人気番組なんですが、関東では全く人気がなくて、5%程度。 けっきょくローカルテレビ局に追いやられてしまった。


これタメ口のちがいに似ています。 私は実験が好きなので、いくつかビデオに撮って東京の友人に見せてみましたが、全くつまらないという。 「土足で、こんなにズケズケ人のところに入って来てどういうつもりだ」と怒り出す始末。 しかし、関西の人に聞くと、これは、基本的に関西の通常のあり様だというわけです。


おそらく、コミュニケーションにおいて小さいころに培われた何かが、関西と関東で違うんじゃないか、と思いました。 そういう研究ってあるんでしょうか。



吉川


コミュニケーションの地域差ということですね。 具体的な研究例はすぐには思いつかないんですけれども、かなり多くの心理学者が実はとても関心を持っていますね。 作業療法も関東と関西とでは違うんですよ。 きょうお見せしたのは、典型的な関西のやり方だと先生はおっしゃっていましたし、学会でも、関東で見せる時と関西で見せる時には、見せ方を変えるということでした。 だから、コミュニケーションを理解する時の枠組みが、地域によってかなり違うんですね。 私自身、北海道で生まれたんですが、両親は関西なので、まあ、どちらも経験しているんですけれども、何がコミュニケーションで大事かというと、相手との距離の取り方なんです。


それは、物理的な距離でもありますし、言葉による心理的な距離でもあります。 だから、丁寧語から、そうじゃないため口に変わる、どういうタイミングで変えてもいいのか、その間の測り方、距離の測り方が、とてもコミュニケーションを心地よくするか、不愉快にするかの境目になると思います。 恐らく、関西弁のもっているイントネーションとかが、結構近い距離でのやり取りを前提にしたコミュニケーションなんですねえ。 だから、関東の人たちにとったら、異常に近いと感じて不愉快になるんでしょうし、関西の人が関東に行くと、ちょっと距離のある冷たいやり取りに感じてしまうんだと思います。


山口


なるほど。 でも私は、ビデオのカウンセラーのタメ口が嫌でした。 ちゃんと「ラポール」の形成ができてからタメ口を使ってほしい。 「ラポール」ができる前にタメ口をきくと関東の人間は、いやがります。 そんなこともあって、ビデオのタメ口がいやだなあと思ったんです。


吉川


うーん、あのやり取りを見て、タメ口のことをいわれたのは山口さんが初めてなんですよ。 いつも周りにいる研究者の人たちは、関西の人が多いからあまり気づかれなかったと思うんですが…。 山極さん、関東出身ですからいかがですか。


山極


もともと、馴れ馴れしいタイプの関東人ですから、あんまり感じたことはないですね。 むしろ、いつも、人から敬されている立場の、堀場さんはどうお考えですか。 人との距離を、逆に縮めようと努力されているんじゃないかと思うんですが。



堀場 雅夫(堀場製作所最高顧問)


タメ口って、「です、ます」のない、馴れ馴れしい話し方ってこと。 「お前、何しとんねん」とか「なんや、それ」ってタメ口? それあかんいうんやったら、関西では通じへんやんか。 ぼくは、100%タメ口ですから。 山口さん、まだ、そんな症状なら、相当関係は悪くなってるなあ…、とこれは冗談だけど。


それで、先ほど、沈黙の話が出てましたが、ぼく、すぐ結論出す方なので、ある人から、90秒は相手の話を黙って聞けよと。 これ、原稿用紙400字の分量なんですが、それでいいたいことが伝わってこないのは、そいつはアホやからなんですな。 最近は、90秒聞いたなあとわかるようになってきた。 それで、黙って聞いて、何いっているかわからんかったら「お前、何がいいたいんや!」と、タメ口で悪いですけど(笑い)、叱るんです。 これ、人の我慢は、60秒ぐらい。 それをあえて1.5倍にしているんであって、これで、自分のいいたいことが伝えられないようでは、我々の仕事はできません。


私とこの会議なんですけど、最近、日本人よりアングロサクソンの方が増えてしまったんですが、彼らは、会議のスピーチで日本人がよくやる「前置き」をとても嫌がります。 グローバルの商売で勝っていこうと思う時、人の話を沈黙で、何秒も聞いてるなんて人は、いない。 こんなんどないしたらいいの。 そんなんしたら、あいつアホか、耳悪いんかといわれる。



吉川


ちょっと、先ほどの話と、ビジネスの場面とは違いますね。


山極


ただね、会話のつくり方が西洋と日本では多分違うことが大きいですね。 日本語には主語がないとかいわれますが、文章書く場合、論文書く時は、西洋式にまず結論を先に書きます。 これ、日本と全然違う。


堀場


日本は、その前にごちゃごちゃ書くね。 沈黙も含め、グローバルの中では難しい。


山極


それで、吉川さんに聞きたいことがあるんですが、先ほどの「同調」ということなんです。 顔を向かい合わせていると、相手が笑えばこっちも笑うというように、自然に同調してしまうということだったんですが、これ人間に共通なことなんでしょうか。 実は、アフリカの遊牧民を調査に行った人の話を聞いたんですけど、遊牧民に共通語で話しかけるんだが、全然笑ってくれない。 こっちは、向こうが笑えばこっちも笑うということで親しくなろうとしても、遊牧民の人って絶対笑ってくれないんですって。 これには、ものすごい違和感をおぼえたらしい。 それで思うのは、いうならば、同調というのは、文化によって習得するものなんだろうか。 例えば、日本人だったら、相手としゃべっている時、ニコッとしたり、同調して相槌をうったりする。 これは子どものころからの教育によって身につけていくものなのか、ちょっと教えてほしいんです。






吉川


出会う前に、どういう心の状態にあるかということと、ものすごく深く関係があるんですよね。 遊牧民の人たちは、基本的に敵対するっていいますか、親しくならないということがデフォルトとしてあって、そして、自分の仲間として入れるって判断をしてから近い関係になると思うんです。 ただ、全然違うのは、ブータンに行きますとね、向こうから道を歩いてくる人に、こっちが笑うと、すぐニコっと笑うんですよね。 これには驚きました。 私たちは日本人ですから、服装からしても違いますし、向こうから見たら、あんまり親しくできない人物と思われても仕方ないのに、大学生や子どもも大人でも、目が合えば笑うということをやるんですよ。


それで、日本に帰ってきてから、これは、どういう状態になったらできるのかを実験しようと思い、私の住んでいるマンションのエレベーターの中で、毎朝、いろんな人にあった時、ニッコリ笑える心持ちはどういうものなのかいろいろ調べてみたんですよ。 そうすると、これから大学に行って仕事をしようという時には、笑うというモードにならないんです。 それが、もっと別の何というか、ゆったりした、仕事モードではない時なら笑えるということがだいぶわかってきたので、ブータンの人たちは、まあ、祈りの国ともいわれるのですが、常にこういう状態に自分の心を整えているのかなあと。 そんなわけで、遊牧民の人たちの「マインドセット」は、多分、基本的に、知らない人は敵である、というところから、出会いがスタートするんじゃないかというのが、私の想像です。


堀場


ぼくは昔の辻斬りやないですけど、「ニッコリ笑ってバッサリ斬る」というのをやっているんです。 例えば、社員が何かアホなこといいよるでしょう。 その時、バカモンとすぐにはいわず、「君の気持ちもわからんでもないが」といってちょっとニヤっとしてから、「ナンセンスや」というんです。 これいいですか、悪いですか。


吉川


ニッコリ笑うというところで、その後、怒鳴られても、傷つかないと思いますね。


山極


論理の世界と感情の世界は違うんだということを表しているんですね。


堀場


ええことしてるんや。


山極


ええことというより、どういうか、むしろ、うまいやり方なんですよ。 感情的にも嫌なのでダメだ、というのが普通です。 だけど、感情的にはいいと思っているけど、論理的にはダメだと…。


堀場


君の気持ちはわからないでもないけれど、そんなことできるかと、やるのがいい。


吉川


その、「君の気持ちはわからないではないけれども…」というところが、実はものすごく大事なんだと思います。 それが、ニッコリ笑うっていうところで伝わるんでしょうね。


山極


人間にとって、「気持ちは全然わからないけど、でもいいよ」といわれる方がいいか、「気持ちはわかるが、ダメだよ」といわれる方がいいか。


堀場


「気持ちはわからへんけど、ええのんちゃうか」というのは、いわれたらそら、ショックやわね。 人格無視や。


山極


吉川さんが今おっしゃったことで、とても大事と思ったんですが、文化、あるいは状況によって、人は表情を使い分けるのかなということなんです。 われわれは、日常、いろんな人と付き合う時に、むしろ無表情な顔を作ることを心がけていますね。 つまり相手と関係性を持ちたくない、持つことが失礼かもしれないし、今はその時ではないっていう時には、相手とできるだけ表情を合わせないように努力すると思うんですよ。 例えば、満員電車の中でね、いろいろ目が合っちゃった。 そこで、関係性を作りたくないから知らん顔をして、にっこり笑ったりしないでしょう。 そう努力してやらないと、これだけ過密に付き合いを持たざるをえない都市生活の中では、障害が出てきてしまいますからね。


吉川


多分、日本と欧米の違いっていうのは、日本人は、やはり基本的に心理的距離が近いところで生活しているんだと思うんですよね。 だから、必要以上にあまりニコニコしないというやり方で、パーソナルスペースを守っているんだと思いますね。


欧米では、エレベーターで人と乗り合わせた時、必ず一言二言話をする。 そうしないと、とても緊張した変な空間になってしまう。 欧米人は日本に来た時、誰もそういうことしないのでとても戸惑うようなんですが、日本人は、普段非常に近い対人距離の中で生活をしているので、必要ないんですね。 むしろ、エレベーターの中って非常に近いので、むしろ無表情でやり過ごす。 ただ、日本人って、欧米のホテルに行ってエレベーターに乗ると、不思議にやりとりできるんですね。 結構、コンテクスト(状況)によって使い分けている。






堀場


吉川さんのスピーチで、携帯やメールとかの発展で、フェイストゥフェイスなど、コミュニケーションの大事な部分がなくなってきているというお話があったのですが、メールの効用というものを最近感じることがあります。 講演を聞いてくれた人は、言葉で、「いいですね、素晴らしい話」だといってくれて、昔だったらそれで終わっていたんですが、次にその人からメールがきたので見てみると、その素晴らしかったところというのは、ぼくの思っているところと全然違う。 メールで書いてきたから、その人の理解度というものがわかっったんです。


また、新入社員にぼくのスピーチを400字のアブストラクトにさせてメールで送らせるのですが、それでも、何を聞いてたかよくわかる。 相手の理解の具合、また、こちらの伝え方の問題が明らかになるということでもあるんですが、結構、メールの効用というものを感じているんです。 口頭で聞くだけではわからないです。


山極


確かに、若い人とのコミュニケーションの壁というのはありますね。 さっきの吉川さんの最後の方の話であった、作業療法のことで出てきたことは、とても重要だと思いました。 それは、ベテランの療法士は、子どもに対して語りかけながら、実はお母さんを非常によく気にしている。 われわれが、バーとかでやることとシチュエーションがよく似ているんです。 ママさんにいろいろ訴えかけながら、実は本当に伝えたいのはこっちにいる人でね。


そういう第三者を常に介しながら、われわれは、大事なことを伝え合っているんじゃないのかなということを感じていたんです。 直接向かい合って話をするんではなくて、第三者でワンクッションおいて重要なことをいっているという場面を結構たくさん作っているんじゃないか。


堀場


それはぼくも絶対そうや。 ちょっとノータリンがいますわな。 なにかミスをした時、これを直接叱っても全然ダメなんやね。 一緒に上司を呼んで、この上司を徹底的に叱るんです。 これが一番効くんや。 自分の失敗で上司がこれだけ叱られるんやとわかり、この時初めてことの重大さを理解し反省するんやね。 ワンクッションというのはものすごくいい。


山極


これも共感のうまい利用の仕方ですね。 要するに、部下は上司が叱られるのを見ていて、怒られているのは自分の責任やと思うんでしょう。 そう思うからこそ、伝わってくるんですね。 また、それがわかっているから、上司は黙って叱られている。


堀場


まあ、確かに後で、なんでそれだけ叱ったかわかってるやろな、と本人がいなくなってから、そのことを上司には説明しとかんといけませんけどね。



 

高杉 政一(ケービデバイス社長)


ちょっと質問します。 作業療法の中で、何でお母さんが一緒におられるかというのが疑問なんです。 子どもが誰に向かって話をしているかというとお母さんなんですね。 私、何回か里親とか職親をやっているんですが、ほとんど、お母さんが子供の答えをいうたり、行動したりすることも見受けられんるんですけど、作業療法でなぜお母さんを入れているのか知りたいんです。


もうひとつ、山口さんの「タメ口」についてです。 私は京都で生まれて大阪で仕事をしているんですが、やはり距離感の問題だと思います。 私が堀場さんに、「○○ちゃーん」とかいうのは、ちょっとねということなんですが、堀場さんから私が「○○ちゃーん」と呼ばれたら、ものすごい親しみを感じてしまいます。 タメ口は、距離感で使っていい場合と悪い場合があるんです。 これ、山口さんの、援護射撃をしたつもりなんですが…。



吉川


えっと、多分ですね、作業療法士の方の認識として、子どもと一番長い時間一緒にいるのは家族、特に母親なんです。 ですから、多くて1週間に1度、少ないと1カ月に1回という貴重な1時間を、ああいう形で過ごすわけなんですが、だから、多分その時にすごくたくさんの情報を伝えたいんですよね。 それは、子どもに直接伝える、これは体を通して、やりとりで伝わるんですけれども、自分が発している言葉は、子どもだけに対するメッセージではなく、同時に母親に対するメッセージでもあるわけなんですね。 そうすると母親はこれを聞いて、家庭に帰ってから子どもとのやり取りの中で、それを応用することができるんです。


これは、作業療法に来ている母親がそういうことをいっているんです。 作業療法で子どもが楽しく遊んでいることを見るだけでも、母親にとってものすごい励みになるんですね。 何といっても、学校などでは遊べない子どもなんですから。 1時間の間、子どもがとても楽しそうに遊んでいる。 それをしっかり受け止めるプロがいて、その言葉のかけ方はとても参考になると、おっしゃっているんです。


高杉


ちょっと、私のいい方がまずかったんですが、子どもの反応がどうかということで、実は療法士を向いているんではなく、お母さんを見ながら反応したがるんじゃないかということを感じているので、そのことを聞きたかったんです。


吉川


それは、恐らく未熟な作業療法士の方が相手をした場合にはあることかもしれません。 その場の中で、誰が一番ドミナントな人であるかということが大事なんだろうと思うんですね。 で、あの作業療法士の方は、とても経験豊富で、お母さんもとても彼を尊敬していて、作業療法士がどういうことを子どもに対してするのかを見ながら学んでいる状況なんですね。 これがもし、経験の浅い、お母さんから見て不安を感じるような未熟な療法士が子どもの相手をしているとなると、その場の力関係が変わってきてですね、子どもは親を気にするようになるかもしれません。


だから、そこは、ダイナミックス―その場にどういう人たちがいて、その間にどんな立場上の関係が動いているか―がとても大きいと思います。 たまたま今回のケースでは、作業療法士の方が、ある意味で場を動かしているキーパースンになっている。 そこが、とても大事なことだろうと思います。 だから、子どもは完全に作業療法士の人を見ています。


山極


発達障害のことが出てきたので、花園大学の渡辺実先生がせっかくお見えになっていますので、ちょっと聞いてみたいと思います。



渡辺 実(花園大学社会福祉学部教授)


あの、すごく大事な問題だと思います。 吉川先生がおっしゃったように、療育については最近、ペアレントトレーニングとかですね、いろんな形で、お母さんにわかってもらおうと、特に、こういうお子さんの場合は母子関係があまりうまくないということが多いので、ベテランの先生はそういうことを気にされ、あえてこうした形をとっていらっしゃるのかもしれません。


吉川先生もいわれたように、一番いい先生は、やはり親なんですね。 そこで、親にいろんなことをわかってもらって、親子関係をもう一度構築し直してもらおうということで、あえてそういうことをされているということも考えられます。 子どもさんの側も気にしていて、見ているんですね。 ベテランと若い療法士の関わりの仕方など見ていて、お母さんがどういう態度をとっていくかで自分も変わっていく。 吉川先生のおっしゃった通り、その場のダイナミックスの中で動いていくんだと思います。


こういう場面は非常に難しいと思いますが、大事なことは、読み取ってくれる人がどういう人かということで、子どもの側にしたら、先生が自分の思いを読み取って代弁をしてくれている、と感じられることが大事。 そして、お母さんとしては、そこがなかなか読み取れないので、子どもがどういう思いをしているか、先生から伝えてもらうことは、うれしいことなんですね。


それと、もう一ついうと、この子たちは家とかで親御さんとこれだけ喜んで遊ぶ場面はないんですね。 こういうところで、目の前でこんなに喜んで遊んでいる姿を見て、そして、そういうことを親としても一緒にやってみたい、と、思う。 そうなれば、作業療法士としても成功なんだろうと思います。



山口


関連してうかがいたいのですが、お父さんの役割はどうなんだろう。 お父さんといえば、こないだの山極さんの、子どものゴリラがでっかいシルバーバックの周りで遊んでいる情景を思い出すんです。 あれって、多分、理想的なクラス=学級の姿に似ていますよね。 それで、ふと思いついたのは、学級崩壊しているところは、お父さん性が消えているんじゃないか。 学級崩壊しているところは、母性はあっても父性が足りないし、学級が成立しているところは、やっぱりお父さんがいるなあという感じがするんです。


これ、行動心理学というのか、そういうものでできるかと考えるんですが、学級で一人一人の子どもの表情とか仕草を見て、先生との共感関係があるかを測定する。 すると、学級崩壊しそうになっているクラスの全体の仕草の表情がわかってきて、それは、もしかすると先生のお父さん性に関係してるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。


吉川


お父さん性というのは、ほんとに大事ですが、難しいなあと同時に思っているんですね。 あのゴリラは「パパジャンティ(papa gentil)」という名前がついているんですね。 ジャンティというのは「優しい」という意味なんですけど、優しいだけのお父さんかというと決してそうではなくて、とても強いお父さんに、優しいという属性がプラスアルファーで加わっているんですね。 名前には、ジャンティだけで、しっかりした、頼りになる、強い、自分たちを守ってくれる、動じないお父さんであるってことは、言葉には表現されていないんだけれども、そのことは、みんなにベースとして共有されてあるんです。


学級という集団の中で、大きな声で指示をしたり、生徒の声を聞かない態度の先生がいたりした時、一見強そうに見えるかもしれないけれども、恐らくとてもパパジャンティではないですよね。 では、どうすれば、そういう場ができるのか、ということに関しては、こうすればこうなるというふうにはいえないところがあるので、まだ、これからの課題なんです。 山極先生どうですか。




山極


さっきの話でいえば、堀場さんのいったことそのままなんです。 「にっこり笑ってダメ」という。 オスのゴリラは、子どもたちを嫌いではない、愛しているんだけど、「ダメなものはダメだ」と壁になるんですよね。 これで、ルール、規則、生きるために必要なことを子どもたちはおぼえていく。 絶対、お父さんの「ダメ」が必要なんです。 ところが、お母さんはダメっていっても、「甘えられる存在」なので、ダメにならないんですよ。 そこが、お父さんとお母さんの役割の違いと思うんですね。



吉川


お父さんの役割をするお父さんが、日本には、なかなかいないような気がするんですが。


山極


だからこそね、地域社会というのが必要なんですよ。 ゴリラのようにすごい体力を持っていて、常に、倫理と論理を体現するような存在に、人間のお父さんはなれませんから、それを地域で協力してやっていくことなんだと思うんです。 この前にもいいましたが、相反する二つの論理―お返しを期待しない奉仕の関係、これは家族ですが、しかし、家族も外にでれば、きちんとお返しをし合わなければならない、対等な付き合いのためにはルールを守らなければならない―これを、両方共わかって生きていくのが人間であって、これを子供たちに教えなければならない。 これは地域がやっていたのだけれど、今それが弱くなっているんだと思います。


吉川


最近の変化なんですけど、大事なものが消えていっているなあと思うものに、いとことかおじさんとかおばさんとかの存在があります。 つながっているんだけど、ちょっと家族より距離のある他者という存在が、以前は、ルールを教えたり、親が言えないことを伝える役割を果たしていたと思うんです。


こういう中間の距離の他者という人たちは、人間のいろんな意味で教育者の役割をしたり、親が「表」しかいえない時、「裏」の論理を教えてくれたり、山極さんがおっしゃった地域社会のような役割も果たすなど、二つの側面からなっている世の中の、大事な要素のうちの片一方を担う役割を持っていたような気がするんですよ。 こういったつながりがなくなり、地域社会の力も弱くなってしまい、表の論理ばかり、あるいは、裏の論理ばかりで単純に物事を理解するような、そういう浅いというか、シンプルな考えでしか人のことがわからないような社会になってきてるのかなあと思っています。


さっき堀場さんがおっしゃった「ニッコリ笑ってバッサリ斬る」みたいな相反するような二つが同時につたわることが大事なんだろうけれども、今は、その一方だけしか伝えないという状況になっているので、だからコミュニケーションがうまくいかなくなっているのかなという気がしています。


山口


私、パパジャンティ、という言葉にとても触発されたんですけど、フランスにいた時、日常生活の中で「merci beaucoup」と「tres gentil」という4単語を、必ず、1日、5回は使います。 「tres gentil」っていう言葉がひとつ評価軸になっているんですね。 特に男に対して使うんですが、フランス社会、ヨーロッパは、基本的にお父さん社会で、お父さんなんだけど「優しい」と、これ、フランス社会をより上手に表現しているなあと思います。 英語国民は「very kind」とはいうけれど「very gentle」とは言わない。 そして日本には、どちらにも当たる表現がないですね。


山極


「merci」で思い出しましたが、昨今、コンビニで気になるのは、「おおきにどうもありがとうございます」だったかな、なんだか丁寧すぎてどうも、と思うことが多いですね。 やっぱり、営業の人はご苦労だと思うんですが、今の日本人のコミュニケーションの仕方が変わってきたことと、地域の違いをどう考慮して相手と当たったらいいのか。 モデルがないんですよね。 その時に何を指標にしたらいいのか。 多分、フランス社会もアングロサクソンの社会も変わってきていると思うんですが…。 フロアから何かありますでしょうか。



谷本 親伯(谷本 親伯)


沈黙もコミュニケーションだというお話で思い出したことがあります。 私が、アメリカにいた時、コーリン・パウエル元国務長官の話を直接聞く機会があったんですね。


冷戦たけなわだったんですが、旧ソ連のゴルバチョフさんが米国にラブコールを送ってきて、レーガン大統領がそれに応えようとする時、パウエルさんが、それを特使として対応するんです。 それでモスクワでゴルバチョフさんに会うと、大統領が全然応えてこなかったということで顔を真っ赤にして怒っている。 それで、10分間も沈黙が続いたというんです。 その後、突然笑い出し、それから、トントン拍子で話は進んだということでした。


それで、ちょっと変に飛躍したことを聞くかもしれませんが、今の日中のやりとりのことなんですけど、集団のコミュニケーションはどうやったらいいんでしょうか。 個人の場合には、ああいう作業療法で改善を目指すわけですが、日中は、今、集団と集団のコミュニケーションがどこかで、これが大きく狂っていると思うんですよね。 このコミュニケーションの状態を改善していくには、どういう方法があるでしょう。



山極


これ多分、われわれのアイデンティティの問題だと思うんですね。 相手を認めて話をする時、今ある出来事を抜きにして、全く白紙で接することはできない。 これ人間の特徴で、相手の素性がわからないでは話ができないというのと一緒です。 その素性の中に、今ある敵対関係とか自分が関与していなくても、そういうものが前提になってしまう。 これは抜きがたいものです。 多分これを避けては、人間は通れないと思いますね。 私とあなたは日本人と中国人であるけれども、そうではない私とあなただと納得するには、時間がいるんです。 そのためには、お互いが近づかなくちゃいけない。


さっきの、パウエルさんの話もそうで、沈黙と怒りの時というのは、お互いがわかり合える所まで上り詰めるための時間だったと思いますね。 そこで新しい、お互い背負っているものを乗り越えて話ができる間柄になって、笑えたのではないか。 勝手な解釈かもしれませんが…。


谷本


それを可能にするのは、何なのでしょう。


山極


それは、ちょっとわからない。 これは、吉川さんに聞きたい。 私も同じような経験をしたことがあるんです。


吉川


10分間沈黙をできたパウエルさんの胆力ってすごいんだと思うんですよ。 ゴルバチョフさんは、自分がものすごい怒りを表現していることはわかっていますよね、それに対して相手がどう出るかというのを見た時に、逃げもせず抗弁もせず、沈黙を耐えたわけですね。 10分も。 その時、自分の思いが、はじけたんじゃないかと思います。 ものすごい怒りがその10分間で、相手に受け入れられたという確信があったんじゃないか。 想像ですけど。 これがパウエルさんでなく、ちょっと例えば言葉で物事を解決するようなタイプの人が行っていたら、こうはならず、もっと怒りは大きくなっていたんじゃないかと思うんです。


山極


私の似たような経験というのは、ガボンでのことです。 私たちがやっているプロジェクトに対してすごく大臣が怒って、そうですね、20分ぐらい怒り続けていました。 こりゃ、説明調でも、喧嘩腰でも話をしたら多分ダメだろうと思い黙って待った。 それで、その大臣が黙ったところで、こんな苦労を私たちもしてきたんですと話しかけたら、何と、すごくわかってくれたんです。 JICAの人は、最初ハラハラしていましたが、私は、言葉を完全に理解したわけではないけど、怒っている様子から見て、これは大丈夫だな。 計画をぶち壊しにするような人ではないなということがわかったんです。 それは、感じるものだと思うし、吉川さんが、パウエルさんは我慢したねといったのは、パウエルさんも大丈夫だと感じてわかっていたんじゃないかな。


谷本


瞬間的な会話でも、すごくコミュニケーションできたという満足感が得られることがあるじゃないですか。 それはいったい何かということなんですが、それはインテリジェンスの問題、あるいは文化の問題かもしれない。 そこで、最近の大学生が会話を保てないというのは、やっぱりある意味でインテリジェンスの問題があるんじゃないか。 私も含め、大学がインテリジェンスを高めようというふうな意識を強くお持ちになっているのかな、と。 私は、やっていこうと思っているのですが…。


山極


それもインテリジェンスですよ。 そういうことを理解し、そういうものをみんなが取り入れて行くのもインテリジェンスです。 今そういった教養というものがきちんと身についていない。 それが、うまく大学では伝えられていない。


谷本


でもわれわれ、大学で教えているじゃないですか。


山極


それをいわれると、ちょっと辛い。


塩田


大学の先生自身に問題がある。


吉川


教育ってほんとうに何だろうかと思うんですが、例えばブータンみたいな国に行きますと、まだ発展途上だし、日本の方が便利だし、優れたところもいっぱいあるんですが、ここには学ぶことがたくさんあると最初に行った時、感じたのです。 しかし、帰ってきた時、それを理解するのはとても難しい、伝えることは今でも難しいと思うので、たくさん行ってもらおうという方針に切り替えたんです。 それで、教育というのは何かと考えた時、不思議なもので、学生は、教えようと思ったことはあまり憶えてくれないんですね。 教える方の意図とは関係なく、教えようと思っていないのに、学生たちはいろいろな場面で語ったことなど、いろいろな話からいろいろなことを学んでいるんです。 こういうことを教えたいと、一生懸命やることはもちろん重要だけれど、あとは、教わる側に対する信頼しかないと思うんですよ。


日本からたくさん人がきて国を歩き回るのは、ブータンの人々にとっては迷惑かもしれないけれども、そこに行くことでわれわれがたくさん学ばせてもらっているんだということがあれば、寛容に辛抱して見せてくれる。 それに対して、われわれは何のお返しができるかというと、逆に向こうの人たちを日本に呼んで、ネガティブなものも含めて、何でも学んでもらうことだと思うんです。 教育は学ぶ側が主導権を持っているものなんだと考えるのです。


堀場


ブータンで一番感じ入ったことは何だったの。


吉川


一番ショックを受けたのは、子供がみんな元気でかわいいということでした。 あと、お年寄りがとてもゆったりといい感じで暮らしているということですね。 ほかのアジアのいろんな国に行って、ここはとても子どもが暮らしにくそうだし、ここで年をとるのは大変だなと思うことが多い。 でも、ブータンは、全く違います。 小学校に通う子どもの姿、学んでいる姿、お寺にいるお年寄りの佇まいというのが、非常に羨ましいと思いました。


堀場


それはなぜなの。


吉川


それはわからないんです。 そこが一番知りたいところで、なぜ、ほかのアジアでできていないことがブータンではできているのか。 ネパールとかとは様子が全然違う。 不思議なところで、なぜか知りたいところなんです。 子どもたちは往復4時間もかけて学校に通うんです。 こんなエネルギーを与える国は、すごい力があるわけで、日本にとっても大変参考になると思います。


堀場


でも、なぜかわからなかったら、へーすごいなあ、と驚いて帰って来るだけになるんやないですか。


吉川


いや、いくつか仮説はあるんですよ。 なんといっても仏教国で、ブータンで一番祈らないのは大学生なんですが、それでも1日30分は祈る。 お坊さんは10時間も祈る。 これは統計でわかっています。 お年寄りの生活も祈りを中心に構成されている。 輪廻転生、自分の来世を信じているし、動物を大変大事にするんですね。 いじめるとあれはあなたのおじいさんかもしれない、と叱る。 そういう社会なんです。 このように、ブータンのすごさの理由はどこにあるのか、推測ですがいくつか思い当たるものはあるんです。


山極


どうも話はつきそうにありませんが。 ここらで、ワールドカフェに移りたいと思います。 それでテーマなんですが、吉川さんの話に基づき、「人の付き合い」ということにしたいと思います。 人の付き合いで困ったと思うことは何か、どういう付き合いがいいのか、それをもたらすためにどうしたらいいのかということで、どうでしょうか。

 

 


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