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第5回クオリアAGORA 2015/西欧文明からの転換~



 


 

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第5回クオリアAGORA 2015/~京都から2030年の未来をつくる~「西欧文明からの転換‐アジア太平洋文明を考える」/日時:平成27年11月26日(木)18:00~21:00/場所:京都大学楽友会館会議場-食堂/スピーチ:安田 喜憲(立命館大学環太平洋文明研究センター長/ふじのくに地球環境史ミュージアム館長)/【スピーチの概要】近代産業革命により物質的豊かさを享受してきた私たちですが、一方で持続可能な社会の実現という、大きな課題を突き付けられています。 環境考古学のパイオニアで、長江文明の存在を実証するなど文明の盛衰と自然環境との関係を研究されている立命館大学環太平洋文明研究センターの安田喜憲センター長を迎え、西欧文明に代わる新たな文明を切り拓くための方策を考えます。 /【略歴】安田喜憲(立命館大学環太平洋文明研究センター長 国際日本文化研究センター名誉教授)1946年三重県生まれ。 74年東北大学大学院理学研究科博士課程退学、理学博士。 広島大学総合科学科助手、国際日本文化研究センター教授、東北大学環境科学研究科特任教授などを経て、13年から現職。 環境考古学という新たな分野を、日本で最初に確立。 主な著書に「環境考古学事始」「森のこころと文明」「森林の荒廃と文明の盛衰」など多数。 16年4月、静岡市に開設の「ふじのくに地球環境史ミュージアム」館長を務める。 




≪WEBフォーラムはコチラ≫

 


長谷川 和子(京都クオリア研究所取締役)


世界中を震撼させた「3・11同時多発テロ」、そしてつい最近の「パリ同時多発テロ」と、テロへの危機が世界中に広がっています。 私たちは戦後70年、豊かで幸福な毎日を過ごすことができましたが、一方で大きな格差を生み出してきました。 この格差を象徴するテロを克服し、次の時代に向けてどのような価値観を導き出したらよいのか、第5回クオリアAGORAでは、立命館大学環太平洋文明研究センター長の安田喜憲さんをスピーカーにお迎えしました。 


安田さんは、国際日本文化研究センターにおられた時に、世界の4大文明、中国といえば黄河文明なのですが、稲作中心の長江文明の存在を明らかにされました。 また、富士山と三保の松原が世界遺産に登録された静岡県で、来年春オープン予定の「ふじのくに地球環境史ミュージアム」の館長として超多忙な日々を過ごされています。 環境考古学のパイオニアである安田さんに、西欧文明に代わる新たな文明をどう切り拓いていったらよいか、を考えるヒントをいただきたいと思います。 



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スピーチ 「西欧文明からの転換~アジア太平洋文明を考える」

≪安田さん 資料ダウンロード (1.47MB)≫


>立命館大学環太平洋文明研究センター長/ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 安田 喜徳さん

立命館大学環太平洋文明研究センター長
ふじのくに地球環境史ミュージアム館長

安田 喜徳さん


1、勤労感謝の日


一昨日、11月の23日は、「勤労感謝の日」ということで休日でした。 では、お年寄りの先生方はいいです。 会場の若い人に聞いてみようと思いますが、この元になったのは何の日だか分かりますか。 え、わからない。 勤労感謝というのは、労働者を称える日でしょう?なら、何でこの日なのかなあ。 メーデーが5月1日なのだから、この日にすればいいじゃない。 何で11月23日が勤労感謝の日なのか。 ご存知のように日本は太平洋戦争に負けて、そして、アメリカが日本にやってきて、彼らは、日本の神道が第二次世界大戦を起こした元凶だ。 だから、神道の中心となるような世界観を潰そうと。 で、実は、11月23日というのは、その日本の神道にとっては最も重要な日なのです。 これ、何の日かと言うと「新嘗祭」が行われる日なんです。 


もう、若い人は、新嘗祭といわれても、何もわからないと思います。 実は、ぼく、東京でですね、立命館大学の創立者である西園寺公望にちなんだ「西園寺塾」というのをやっておりまして、それ、どういうものかというと、40代から50代の、10年後ぐらいにはその企業の社長になるような人を集め、講師を呼んで勉強会をしているんです。 それでびっくりしたんです。 勤労感謝の日は、戦前は何だったかを聞いたら、誰も知らない。 アメリカのレーバーデイを真似したものかと思っていたというようなことをいうんです。 日本の神道では最も重要な日なんです。 秋の終わりに、なぜ新嘗祭があるかというと、新米が穫れるでしょう。 その新米を神様に捧げ、豊穣を感謝し、来年の豊穣をお願いするわけです。 そういうお祭りです。 11月の21、22、23には西園寺塾の京都のエクスカーションで、上賀茂神社の田中宮司と乾権宮司のおはからいで、塾生を連れて上賀茂神社に行きました。 上賀茂神社では、新嘗祭の祭祀が行われるんです。 その時、宮司さんが神様を呼んで、その年穫れたお米、野菜、魚、山で捕れたヤマバトやキジですね、そういうものをお供えします。 


実は、人間は生きるために食べなきゃなんない。 その時、炭水化物だけでなく、人間はタンパク質を食べなければいけない。 そのタンパク質を何で摂るか。 私たち日本人は、タンパク質を主に魚介ですね、魚と貝。 それと、野や山のイノシシやシカ、キジなんかから頂いているわけです。 人類の歴史には、それと違いもうひとつ、肉からタンパク質を摂る人たちがいます。 ヒツジやヤギを食べ、ミルクを飲んでタンパク質を摂っている。 炭水化物はパンです。 そういう人たちをぼくは、「畑作牧畜民」と言っていますけれども、つまりそういう人たちがやっているライフスタイルが、現代の文明、今の世界を席巻しているわけです。 


ぼくは、ノーベル賞を出しているスエーデン王立科学アカデミーの会員です。 ノーベル賞を渡されるグスタフ国王は、とても環境問題に熱心で、毎年、1週間から10日ぐらい、世界の一流の研究者をお呼びになって、いろんなところで泊り込んでシンポジウムを開催されています。 私は、グリーンランドとストックホルムの北にあるハイランドというところに2回招待されました。 朝晩、食事も国王と一緒に食べるんですけど、ぼくは、その時、国王に、「天皇陛下は、田植えや稲刈りをされる」というお話を紹介したのです。 すると、国王は、とても驚いて「天皇が田植えや稲刈りを…」ってすごく驚かれた。 その驚き方が強い印象に残っており、そのことで、ぼくは「畑作牧畜民のリーダーは、労働をしないんだ」ということを、初めて知りました。 労働は庶民がするもの。 これが、畑作牧畜民なのです。 稲作漁撈民のリーダーである天皇は、田植え、稲刈など労働をご自分でなさるということなんですね。 その日本の神道の最も重要な日が、11月23日の新嘗祭なんです。 これが、日本ではずっと続いていたんですけども、1945年、戦争に負けたら、日本人はギブアップして、勤労感謝の日になってしまった。 


もう、若い人は誰も知らない。 若い人ばかりでなく、ぼくらも、高田先生、長谷川さんなんかもそういう世代なのだろうと思いますけど、アメリカナイズされた「横文字世代」ですね。 横文字で書いたものは何でも正しい、縦書きのものは間違っていると思っていたんです。 きょう、立命館大学に、たまたまね、アメリカの大学を卒業した女性が秘書をしてくれているのですが、やはり、新嘗祭を知らなかった。 「こんなすばらしいお祭りが日本にあったのか。 カボチャなんかが穫れたことをお祝いするハロウインと同じだ。 収穫祭ハロウインはこんなに広まっているのに、日本人はなぜ新嘗祭を祝わないのか」と言っていました。 まあ、これまでは、これをおかしいと思わなかったんですね。 それが、最近、おかしいな、戦後70年経って、やっと気が付き始めたんですね。 




2、稲作漁撈文明の価値の再発見


それともうひとつね、上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神っていいますが、そのお祖父さんは八咫烏なんです。 八咫烏って、この近くの熊野神社の旗とかに描かれている3本足のカラスです。 お米とタンパク質に魚介や野生の動物など食べる「稲作漁撈民」は、太陽を崇拝したんです。 その最高神は天照大神ですね。 われわれの太陽の神様は女性なんです。 ところが、例えば中国の畑作牧畜民が作った黄河文明の太陽神は男です。 もっと知っているのは、ギリシャ神話。 太陽の神はアポロンですね。 これも男です。 戦後日本では、小学や中学でギリシャ神話は教えても日本神話は教えなかった。 一生懸命、ギリシャ神話のことを覚えたけど、その隣で太陽に手を合わせているお祖父さんのことが、何でそんなことをしているのかわからなかった。 それが、ようやくこの歳になって、やっとその重要さがわかってくるんだけども…。 まあ、戦後、とんでもない教育を受けてきたということなんですよ。 


ですから、日本人のルーツとなる新嘗祭を、宣伝する人はあまりいないんですけど、で、ぼくが宣伝せなあかんと思ったのが、さっきの八咫烏。 何で足が3本あると思いますか。 日本のサッカー協会のシンボルにもなっていますが、初代の会長が熊野神社の関係者だったんです。 これは球をよく蹴れるからというわけじゃないんですよ。 実は「三」というのは、稲作農耕民の聖数なんです。 「日本三山」、「日本三景」っていうでしょう。 これ、聖なる数なんです。 なぜか「一」は孤立、「二」は対立、そして「三」は和をなす。 和のシンボル。 だから、われわれ「稲作漁撈民」にとって聖なる数として重要なんですよ。 こういうこと、みなさん知らないですよね。 


それで、上賀茂神社は、奈良の葛城山から来た。 そして桂川と鴨川が合流する淀に来て、それから、鴨川の上流に行ったんです。 それを持ってきたのは秦氏で、静岡県知事をしている川勝平太さんの御先祖ですね。 そのルーツが、実は雷の神という。 つまり、神武天皇が、葛城山にやってきた時、八咫烏の案内で行ったところです。 この葛城山は、日本の山岳信仰の開祖の役小角という行者が修行をしたところなんです。 ぼくは、もう長い間、日本の山岳信仰は長江文明がルーツだと考えているんですけれども、そのことが、実証されるようになってきた。 


思えば、とんでもない世界史を勉強してきたんです。 きょうは、若い人もいることですので、ちょっとこの話をしたいと思います。 私は、広島大学で42歳まで助手で、万年助手って覚悟を決めていたんです。 それで、日文研に来て、ぼくの人生が開いたんですよ。 実は、私は、それまでは、ギリシャやローマの畑作牧畜民の研究をしていた。 ご他聞にもれず、ギリシャ、ローマが文明のルーツだ。 これをやらなきゃいけないと思っていたんです。 ところが、日文研に来て、梅原猛先生から「西洋のことばかり見ていては、人類史の本質はわからない。 東洋の稲作の勉強をしろ」と言われた。 東洋の稲作って言われてもね、ぼくは小さな時から田植えもしたし稲刈りもして、何にも珍しいことあらへん。 そんなもの、何でいまさら研究しなけりゃいけないんだ、と最初は思いました。 でも、梅原先生は、中国へ行けという。 それで、最初はいやいやだったんです。 でも、日文研にとってもらったから、反抗はできないから、仕方なく行った。 


(図1)


この写真が、(図1)「城頭山遺跡」です。 6300年前の遺跡です。 円形の城壁があるでしょう。 後ろには溜池があって稲作をやっている。 今でも、ここには人が暮らしていて、緑色の風景です。 ところが、この(図2)「肥沃な三日月地帯」と言われ、みなさんが世界史で習ったところの写真です。 岩山ばかりのところです。 これが世界史で憶えた「肥沃な三日月地帯」の現在の風景です。 人類文明のルーツは、メソポタミア、インダス、エジプト、黄河の四大文明だと教えられた。 それは、パンを食べてミルクを飲んで肉を食べる畑作牧畜民の文明ですよ。 それが、人類文明のルーツだと教えられた。 


(図2)


図2が「肥沃な三日月地帯」の現在の風景です。 「肥沃な三日月地帯」という名前が付いているので一度はおとずれて見たかった。 でも世界史の先生が言ってることは嘘でした。 こんな岩だらけの大地がとても肥沃な三日月地帯とはとてもいえない。 


ヨーロッパ人はパンを食べてミルクを飲んで肉を食べていますから、それと同じようなライフスタイルを持っているメソポタミア、インダス、黄河、エジプトを人類文明の出発だと指摘したというのは理解できるわけです。 でも、そんな世界史の授業では、西洋文明の受け売りにすぎず、稲作漁撈社会 は理解できない。 


マルクスは稲作漁撈社会に代表される社会を「アジア的生産様式」と呼んだ。 稲作漁撈社会を封建的で遅れた社会と裁断したマルクスですが、その『資本論』をどこで書いたか。 大英帝国の大英博物館の図書館です。 でも、マルクスは、東南アジアの稲作漁撈社会さえ見ていない。 日本にはもちろん来ていませんな。 東南アジアの稲作漁撈社会さえ、いっさい触れていないんです。 そんな稲作漁撈社会の本質を知らない人間が書いた『資本論』を金科玉条のようにして、われわれは学園紛争をやったんです。 それがわれわれの世代ですよ。 ほんとに、われわれの人生というのは、強い欧米文明の影響力に圧倒された時代を生きた人生だった。 それに反対するものは、私なんかのように42歳まで助手をしなきゃいけない。 そんな社会でした。 



3、森里海の命の水の循環を維持した


(図3)


稲作漁撈民が何を崇拝したかというと、それは玉です。 金銀財宝は余り崇拝しない。 どうして玉を崇拝するのか、最初よくわからなかった。 例えばこの図3の画像ですが、これ、直径3センチです。 鳥の羽根の飾りをつけたシャーマンが、虎の目に触っているんです。 これ直径3センチですよ。 こんな細かい細工、しかも硬い石に浮き彫りになっている。 こんなものが5千年前にできたなんて、誰も思わない。 多分、「漢代」だろうな、と中国人の考古学者も思っていた。 ところが、放射線炭素年代測定では、5千年前、6千年前ということになったんです。 メソポタミア文明やインダス文明と同じものだということが明らかになった。 しかも、体には渦巻紋様が描いてある。 そして、足は鳥の三本指の足です。 八咫烏と一緒です。 「三」が整数だということわかる。 つまり、アメリカインディアンの人と同じように、鳥の羽根を飾った帽子をかぶっている。 どうして鳥を崇拝したか。 鳥は天と地を往来するからです。 稲作漁撈民にとっては天地の結合が重要だったのです。 


では、玉は何のシンボル? これがわからなかった。 10年間、わからなかった。 それで、長江文明の神話に「山海経」というのがある。 黄河文明の神話は司馬遷の「史記」です。 長江文明の神話は「山海経」です。 そこでそれを読んでみた。 すると「何々山には何々玉が取れる」と。 玉が32も書いてある。 ああ、そうか、「玉は山のシンボルなんだ」そう気づいた時、もうすべてがわかった。 


一生懸命思い悩んだりした時、突然ある時、ひらめくことがある。 「長江文明の人々はなぜ玉を大事にしたのか」、その答えが啓示のように、やってきたのです。 アテネオリンピックが開催された2004年でした。 巷では「栄光への懸け橋」という歌が流れていました。 


お米を作るのには水がいります。 水は山から川となって流れてきます。 豊穣儀礼の時、その大切な山を里には持ってこれないので、その代わりに、川原でとれる石【玉】を持ってきたのではないか。 その玉に加工して豊穣の儀礼をおこなったのではないかと考えた。 そうしたらね、すべてが解けた。 稲作漁撈民は、森里海の「命の水の循環系」を大事にした。 これが、もう一つ私が、皆さんに、きょう知ってもらいたいことです。 稲作漁撈民の神話である日本の神道が大事にするものは、「柱」です。 これも天と地を結合するものです。 山も柱と同じように天地を結合している。 例えば会津磐梯山、東北の山岳信仰のメッカですけれども、僧・徳一が山岳信仰のメッカにしたこの会津磐梯山は「磐梯子(いわはしご)」でしょう。 鳥も天地を往来する。 つまり、天地を結合するということが稲作漁撈民にとっては非常に重要なことだったのです。 


(図4)


図4は玉で作った玉琮(そう)というんですけど、全部、丸と四角の結合となっている。 これは、古代の中国の天文訓の中に「丸は天、四角は地」と書いてある。 つまり丸が天で四角が大地というのは中国人にとって当たり前のことなんです。 だから、玉琮(そう)がいつも丸と四角の結合になっているのは、天地の結合を現しているんです。 天地の結合こそが稲作漁撈民の重要なことであって、それが、森里海の命の水の循環系を維持するうえで大変重要な要素なんだということが見えてきた。 


琮(そう)がいつも丸と四角の結合になっているのは、天地の結合を現しているんです。 天地の結合こそが稲作漁撈民の重要なことであって、それが、森里海の命の水の循環系を維持するうえで大変重要な要素なんだということが見えてきた。 


日本というのは列島ですけれども、生物の多様性に満ち溢れているんです。 生きとし生けるものの命に溢れているわけです。 こんなに小さくて、先進国で、ものすごい文明の高さを維持しながら、生きとし生けるものの数が、圧倒的に多い。 それはどうしてか、それは命の水の循環系が維持されているからです。 



4、富士山が世界文化遺産になった


富士山が世界文化遺産になりましたね。 富士山を世界文化遺産にする時、ヨーロッパ人から、「富士山はいいとしても、45キロも離れた三保の松原はいかがなものか」ということをいわれた。 こりゃ、東洋の文明の本質を理解してないなあと思いましたよ。 それで、この二つは命の水の循環でつながっているということを一生懸命アピールしたんです。 三保の松原には「羽衣の松」というのがあります。 富士山から天女が三保の松原にやってきて、そこの松に羽衣をかけていった伝説なんですが、これが、富士山と三保の松原のつながりを象徴しています。 


2013年の6月22日にカンボジアのプノンペンでその世界遺産の最終会議があって、ぼくは、前のカンボジア大使に「何とか、三保の松原も世界遺産にしてください」と頼みに行ったんです。 そうしたら前大使は「安田さん、三保の松原も遺産にしてくれというと、富士山まで影響受けて、もし、富士山が世界遺産にならなかったら、あなたは日本に帰れませんよ」って脅された。 大体,「ICOMOS(国際記念物遺跡会議)」っていうのは、世界から1500人ぐらい大使をはじめ関係者が来てるんです。 だから、会議が長引くと、もう止めにしましょうということになるんです。 でも、ぼくは屈しなかった。 そうして、会議が始まったんです。 そしたらね、これも、日本人が、いかに自分の文明のルーツに自信がないかという表れなんですが、申請は最初「富士山・信仰の対象と芸術の源泉」という副題をつけていた。 ところがね、文化庁のお役人が「信仰ってのは、まずいんじゃないか。 ICOMOSのあるUNESCOは一神教の国が大半だから、この副題はとった方がいいんじゃないか」ということで、富士山だけで申請した。 そしたらね。 「どうして、副題をとったんだ」と各国の大使が言うわけです。 まず、「それを復活しなさい」というところから始まった。 


実は、その時の会議の議長になるカンボジアのソク・アン副首相を、06年ごろからからぼくはよく知っていて、それで、彼が議長になるというので、ぼくは何とか三保の松原も世界遺産にせないかん。 それで早速手紙を書いたんです。 世界遺産のアンコールワット、皆さんご存知ですね。 これ、王様が住んだアンコールトムと対になっています。 アンコールワットって、何の神様を祭っていると思いますか。 東側にプノン・バケンという山があるんです。 その山の神を祭っている。 だから、王様は毎年1回、その山の磐蔵に行ってお祈りをしたんです。 王様の住むアンコールトムとアンコールワットは近接しているんですが、その間に大きな環濠がある。 ここは、11世紀の段階で世界一人口が多かった。 だから、もう、環濠の水は当然、ドロドロに汚れていると思っていた。 ところがね、たまたま、2007年に、環濠の一部が干上がり、その土を採って珪藻とか昆虫とか分析したんです。 それ、森勇一先生が分析されたんですけど、森先生はこういうんですよ「安田先生、この水は飲もうと思ったら飲めますよ」と。 これには、びっくりしました。 世界一人口が多いところの環濠です。 どろどろのうんちで汚れていると思った。 ところが、それが飲もうと思えば飲めるレベルだった。 これは、稲作漁撈民が、森と里と海の命の水の循環をいかに大切にしたかというシンボルと思った。 


それで、そのことを手紙に書いて、ぼくがSpringerというところから出した「Water Civilization」という本と一緒に送った。 手紙には「この戦いは、西洋と東洋の闘いだ」と。 そして、「45キロ離れた三保の松原を世界遺産にしないというのは、西洋の軍門に下ることだ」と書いた。 これでもう、会議が始まる前に方向は決まっていたと思います。 こうして、富士山と三保の松原が世界遺産になったんです。 


で、今やっていることは何かというと、日本の稲作漁撈民と同じような世界観を持っているのは、中南米、マヤとかアンデス、アメリカインディアンもそうです。 これらの人々は、われわれとよく似た世界観を持っています。 もちろん、カンボジアのクメール文明もそうです。 共通しているものは何かというと、女中心の文明です。 男中心じゃない。 つまり、命を生み出す女性が活躍している文明。 これをぼくは、「環太平洋生命文明」と言っております。 



5、西洋の没落


男中心の西洋の文明は終わりはじめている。 私や高田先生が憧れた西洋、そうして一生懸命勉強した西洋文明。 今はもう、西洋文明は死にはじめているのではないか。 パリでは自爆テロが起こり、シリアからは、100万人以上もの難民がヨーロッパに押し寄せている。 もう、後10年たったら、ヨーロッパはガタガタになるのではないかと思います。 アメリカはまだ西洋文明の影響を引きずって生きてますけど…。 でも、次の時代は、西洋に代わる新しい文明の時代ではないかと思います。 それは、東洋の時代で、稲作漁撈民の時代です。 畑作牧畜民から稲作漁撈民へと文明は大きくシフトする。 そういう転換期にわれわれは差し掛かったなあというのが、ぼくの今の考えです。 まだ、言い足りないことは、この後のディスカッションなどでお話ししたいと思います。 






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